「かっかりちょーさんっ」 自分のことを言われているとすぐに分からなかった藤堂は、一瞬面食らってから、自分を見上げている女性を見下ろした。 猫みたいにキラキラした目。きゅっと窄めた小さな唇。 両手を後ろに組んだ須藤流奈が、妙な角度に首を曲げて微笑んでいる。 「今、帰りですかぁ? 流奈も今から帰るとこなんですぅ」 「……ああ」 午後九時、夕方から曇っていた空は、今は星ひとつ見えない暗夜に代わっている。 「案外お帰りが早いんですねっ。うちの課長が、決裁はまだかって苛々してました。あ、これは悪い意味じゃないんですけどぉ」 「決裁なら、帰り際に次長まで回しておきましたよ」 藤堂は優しく言って、一礼してから歩き出した。 9時退庁が決して早いとは思わないが、まだ半分以上の人員が局に残っているのも事実である。 藤堂がこの時間に退庁したのは、帰宅してすぐに車で東京に向かわなくてはならないからだ。 明日、母の会社が主催する展示会の手伝いに出るためである。 「4月は忙しいから、あっという間に週末ですね。明日の土曜は出勤されるんですかぁ?」 まだ流奈がついてきていることに驚きながら、藤堂はいいえ、と短く答えた。 藤堂が向かっているのは駐輪場だが、彼女も自転車通勤なのだろうか。こんな短いスカートとヒールで? 局で初めて顔を合わせた時も驚いたが、印象は、14階であった時とは別人だ。 14階ではつっけんどんな印象だったが、局の中では若さとかわいらしさをこれでもかと言わんばかりにアピールしている。 あまったるいしゃべり方と、媚をふんだんに含んだ上目遣いの目。 ここまであからさまにセックスアピールを振りまく女性が、寄りにも寄って役所にいることも驚きだ。 「でもぉ、係長さん――あっ、藤堂さんでいいですか? 年、三つしか違わないんですよぉ、私たち」 「お好きにどうぞ」 「じゃあ、私のことは流奈って呼んでください。だって藤堂と須藤じゃややこしいじゃないですかぁ」 藤堂の返事も聞かずに、満足そうな笑顔になった流奈はぐっと距離を詰めてきた。 藤堂は微笑してその分だけ歩幅を広げる。 「ていうか、明日は本当に休んじゃっていいんですかぁ? 総務課はこの時期、みんな休日出勤は当たり前ですよ」 「明日はどうしても外せない用事があるので」 「なんの? あっ、もしかしてデートだったりして!」 「……日曜日には出勤する予定ですよ」 「ふふっ。今、なにげに誤魔化しましたよね? つまり彼女持ちってことですかぁ?」 藤堂は答えずに駐輪場の中に入った。真っ暗だが、センサーが人を感知して照明が灯る。 「須藤さんも自転車ですか?」 彼女の要望を完全スルーした形の問いかけだが、流奈は気にすることなく嬉しげに微笑んだ。 「ううん。バスです。でも暗いから、バス停まで1人で行くのが心細くってぇ」 「…………」 「ていうか、藤堂さん、流奈の名前覚えててくれたんですね。うれしーいっ」 さっき自分で名乗ったのをもう忘れているのか? 目をきらきらさせる流奈から、藤堂はますます面食らって目を逸らした。 ここまでの会話は何を意味しているんだろう。僕に送れということか? しかし一体なんのために? 少し考えてから、藤堂はその誘いに乗ることにした。 彼女の意図が、あるいは「口止め」かもしれないと思ったからだ。 記憶から除外するよう努めているが(藤堂にはかなりの努力を要することだが)、入庁初日に見たことは、気にしないようにしているつもりだ。 流奈と時間差で出てきた男の正体は二日目に分かった。 彼女と同じ係の前園晃司。互いに独身のようだが、同じ係同士の恋愛というのは男女どちらにとってもマイナスなのかもしれない。 「よければバス停まで送りましょうか」 「うっそぉ、いいんですかぁ」 「ええ、僕も同じ方角なので」 藤堂は自転車のチェーンを外すと、ハンドルを押して歩き出した。 ************************* 「見ましたよね、最初の日」 案の定、役所を出てすぐに流奈の方から切り出してきた。 「あ、誤魔化さなくても大丈夫です。あの時の藤堂さん、思いっきり不審者を見る目になってましたから。その時は意味が分かんなくて私もガン飛ばしちゃったけど、少し考えて分かりました。――もう少し、時間を空けて出るべきだったなぁって」 「……僕には、関係のないことなので」 「相手の顔、見ました?」 「いえ」 「うちの係の前園さんです」 内心深いためいきが漏れた。聞いてもいないし聞きたくもないのに、一体なんのための暴露だろう。 流奈といえば、藤堂の左側を歩きながら、じっと顔色を窺っているようでもある。 「びっくりしましたよね。朝からトイレで何やってんだって……、でも私も断れないんです。だって彼が先輩だし、あの人、うちの課のエースで課長のお気に入りだしぃ」 黙って歩きながら、藤堂はその前園という――未だ後ろ姿と横顔しか認識できていない男の、ぼやきにも似た声を思い出していた。 なんだって俺の方が振り回されてんだよ。 「課長にも相談できないし、本当はずっと悩んでたんです。だからちょうどいい機会だったかなって」 「僕に見られてですか」 「うん。これでふんぎりがつけられそうだから。――ひどいと思いません? 彼、3年もつきあってる彼女がいるんですよ」 そういうことか。 藤堂はようやく、隣を歩く女の意味不明な言動の数々を理解した。 「では、僕が騒ぎ立てればよかったですか」 「ううん。それは可哀想だからやめてください。きっと藤堂さんも後悔するだろうし」 「僕が?」 「うふふっ、分からないですか? ヒント、あげちゃおっかなー」 「…………」 どうしたらいいんだ。 この人と話しているだけで、とてつもない疲れを感じる。 バス停までは目と鼻の先だが、そこまでの距離がひどく遠いものに感じられるのは何故だろう。 「とにかく流奈、前園さんに二股かけられてたんですぅ。彼女とは別れるって何度も引き留められたけど、結局そんな気なかったみたい。4月になる前に彼の家にいったんですけど、彼女からの弁当の差し入れが、洗いもせずにシンクに置いてあったんです。デリカシー、なさすぎですよね」 「……まぁ」 「そのくせ、彼女が構ってくれないからって、再々私を呼び出すんです。あっ、あの人、自分から彼女を誘えない人なんですよ。なんでだと思いますぅ?」 「さぁ」 「自分の方が彼女に入れ込んでるくせに、それを絶対に認めたくないからです。ツンですよ、究極のツン。ツン過ぎて、もはや伝わらないレベル?」 参ったな。全く意味が分からない。 「だからって、トイレで性欲処理の相手だなんて。いくら私の立場が下だからって、ひどすぎじゃないですか……」 あまりに過激な言葉に、藤堂は軽く咳き込んでから、ため息をついた。 「…………」 まぁ、それは。 多少気の毒ではあるかな。 ふと幼馴染の一人の顔が頭をよぎったが、藤堂は急いでその残像を打ち消した。 もう過去は思い出さない。 それは7年前に日本を出たときに決めたことだ。 「じゃあ、思い切って須藤さんの方から別れを切り出してみたらどうですか」 これまで恋人一人いたことのない自分が恋愛のアドバイスをする不思議を思いながら、藤堂は続けた。 全くの門外漢だが、これも局の調整役の仕事のひとつ……なのかもしれない。 「その時、前園さんがどちらを選ぶのかで、態度を決められたらいいんじゃないですか。あなたにこの関係を断ち切る意思があるならの話ですが」 「そりゃ、ありますけどぉ」 そこで不服そうにうつむくと、流奈はぷくっと頬をふくらませた。 「てか、ひどすぎません? なんで私がふられるのが前提なんですか」 「僕は前園さんじゃないので、彼の選択の予想はできませんよ」 「でも、絶対私がふられることを前提に話してますよね?」 