「では、スポーツは、あまりなさらないんですね」 「ええ……、運動は苦手なので」 消え入るような声だった。 というより、口調に全く覇気がない。 「じゃあ、今度テニスに行きましょう」 雄一郎は微笑してみせた。 「僕が教えますよ。こう見えてもコーチの資格を持っているんです」 「そうですか」 「…………」 本当に会話しづらい相手だ。「とはいえ、その資格を行使したことは、今まで一度もないんですけどね」 何一つ反応は返ってこない。 「軽い運動程度ですよ」 仕方なく、無神経なふりをして雄一郎は続けた。内心では、無為に会話を繋ぐしかない自分の立場に辟易している。 「もしよかったら、道具もご一緒に揃えましょうか。僕がみたててあげますよ」 嫌なら嫌といえばいいのに……。 喋りすぎる男が、馬鹿に見えるというのは本当だな。そう思いつつ、自分がテニスを始めた動機のあれこれを話し続ける。笑顔で言葉を繋ぎながら、雄一郎は内心少しも楽しくなかったし、相手の女も同感だということは判っていた。 洋装揃いのパーティの席で、ただ一人の和装姿。鶯色の控え目な訪問着は、色合いも光沢も見惚れるほど見事な得上品だ。美しく結いあげられた髪―― が、やはり言っては悪いが顔立ちは貧相で、年の割には肌にたるみが見受けられる。 立食パーティだというのに、女―― 芹沢しほりは、一度も用意されたソファから立つこともなく、手つかずの皿とグラスを目の前に、ただじっと鎮座しているだけだった。 少し離れたソファには、仲介役の南條老人と、おそらく彼女の護衛担当の黒服が待機している。帰る時間でも決まっているのか、彼らは時々時計を見て、それから、こっちの様子を窺っている。 やりにくいな。 雄一郎は、さすがに気づまりなものを感じて、軽く息を吐いた。 想像をたくましくすれば、こういうことだ。 つまるところ、お嬢様は、この仕組まれた見合いが不服なのだ。もしかすると、どこかで仕掛けられた罠に気付いて怒っているのかもしれない。 彼女からみれば、俺はさぞかし間抜けに見えることだろう。父親の威光欲しさに、女を口説こうとしている屑みたいに映るのかもしれない。 まぁ、それも当たっているけどな。―― 立場も身分も何もかも俺が下。年までも3歳下だ。女にしてみれば、上目線で「教えてあげる」と言われても、ただ不愉快なだけに違いない。 「新しい飲み物を取ってきますよ」 内心の感情をおくびにも出さず、雄一郎は立ち上がった。 「アルコールが駄目なようなら、ソフトドリンクにしましょうか」 どうせ断られるのだろうが、努力しているという態度だけでもアピールしなければならないだろう。少なくとも―― 監視している面々には。 「ありがとう」 呟くように答えた女が、その時初めて顔をはっきりとあげて雄一郎を見上げた。 微笑してそれに答えながら、雄一郎は、ふと記憶のどこかが喚起されるのを感じていた。 さっと目の前に五色の紙がかすめていった。そして、ゆっくりと降りてくる灰色の闇―― 「失礼、すぐに戻ります」 なんでもないように微笑して歩き出しながら、雄一郎は内心激しい動揺を感じていた。 俺はこの人とは初対面のはずだが―― まさかな、どこかで出会ったと思うのは、勘違いに違いない……。 ************************* ドリンクのあるテーブルの前で、何に迷っているのか、うろうろしている前かがみの女がいる。―― 雄一郎は、視線をとめていた。 たいていテーブルの近くにいるはずのホテルのウェイターは、別の客の対応に追われているのか、その場から離れている。 再度、その女性に視線を向けた。 綺麗な人だ。でも―― 少し姿勢が悪い。 容姿もスタイルも完璧なのに、それだけが少し惜しい。ミルクホワイトのドレスが、ほっそりとした色白の―― 花芯のような仄かな桃色を帯びた肌に実によく似合っている。 雄一郎は、自然の彼女の動きを追っていた。自分だけではない、今も、朝露に濡れた薔薇のような女の美貌に、何人かの男性客が振り返っている。 妙な姿勢の悪さをのぞけば、確かに誰の目にも止まる美人には違いなかった。 