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年下の上司 exera1

年下の元カレ(2)


「おう、前ちゃん。昨日はおつかれ」
 なんだ? この馴れ馴れしさは??
 やや引き気味になりながら、晃司は軽く目礼し、南原のためにスペースを作ってやった。
 昼休憩。
 庁内15階にある職員食堂は、うんざりするほど込み合っている。
 トレーを手にしていた南原は、すぐに晃司の隣に腰を下ろした。
 晃司と同じ、都市計画局に在籍している南原亮輔(なんばら りょうすけ)。都市計画局での所属は総務課で――つまり、的場果歩の同僚である。
「珍しいね。前園君が食堂にいるなんて。たいがい昼まで仕事してるイメージがあったけど」
「いつもはコンビニで買ってくるんすけど、今日は、朝がぎりぎりだったから」
「あー、判る判る!」
 何故か南原は、妙なほど勢い込んで相槌を打つと、ラーメンをずるずるっと啜りこんだ。
 汁が飛び散り、晃司はますます引いている。
 が、6人掛けのテーブルは、市職員と外来客でびっしりで、とても身を寄せる場所などない。
「昨日は、俺もはしゃいじゃったからねー。前園サマサマだよ。まさか、秘書課からお呼びがかかるなんて、夢にも思わなかったからさ」
 ああ、夕べの飲みのことか。
 もしかして、それで朝がぎりぎりだったと思われているのだろうか。飲み会ではしゃぎすぎたから、と。
「別に……はしゃぐような飲みでもなかったでしょ」
 素っ気なく、晃司は言った。
 だとしたら、それは、かなり不愉快な誤解である。
 確かに昨夜、晃司は、秘書課との合コンに最後までつきあった。が、それは、ここにいる南原に「帰るな」と泣きつかれたからである。
(前園君が帰ると、女子全員が帰るっつってんだよ。頼むから最後まで付き合ってくれよ)
 だから、渋々最後までつきあった。決して自分の本意だったわけではない。
 しかも、今朝寝坊した原因は、飲みとはまるで無関係だ。多分、果歩のことを悶々と考えて……いや、それもそれで腹立たしい理由だが。
「だいたい、俺なんて、いてもいなくてもどうでもよかったんじゃないっすか。南原さんの周囲の方が、遥かに盛り上がってたような気がするし」
 話題を打ち切りたい晃司は、それだけ言うと、カレーライスにスプーンを入れた。
「またまたまたまた〜!」
 が、南原はますますヒートアップして身を乗り出してくる。
「自分が判ってねえなぁ、前園君は。硬派っぽいし、彼女いそうだから、あえて言わなかったけどさ。実は色んなとこから照会がきてんのよ」
「照会?」
「独身なのか、彼女いないのか、紹介してもらえないかって。そりゃもう、色んな方面から。前園君くらいエリートで、背が高くて顔もよくてさ。それで28だっけ? その年まで売れ残ってる男子は珍しいからね。ほら、だいたい役所の男子って、結婚、かなり早いじゃない」
「まぁ、そうっすね」
 さほど美味しくもないルーだけのカレーを口に運びながら、晃司は適当に相槌を打つ。
「俺も、同期じゃ残り少なくなった独身組の1人だけどさ。実は俺みたいな、コースから外れた非イケメン系は、割と結婚が遅いのよ。でも、前園君みたいなエリートハンサム系は、だいたい入庁2年か3年で片付くじゃない」
「………」
 ふと過去の、とっくに忘れ去ったつもりだった、ある情景が思い出される。
 確かに南原の言うとおりだと思った晃司は、自嘲気味に苦笑した。
「俺、最初が区役所だったから」
「あれ? そうだっけ」
「課税課に3年、あんまそういうの、エリートって言いませんよね」
「いやいや、新人は殆ど最初が区役所だから、それはフツーなんじゃねぇの?」
 その、殆ど以外の一握りをエリートというのではないか。
 そうは思ったが、これ以上深入りする必要もないので、適当に頷いている。
 人口100万。政令指定都市である灰谷市役所は、市内中心部に15階建ての本庁舎――通称「本庁」を有し、中区、南区、西区、東区等の8区に区役所を有している。
 <本庁>と<区役所>
 決して、本庁にいる者が優秀で区役所にいる者がそうでない、というわけではない。市民対応に当てるには不適切な職員が本庁に回されることも多々あるのだが――それでも、本庁と区役所は、<中央>と<出先>として、昇格や決裁権限にもはっきりと格差が設けられているのである。
「ある意味、争奪戦なんだよね。市役所の男子と女子は」
 楊枝で歯をつつきながら、南原はまだ席を立とうとしない。
「争奪戦……っすか」
「女子は、そりゃ、少しでも出世しそうで、顔のいい相手を捜すわな。でもさ、男も男で、争いは結構熾烈なわけよ」
 したり顔で、南原は続ける。
「だってさ、エリート、美人、気だてがいい、と三拍子揃ってる女子には、絶対バックに、大きな引きがついてるじゃん。知ってる? 女子が主事から主査になるには男子より時間かかるんだけど、主査から課長補佐級にあがるのは、男子より2年も早いっての」
「マジっすか」
 さすがに晃司も顔をあげた。
 主事、主査とは役所で使われる階級のことだが、民間会社にたとえれば、主事が平社員、主査が主任クラスにあたる。同じ主査でも部下つきとなれば、係長という名称がそれに換わる。
 南原は続けた。
「女性登用ってのは、市民受けがいいだろ。今の社長の方針だよ。つまり、長い目でみれば、女子ってのは出世に優位な立場にいるわけ。ただ、区役所にいるような雑魚はダメだけどね。本庁勤務で、しかも議員か局長クラスの目に届くポジションでないと。そういう意味じゃ、男子より過酷な格差社会だよな」
「ふぅん……」
 微妙に話がずれてるような……と、思いつつ、晃司は水を一口含む。
「で、話を戻すけどさ、つまり、そんな有望女子と結婚したら、女子のバックが丸ごと男子に回ってくるわけ。わかるだろ」
「………」
「一番人気は、そりゃ、市長事務局系。上級合格者で本庁勤務の花形事務系だよ。次が区役所総務で、落ちて窓口。意味がないのが保健士か看護士。役所の男女比率は、男子が圧倒時に多いからね。戦いは巧妙、かつスピーディに片をつけなきゃ、有望女子はあっという間に売り切れちまう。だから役所に入った頭のいい男子は、いち早くいい相手をゲットして、さっさと結婚しちまうんだよ」
 不思議な胸の悪さを感じ、晃司は黙って残りのカレーを口に運んだ。
 自分では見えなかった、自身の嫌な部分をずばりと言い当てられた気分だった。
「で、どうなのさ。秘書課のあの子と、あれからどっかに行ったわけ?」
 が、不意に話題が変わる。ほっとした晃司は、自然に警戒を緩めていた。
「いや、家まで送って帰りましたよ」
 なにげなく返した一言だったが、ひゅーっと南原は口笛を吹いた。
「家まで! すごいね。初対面でそこまで行っちゃったわけだ」
「別に……同じ方角だったから」
「いやいや、もう、目が完全に前園君しか見てなかったからね。なんってったっけ、あの子、市長秘書の……安藤さん? あの子さ、多分前園君目当てで、昨日の合コン組んだんだよ」
「まさか」
「だって、あの子以外と話せてないだろ、前園君」
「………」
 それは、たまたま席が隣で――いや、確かに……。
 今思えば、他の女子には思いっきり無視されていたような気がする。
 自分の隣には最初から最後まで安藤香名が座り、ずっと2人で会話していたような。
 昨夜の飲み会に、全く乗り気ではなかった晃司は、席についてもやりかけの仕事のことばかり考えていて、正直、面子にも話題にも全く無関心だった。
 その中で、唯一、身を乗り出して熱心に聞いてしまったのは――。
 晃司は嘆息して額を押さえる。
 確かにそうだ。「本当はどっちが気になっているんですか」と、皮肉のひとつも言われるはずだ。
「前園君さ。今、閉じちゃってるだろ」
 ふと気付くと、南原がいつになくまじまじと自分のことを見つめている。
「閉じちゃってる……とは?」
 晃司は戸惑って瞬きをした。