「そういうわけでは……」 「ううん、絶対にそうです。だってさっき、断ち切る意思があるならとか言ったじゃないですか。ひどぉい、案外冷たい人なんだ、藤堂さんって」 「…………」 確かに今の流奈の告白が真実なら、前園晃司が選択するのは3年つきあった彼女だろう。 むろん100パーセントではないにしろ、確率的には7、3くらいか。 ちらっと見た須藤流奈は、本当に傷ついたのか、唇を軽く噛み、双眸には涙まで浮かべているようだ。 びっくりした藤堂は少し慌てて前に向き直った。 「まぁ、確かに失言でした。申し訳ありません」 いつだったか、前の会社にいた頃、女性の相談をまともに聞くなと忠告されたことがある。 相手は自分が話したいことを男に肯定して欲しいだけなんだと。 謝罪したのは、彼女に対する失言というより、その忠告を忘れて知ったかぶったことを言ってしまった自分自身の迂闊さにだ。 「本当に悪いと思ってます?」 「はぁ、まぁ」 「だったら今度、ご飯おごってください」 「ご飯ですか?」 「夜が希望で、でもランチでもオッケーです。美味しい店を知ってますから、一緒に行きましょ?」 「……まぁ」 「ね、約束ですよ? 流奈を傷つけたんです。責任とってください。ね?」 「……まぁ」 「まぁってなんですか? オッケーってことでいいですよね」 「僕の立場で前園さんに誤解されても困るので」 精一杯きっぱり断ったつもりだが、何故か流奈はますます目を輝かせた。 「いいじゃないですか。私、彼に見せつけてやりたいんです。あ、そうだ、決めた! これから私、藤堂さんを好きな設定にしてもいいですか?」 「……設定?」 「そうしたら彼、嫉妬して私の方を見てくれるかもしれないじゃないですか。あの人藤堂さんより2歳も年上だから、内心年下の係長がきたことに苛ついてるんです。出世欲の塊だし、めっちゃくちゃプライド高いんですよぉ」 「はぁ」 「会ったって仕事の話しかしないし、誰かと比べたら怒るし、逆に褒めたら天まで上がるし、ほんっと単純なんだから」 「はぁ」 「流奈ね、今まで3回も約束をすっぽかされたんです。あっ、そうそう。一度だけ彼女とダブルブッキングされたことがあったんですよぉ。前園さん、自分のスケジュール管理に関していえば、からっきしっていうかはっきり言って馬鹿だから。でも笑えるんですけど、私も彼女も、両方別の待ち合わせ場所ですっぽかされてたみたいです」 「須藤さん、バスが来たようですよ」 助け船のように滑り込んできたバスに、藤堂は思わず安堵の声を上げた。 「ざぁーんねん、このバスじゃないんです。流奈の乗るのは12番なんですよ」 「バス停に人もいるようですし、僕も今夜は時間がないので、これで」 しなをつくる流奈に向かってぺこりと頭を下げると、藤堂は自転車を押して歩き出した。 やっと解放されたと思うと同時に、結局のろけを聞かされただけのような疲れと――わずかばかりの憐れさも覚えている。 どう言葉で取り繕ったところで、須藤流奈は前園という男が好きなのだ。 恋は心に刺さった棘――あの言葉を僕に教えてくれた人は、今、どこで何をしているのだろう。 額にひやっとしたものを感じ、ふと藤堂は顔を上げた。 視界いっぱいに、細かに降ってくる無数の雨粒が飛び込んでくる。 ――雨だ……。 一瞬、名状しがたい苦しさと切なさがこみあげて、それはいつものように音もなく胸の奥底に沈んでいく。 ただ、あの家を飛び出した時と違い、その雨にはどこか温かな残影が滲んでいる。7年前のあの日から。 (ベルボーイさんは、エントランスに立っているのがお仕事じゃないんですか) しばらく天を見上げてから振り返ると、バス停の傍らでは、流奈が手をかざして顔を雨から遮っているようだった。 自転車の向きを変えた藤堂は、それを押したまま、駆け足でバス停に戻った。 「須藤さん」 声を掛けると、驚いたように流奈が顔を上げる。 