が、なんだってああも、―― 自らの美を損ねるような真似をしているのだろう。 まるで人目を避けるような前傾姿勢で、おどおどと視線を彷徨わせている。 ふと我に返り、雄一郎は苦笑している。何をやってるんだ、俺は。今夜ほどパートナー以外の女性に目移りしてはいけない夜もないというのに。 「何をお探しですか」 それでも、つい声を掛けてしまったのは、自分もそのテーブルからドリンクを取るつもりだったからだ。 はっと振り返った女は、が、何故か同じ速度で、勢いよく顔を背けた。 「……?」 なんだ? 「このテーブルには、ソフトドリンクしかないようですよ」 「あ、はい、どうも」 不自然に顔を背けたままで口早に答えられる。ますますその態度に奇妙なものを感じつつ、雄一郎はしほりのためにドリンクを選んだ。 女は、少し離れた場所で思いっきり背を向けている。まだこの場に残っているのは、自分が去るのを待っているのだろうと雄一郎は思った。 しかし―― 不思議な態度を取る人だ。 「もう、酔われたんですか」 「えっ」びくっと形良い肩が震えた。 「ここは、カクテルのほうが美味しいですよ」 「……あ、いえ」 なんでこっちを見ない? さすがに雄一郎は不審を感じている。 「わ、私のじゃないんです。あの……取ってくるように頼まれたので」 「頼まれた?」 ナプキンでグラスの底を覆いながら、雄一郎は女の横顔をまじまじと見つめた。気のせいだろうか。どこかでみた……ラインをしている。 「女性は、頼まれてはいけませんよ」 内心の疑問を口調に出さないよう気をつけながら、雄一郎は女との距離を詰めた。ぎょっとしたように、女がそれだけ後退する。 「こういう席では、他人の皿やグラスをとってはいけないんです。少なくともグラスを取ってくるのは男性の仕事です」 「そ、そそそ、そうなんですか」 「? ……ええ」 みるみる赤く染まる透き通った貝のような耳たぶ―― 。雄一郎は眉を寄せ、ついで息を引いていた。ちょっとまて、この人はもしかして―― 。 ************************* どうして、こんな時に限ってオレンジジュースが切れてるんだろう! 「あ、ありがとうございます。私、マナーも何も判らなくて」 果歩は急いで手近なグラスを取ると、自分に視線を注ぐ男から逃げ出した。 心臓が、口から飛び出すとはまさにこのことだ。指先まで激しい動悸で震えている。脚も膝ががくがくして、立っているのもやっとだった。 どうして……真鍋さんが……ここに……。 悪い夢か、幻だと思いたかった。が、現実には1メートルも離れない距離に彼は立ち、何故だかじっと果歩を見下ろしている。 (何かお探しですか) てっきりウェイターが戻ってきたと思って喜んで振り返ったら、彼が背後で微笑していた。その時の気持ちは―― 頭が真っ白になって、多分、一生思い出すこともできないだろう。 頭が、転瞬、パニックになった。 なんでいるの? どうして―― どうして、いないはずの真鍋さんが、こんな場所に……。 が、それは自分を的場果歩だと知った場合の真鍋の驚きに比べたら、ごく些細な衝撃に違いない。しかも、彼がどこか苦手にしているらしい、吉永冬馬のパートナーとしてこの場にいると知られたら―― 。 絶対に気づかれちゃいけないんだ。 混乱の最中、それだけは即座に判断できた。 むろん、こんなみっともない姿を絶対に彼には見られたくない。が、―― それ以前に、果歩のこういった振る舞いを、真鍋は決して快く思わないだろう。 (ここは、カクテルのほうが美味しいですよ) 吉永の言うとおりだった。真鍋は、……これだけ近くにいるのに、全く果歩に気が付いていない。こんなに間近で見られているのに、私が―― 的場果歩だと、まるで気がついていないのだ。 ドキドキした。今、自分は、彼にしてみればひどく不愉快な形で、彼を欺いている。しかも、こんな最低な格好で……。 ジンジャエールの入ったグラスを取り上げても、何故か、彼はその場を離れようとしない。視線はますます鋭く、突き刺さるほどの痛さで、果歩の横顔に注がれている。