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 南原亮輔について晃司が知っている情報は、せいぜい果歩と同じ係の同僚という程度である。
 年は、おそらく果歩よりは上だ。随分上という気もするし、せいぜい30もつれだという風にも見える。
 二重瞼で眉が濃い、眉だけでなく、全体的に濃い顔である。
 にきび痕だか水疱瘡痕だかが、頬の高い部分に散っている。
 やや貧相な体格だが、背はかなり高い方だ。顔は……好みだろうが、悪くはない。
 それでも、本人が自称しているように非イケメン系にしか見えないのは、やぼったい髪型と、とぼけたような眼の表情、大きすぎる口、なにより、本人が持つ独特の雰囲気だろう。
「どういう意味なんですか。閉じてるっていうのは」
 意味が判らず、晃司は再度訊き返した。
 南原はどんぶりを持ち上げ、口をつける。
「オスの部分が閉じてるって意味。男にはさ、開いてる時と閉じてる時があるだけだわさ。開いてる時のオスはハンターだよ。昨日、あれだけの美人につきまとわれて、家まで送って終わりってこともないでしょ」
「まぁ、今は、仕事が忙しいですからね」
 何故かこの話題に深入りする危険を感じ、晃司はトレーを持って立ち上がった。
「去年くらいかなぁ。もしかして、的場さんとできてんのかな、と思ってた時期もあったんだけど」
「ぶっ、なんすか、それ」
 ごく自然に演技ができるのは、こうやって誤魔化すことに馴れきっているからだ。
 こと、的場果歩との関係についていえば、晃司は神経質なほどに気をつけていた。絶対にばれてはならない。2人の関係を表沙汰にしてはならないと――今思えば、残酷としか言いようがない理由で。
「南原さんはどうなんです? 僕から見たら、南原さんこそ、閉じているのか開いているのか微妙ですけど」
 内心の動揺を、晃司は反撃で切り返した。
「俺?」
 と、南原は目をぱちぱちさせる。
 晃司から見たオスとしての南原は、広く浅く、とでも言うのだろうか。その浅さにしても、上っ面を撫でる程度にしか思えない薄さである。
 加えて言えば、どんな美女に対しても辛辣なことを平気で言うし、気に入らない女にはとことん冷たいという悪癖がある。どういう括りか、的場果歩や百瀬乃々子などは嫌われたいい例で、須藤流奈や臨時職員などがお気に入りの好例なのだ。
 が、いずれにしても、表面で騒ぐだけで深入りはしない。女性に対する態度に、いい意味でも悪い意味でも媚がないのが、南原という男なのである。
「俺は閉じてるよ。少なくとも役所の女には」
「そうなんですか」
 あれほど高説をのたまってくれたくせに――意外さを込めて見下ろすと、南原は人を食ったような笑いを浮かべた。
「俺、高卒だからね。そもそも役所に勤めてるエラソーな女は好きじゃないんだ。貧乏でも、三歩下がって影踏まず、ひっそりと家を守ってくれるような女が理想だな。てか、今の時代、そんな女の子自体いないでしょ」
「……確かに、ファンタジーですね」
「前園君は、相手を選び間違えるなよ」
 なんの気なしに言われたのだろうが、その言葉は胸の深いところに鈍く響いた。
 今の南原の発言は、聞きようによっては、相当非道い内容である。女性との結婚や恋愛を、いわば出世の手段としかみていないという意味である。
 が、言った本人である南原自身には、今の話は他人事。そういう結婚観や恋愛観を持つ人々を、上から冷めた目で見ているだけなのだ。
「だからそんな暇、今はないんですよ」
「真面目だなぁ。前園君は」
 けらけらと笑う南原に目礼だけを返し、そのまま晃司はきびすを返した。
 カレーの不味さだけではない胸の悪さが後を引いている。
 それは、南原に対して抱いた思いのようであり、自分に対してのようでもあった。
 