藤堂は鞄の中から折りたたみ傘を取り出すと、それを流奈に差し出した。 「どうぞ。僕は自転車なのでさせませんから」 「……え、いいんですか」 先ほどまでのわざとらしいリアクションと違って、本気で戸惑っているように見える。 バス停まで強引に送らせたくせに、このしおらしい反応はなんだろう。 「また月曜日に」 雨脚が少し強くなる。立ち尽くす流奈に笑顔を返すと、藤堂は急いで自転車にまたがった。 ************************* ――しかし……。 入庁して10日。藤堂にもようやく、春日次長が初日に提示した問題の根深さが分かりはじめていた。 「的場君、この書類を20部ほどコピーしてきてくれ」 「的場さん、次長から電話。午後2時から14階の会議室に、10名の来客だってさ」 「的場さん、コーヒーの砂糖が切れてるよ」 一体いつの時代の職場だろう。来客の湯茶どころか昼食のお茶の準備まで、この職場では全て的場果歩の仕事ということになっている。 朝は新聞の仕分けから始まり、ポットで湯を沸かし、全員のコーヒーを煎れるまでが彼女の仕事で、机を拭いたり、再生紙を棄てたり、消耗品のひとつでも切れればすぐに対応するのも彼女のようだ。 正確には、総務課で雇用している臨時職員と果歩の二人で対応しているのだが、その臨時職員は、月曜こそ出勤したが今日は午前中休みを取っている。 しかも、忙しい最中、会議室にコーヒーを運ぶよう果歩に命じたのは、どうやら春日のようである。 この都市計画局では、都市開発を進めている関係上、地権者である地元との繋がりが密接だ。そのせいか、やたらと地元代表者や企業などとの会議が開催される。 都市開発に協力してくれる地権者への湯茶接待までは百歩譲って分からなくもないが、必ず果歩がコーヒーを出すというのが、この局の暗黙のルールらしい。 (的場さんが顔を出すと、喜ぶ地権者さんが多いんですよね。彼女美人だし、機転も利くし愛嬌もありますから) とは、大河内の弁である。 ――それにしても、コーヒーをペットボトルのお茶にするとか、やりようはいくらでもあるんじゃないか? 春日次長がそこに踏み込まないのが、むしろ不思議なくらいだ。僕に業務改善を命じたくらいだから、てっきり合理的な人だとばかり思っていたが……。 それとも春日のいう「業務の妨げになる悪しき習慣」とは、別のことを指しているのだろうか。 「おーい、的場さん、コピー機のトナーが切れてるよ」 南原の声で、沈思していた藤堂は顔を上げた。 その果歩は、給湯室で下げたばかりのカップを洗っている最中だ。 「ごめん、南原さん。ちょっと今手が離せなくて……」 顔をのぞかせた果歩が申し訳なさそうに言うと、 「はっ? どっちの優先度が高いと思ってんだよ。コピーは局のみんなが使ってんだぞ」 「分かりました、すぐやります」 「トナーが切れかけてることくらい、もっと早めに気づいとけよ」 「ですね」 果歩の声は明るかったが、あまりの理不尽さに藤堂は席を立っていた。 給湯室の仕事は、確かに優先度からいえば下だが、彼女は他にも多くの頼まれ事を抱えているのだ。 しかもトナーの交換など、気づいた者がその場ですればいいだけの話である。 「ついでがあるので、トナーなら僕が変えますよ」 急いでコピー機がある場所に向かおうとする果歩に、追いついた藤堂は背後から声を掛けた。 「えっ、係長が?」 が、何故か果歩は露骨に強張った顔になる。 その反応に戸惑っていると、果歩は誤魔化すような笑顔になって両手を振った。 「いっ、いえ。大丈夫です。私がやった方が早いし、係長はご自身のお仕事をしてください」 思いっきり戦力外の人を見る目である。 藤堂は「はぁ」と、どこかうろたえた声しか返せない。 「あ、係長のコピーもついでに私がやっておきます。どれですか」 迂闊にも自分が手ぶらでここまで来たことに、藤堂はようやく気がついた。 