果歩はますます動揺した。射抜くような視線にさらされていると思うだけで―― 眩暈さえ感じるほどだった。 「じゃ、……失礼しますっ」 早く―― 早くこの場を離れなきゃ。 吉永みたいな男を信じた私が馬鹿だった。いや、信じてたわけじゃないけれど、それでも、真鍋さんはいないだろうと、思い込んだ自分が馬鹿だった―― 。 「ちょっと、君」 「――!」 真鍋の声。まずい! 果歩はだっとダッシュした。 「待って、もしかして君は」 わ―― っっ。 ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい!! 人ごみが果歩を助けてくれた。まだ心臓がどくどくいっている。もうやだ、なんだってこんな目にあわなきゃいけないんだろう。―― ああ、もう、一刻も早くタクシーでもなんでも拾って帰らなきゃ! が、激しい動揺は、会場の隅で、ぽつねんと座っている女の人を見て冷めていった。 丁度、周囲には誰もいない。そのせいか、先ほどよりさらに疲れ切った顔をしている。 「あの……遅くなりました」 真鍋麻子―― 。 脂の浮いた顔をあげ、女はじろりと果歩を睨んだ。「本当に遅かったのね」 「す、すみません。場所がよく判らなくて」 ぎくっとした。相当―― 怒っているような気がする。 ホールの隅に設けられたソファ。どこに消えたのか、吉永も、リッツ夫妻の姿もない。 「し、しかもオレンジジュースがなくて、……その、リンゴ、お嫌いではないでしょうか」 「ありがとう」 素っ気ない返事と共に、むっちりした腕が伸ばされる。 「あなたの飲み物は?」 一礼して退出しようとしていた果歩は、強張ったまま、微笑した。 「もういただきました。そろそろお暇しようと思いまして」 「ふぅん」 少し迷ってから、果歩はそっと頭を下げた。 「すみません。私、こういう席でのマナーがよく判ってなくて」 女性がドリンクを取りに行ってはいけない―― というのが、立食パーティのマナーだとしたら。 果歩が「何か取ってきましょうか」と言った時、リッツ夫人と吉永が奇妙な表情を見せたのも頷ける。今思えば、あれは吉永のパートナーとして(そんな気はさらさらないけど)ふさわしくない態度だったのだ。 「グレースも冬馬も、パーティマニアだから、こういった決まりごとにはうるさいのよ。気にしなくていいわよ。誰だって初めは判らないんだから」 「…………」 てっきり、嫌味のひとつでも言われると覚悟していた果歩は、驚いて顔をあげていた。 「あの……」 もしかしてこの人は、私の失策を承知で、あえてジュースを取ってくるよう頼んでくれたのだろうか。私に恥をかかせないために―― 。 「座ったら?」 視線で隣を示される。ど、どうしよう―― 。正直断りたかったが、この状況でこの相手に、断ることなどできそうもない。 「冬馬とは、いつから?」 「は、はぁ……」 いつって、こないだ会ったばかりで、経歴といえば、競馬のことしか覚えていない。どうしよう。いっそ、本当のことを打ち明けて、ごめんなさいと謝ってしまおうか。 「ま、いいわ」 が、果歩が口を開く前に、麻子はさばさばした口調で肩をすくめた。 「別に反対するつもりはないのよ。干渉する気もゼロ。いい年をした弟がいつまでも独身でいるなんて、そっちの方が頭の痛い問題だったから」 疲れたように、女はグラスの中身を飲みほした。 「ただ、あなたが冬馬と結婚する気があるなら、これだけは言ってあげる……。冬馬とロンドンに行きなさい。あの子は日本に残るというだろうけど、この会社にしがみついていても将来なんてないから」 「…………」 それは―― どういう意味なのだろうか。 「あの子は早い時期に二親を亡くしてね。以来、私が母代わりみたいなものだったの。だから人にはいい年して、いつまでも姉にべったりみたいな言われ方をされているけど―― 」 そこで言葉を切り、麻子はかすかに息を吐いた。 「優しい子なのよ。それから、ひどく寂しい子なの。多感な時期に私が結婚したから、尚更ね。