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「随分と、のんびりだったな」
 席に戻ると、さっそく加藤の嫌味が待っていた。
 席を立って食堂でメシ食って、戻ってくるまで正味10分。これでのんびりと言われるのだからたまらない。
「すみません」
「大阪市の担当から電話、そこにメモ置いてあるから」
「ありがとうございました」
 今に見てろ。と思いつつ、晃司は丁寧に礼を言ってからメモを取った。
 今年で在籍五年の加藤は、おそらく来年異動になる。30歳、次の異動先が昇格のかかる職場だろう。だから、上司へのアピールに必死なのだ。
 異動先が区役所なら、まず昇格は望めない。本庁でも、人事、財政、その当たりを狙わなければ、30代前半での昇格は相当厳しいのが現状である。
 ―― まぁ、加藤さんには無理だな。仕事はできる人だが、上への目配りがなさすぎる。
 加藤程度の男なら、軽く抜く自信が、晃司にはある。
 年の差の上下関係は、いずれ役職の差で逆転する時がくるだろう。
 休止モードになったパソコンを立ち上げた晃司は、思わず目を見開いていた。
 なんだ……? これは。
 新規メールが、50件。つかありえねーだろ、普通。
 差出人は、わけのわからない記号だらけのアドレス。件名はすべて同じだった。

 死ね
 死ね
 死ね
 死ね


 なんなんだ、いったい。
 初めて感じる薄寒い恐怖を抑えながら、晃司は、パソコン画面を睨み続けていた。



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