「……すみません、机に忘れてきたようです」 気まずい数秒の沈黙の間に、藤堂はますます果歩の自分への評価が下がったのを感じた。 しかし彼女は、すぐに取り繕ったような優しい笑顔になる。 「じゃ、後で持って来てくださいね。他にも、私に手伝えることがあればなんでもやりますから」 「はぁ」 「係長はとにかく決裁を……、他の課の人も、待っているようですし」 「はぁ」 きびすを返した果歩が足早に去って行ったので、藤堂は頭を掻きながら自席に戻ろうとした。 「へったくそ。そんなベタなアプローチ、いまどき高校生でもやりませんよぉ?」 背後から声を掛けられたのはその時で、藤堂は本気で驚いて振り返る。 猫みたいな目をきらきらさせて見上げているのは、先週駐輪場で話して以来になる須藤流奈だった。 「そんなんじゃないですよ」 「ふぅん、どうだかなー。うちの局にきた新人は、なんだかんだ的場さんに興味津々なんだから」 藤堂は答えずに歩き出した。 「元市長秘書で、今も局のお姫様ですからねー。噂じゃ、秘書課時代にめちゃくちゃイケメンとつきあってたみたいですよ? ああ見えてかなりの面食いなんじゃないですかぁ」 「…………」 「嘘じゃないですよ? 秘書課にいる同期から聞いた話です。でも、口外厳禁みたい。その噂が広まったら市長が激怒するとかなんとか。――よく分からないけど、もしかして市長と不倫でもしてたりして」 そのねじ曲がった誤解を解くべきか否か。 的場さんが恋愛をしていたのは、その市長の息子、真鍋雄一郎だ。 そしてその雄一郎は、藤堂が日本を発った年の10月には別の女性と結婚している。 父親の市長ともし揉めたのだとしたらその時だろう。 藤堂は、長らく雄一郎の結婚を知らなかったが、母親が送ってくれた結婚写真での雄一郎は、晴れやかな笑顔を浮かべ、車椅子の新婦をとても大切そうに見つめていた。 昨年再会したときも、果歩の話は一言も出ず、藤堂もまた聞けなかった。 むしろ早くに亡くなったという雄一郎の妻のことが気がかりで、以来独身を貫いている雄一郎の心情に胸が痛んだくらいだ。 いずれにせよ、もう7年も前の話だ。おそらく普通の人は自分とは違い、過去を新しい記憶で上書きできるようになっている。 「的場さんのことなら、心配するだけ無駄ですよ」 何が引っかかるのか、流奈はまだ藤堂の後をついてきていた。 「あの人、誰にでもいい顔がしたいんです。絵に描いたような八方美人。雑用だって好きで引き受けてるんです。おかげでしょっちゅう言われますから。君も的場さんを見習ったらいいよ、彼女はうちの局の太陽だ、ああいう女性がどこへ行っても重宝されるんだ――うんぬんかんぬん」 「須藤さんは、的場さんが嫌いなんですか」 「ふふっ、意外とストレートに聞きますね。同性で好きな人なんているのかな、逆に」 足を止めた藤堂を見上げ、流奈は含んだようにくすくすと笑った。 「私に言えるのは、ああいう人が女性の社会進出っていうんですか? そういうものを台無しにしてるってことだけです。なにしろ、あれがうちの局の女性のお手本ですから、この7年ずぅっと」 「…………」 「百瀬さんなんて相当な高学歴なのに、お気の毒。朝からコーヒーばかり煎れさせられてますよ」 この人の感情の底にあるものは謎だが、それは確かにひとつの真実を言い得ている。 (いったん権力を得た者がその座に長く居座ると、不正を内部で質すのは不可能になる。質せるのは、その権力の傘の外にいる第三者だけだ) 的場果歩もまた、ある意味権力者なのだ。 自覚のあるなしにせよ、彼女の立ち居振る舞いそのものが、局の女性のスタンダードになり、見えない鎖になっている以上。 それが及ぼす影響は、決して軽いものではない。 的場果歩が変わらなければ、この局にどんな女性が来ても同じ待遇が待っているのだ。 |
>>next >>contents |