―― あなたと、本当の家庭を作っていけたらいいと思うわ」 この人って……。 果歩は顔をあげることもできず、ただ、黙ったまま、真鍋麻子の膝のあたりを見ていた。 私が想像していたような人じゃない。もっと―― なんていうか、ひどく優しい人だという感じがする。 だから、余計に罪悪感が胸を占めた。こんな私を、本気で弟の恋人と認めてくれようとしている人に対して、私は―― 。 「あの、私」 その時だった。果歩の決心を遮るように「麻子、そろそろじゃないか」背後から声がした。 果歩は―― 心臓がねじれて壊れるのではないかと思っていた。 「こちらは?」 強面の男性が、眉をしかめて見下ろしている。この灰谷市の人間であれば、おそらく知らない者はいないのではないだろうか。果歩はむろん知っている。それも、恐ろしいほどよく知っている。 灰谷市長、真鍋正義―― 。 「ああ、冬馬の恋人よ」 麻子は、けだるそうに立ちあがった。すかさず、真鍋市長が手を貸して妻を支える。その姿に、果歩は少しだけ意外な感に打たれていた。 「冬馬の?」 「ええ、初めてじゃない? あの子が女の子を紹介してくれるなんて」 「ほう、……名前は?」 「トバ、マホさんよ」 果歩でさえ記憶していない―― おそらく吉永が適当につけた偽名を、麻子は迷うことなく口にした。 「トバさん、ですか」 にこやかな真鍋市長の顔は、おそらく何があっても彼の秘書には向けられないものだった。 「冬馬はいい加減な奴ですが、デザイナーとしては一流です。どうぞ、支えてやってください」 果歩は赤くなってうつむき、何か―― 「はい」とか「わかりました」とか、そんな曖昧な返答をした。 「よかったな、麻子」 「まぁ、肩の荷がひとつ下りたってところでしょうね」 罪悪感で胸がふさがれてしまいそうだった。 にこやかに顔を見合わせる真鍋夫妻は、灰谷市の市長でも大手建設会社の会長でもない。大切な人の幸福を願い、心配しているただの夫婦だ。 そんな人たちを、いってみれば私は欺いているのかもしれない……。 「やぁ、義兄さん、いらしてたんですか」 吉永冬馬の、ひょうひょうとした声がした。果歩は―― できるものなら、そのしれっとした横顔を思いっきり張り飛ばしてやりたかった。 「それは、こっちのセリフだ。相変わらず気まぐれな奴だな」 「丁度いいわ、冬馬もここにいらっしゃい」 ぞろぞろと一族が一所に固まって―― 気づけば果歩も、その1人になっていた。 「話が違うじゃないですか」果歩は、吉永の袖を引っ張って囁いた。 「帰ります、私、バッグと服を返してください」 「人聞きの悪いことを言わないで欲しいな」 吉永もまた、楽しそうに囁きを返した。 「別室に用意してありますよ。すぐにご案内します」 「だったら今―― 」 「シッ」 吉永が顔を上げたので、果歩もその視線の先を追っていた。 パーティの人ごみの中から、一組の男女が近づいてくる。女は、洋装揃いの客の中にあって、はっと目を引く和服姿。男の方は―― 。 「トバさん、ご紹介しますよ」 真鍋市長の声がした。その前に、果歩はすでに凍りついていた。 「あれが、うちの息子の雄一郎です。冬馬には叔父にあたりますかな」 ************************* 「お姫様は、無事にお帰りになったかな」 雄一郎は脚をとめた。エントランスまで芹沢しほりを形通り見送った後だった。 「ええ―― 無事にね」 冷静に答えたつもりが、怒りでこめかみがわずかに震えた。 「なかなかの美人じゃないか。ブルドックみたいな親父さんに似てなくてよかったなぁ、オイ」 吉永はおかしそうに、くっくと笑う。 「ま、印象としてはチワワかな。少しばかり背が低くてやせっぽちだ」 これもまた、挑発か。しかし、まだ理解できない。いったいどうして―― あの子が、吉永のような男の計画に乗ったんだ。 扉に背をあてる吉永の背後には、パーティ会場。まだ、的場果歩はその中にいるのだろうか。 「いったい、何が目的なんですか」 声を殺して雄一郎は囁いた。 「冗談にしては、性質が悪すぎなんじゃありませんか。もし、親父が彼女の正体に気づいたら、どうするつもりだったんです!」 「ちょっとした見物だったろうな」 吉永は平然としていた。 「なぁ、それよりどうだ? 彼女。とても美しいだろう?」 「…………」 黙ってしまった雄一郎の傍に、吉永は息も触れるなれなれしさで近寄って来た。 「あの時もとても情熱的なんだ。意外なことに、初めてってわけでもなかったしな」 「…………」 「お前が思わせぶりな態度だけ見せて逃げ出したせいか、少し誘っただけで、あっさりと落ちたよ。感謝しろよ、俺がフォローしてやったようなものなんだから」 「ご安心を」 雄一郎は、奥歯を噛みしめるようにして―― ただし表面上は冷静に笑ってみせた。 「どんなに魅力的な女性でも、叔父さんのお古に興味はありませんから」 「そうだったな、昔から」 吉永も笑った。完全な勝利者の笑みだった。 「でも忘れるなよ? そうやって俺が、お前につきまとう性質の悪い虫を追い払ってやってんだぜ」 ふざけるな。 「感謝しろよ」 ぽん、と肩を叩かれる。「彼女の荷物を取ってくるよ。あの格好じゃ、どうしても家に帰りたくないっていうんでね」 それが、どうしたというんだ。 雄一郎は冷えた感情を抱いたまま、フロアに戻った。「見合い」は終わった。もうこの会場に用はない。主催者への挨拶だけ済ませてさっさと帰ろう。部屋でとっておきのワインを開けて、―― そう、最低だった今夜の埋め合わせをしなければ。 自分がひどく冷静であることに、雄一郎はむしろ安堵していた。 叔父は、何かを勘違いしている。俺は―― 的場果歩のことで動揺するほど、まだ、彼女に心を奪われてはいない。 そうだ、彼女とのキスは一時の情熱からきた過ちだ。多分、飲みすぎていた。今にして思えば叔父の挑発で完全に自分を失っていた。 そもそも俺は、かけひきみたいな恋愛ゲームはできても、本当の意味で女を愛することができない。それが判っていたから、彼女に繋がる何もかもを断ち切ろうとしたんじゃないか。―― しかも、叔父と寝ただと? ますます冷めていく気持ちをかみ殺しながら、雄一郎はフロアを突っ切った。挑発かもしれないが、こんな場所に叔父みたいな男と同伴しただけで十分だ。俺へのあてつけか? それとも復讐のつもりなのか。 いったい、何を目論んだつもりか知らないが、そんな女、こちらから願い下げだ。 が、頭の芯まで満たしていたはずの怒りは、フロアの片隅―― 1人でぼんやりと立っている女性の背中を見た途端に霧散していた。 ほっそりした首が憔悴したように垂れている。窓に指をあて、的場果歩は所在なさそうに、うつむいていた。 1人の男性がそこに近づく、途端に女はみっともないほど身を硬くして、頭を下げるようにして肩に羽織ったストールをぎゅっと胸元で握りしめる。全身で見せる拒絶―― 。 その態度に首をかしげるようにして、おそらく、1人きりの女性に好意で声を掛けようとした男性客は去っていく。 「…………」 何を、おどおどしているんだろう。雄一郎は眉を寄せていた。 今の態度はなんなんだ。良識ある大人の女性とは思えない。そういえば、ドリンクテーブルでもそうだった。あの態度は―― まるで、子供だ。 まさかと思うが、自信がないのか? まさか―― あれだけ魅力的な―― 今も、あんなに開いた背中を、惜しげもなく見せつけておいて……。 雄一郎は、無言で女の背中に歩み寄っていった。多分、窓にその姿が映っている。一瞬だけ顔をあげた果歩が、びくっと肩を震わせるのが判った。 (紹介するよ、トバマホさん。僕の恋人だ) あの時も―― 消え入りそうなほどにうつむいていた。 肩どころか指先まで震えていた。 その前で、俺は今日見合いしたばかりの相手を紹介したのだ。怒りを懸命に押し殺して、まるで、皮肉に、あてつけるように。 再び、忘れていた怒りがこみ上げる。 親父や俺を欺いたことを、この場所に来たことを後悔しているのか。馬鹿な、だったらなんだって、叔父の言いなりになったりしたんだ―― 。 |
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