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年下の上司 story10〜 December@

12月は恋の季節 無意味なモテ期がやってきた(2)


「ドクターキリコ?」
 5時前の給湯室、たまたま顔をあわせた乃々子と流奈に、果歩は藤堂の浮気? の理由を知らされることとなった。
「そうなんですよ。先月、前の女医サンが引退して、急きょ、その代わりに来た女なんですけどね」
 流奈の口調は、すでに怒りでめらめらと燃えていた。
「ドクターキリコって……ブラックジャックに出てきた、悪いお医者さんのことですか?」
 乃々子が怪訝そうに口を挟む。藤堂が毒牙にかかったことに憤っているのか、彼女の機嫌も流奈に劣らず、相当悪いようだった。
「そう、安楽死専門の医者ですよ。あの女、医務室に来る男来る男……むろん、イケメン限定ですけど、確実に安楽死させているという……」
 流奈は、声をひそめて囁いた。
「それで、ついたあだ名がドクターキリコ。本名は、知りません」
 確実に安楽死……。
 果歩は、ぞっと背筋に寒気を感じている。そのたとえが、ちっとも大げさに感じられないのは何故だろう。ものすごく気持ちよく昇天させてくれそうな……。
「で、南原さんが、早速合コンのセッティングをしちゃったんですよ!」
 乃々子が、キャラに似合わず吐き捨てるような口調で言った。
「向こうの狙いは藤堂さんと前園さんですからね。2人の参加が必須って条件で……南原さん、ほんっと、馬鹿なんだから!」
「いっそ、殺してやりたいわ」
「ねぇ、コーヒーに何か混ぜるって言うのはどうかしら」
 初めて流奈と乃々子が共闘した―― その恐ろしい会話を、あえてスルーしつつ、果歩もまた、南原の藁人形に杭を打ち込みたい衝動に駆られている。
 いや、それにしても許せないのは藤堂だ。
 合コン??
 なんで??
 必要ないでしょ。私がいるのに―― 。
 もしかして、今月に入ってからの態度の変化や、仕事中のぼけっとした態度や、煮え切らない決済は、この合コンで浮ついていたせいなのかもしれない。
 3人揃ってむっつりしたまま給湯室を出ると、晃司がカウンターの傍らに立っていた。
「よう」軽く片手を挙げられる。
「どうしたの? うちに用事?」
 さすがに晃司相手に怒るわけにもいかず、少し表情を緩めて果歩が訊くと、晃司は少し面映ゆげに頭を掻いた。
「いや、南原さんに、今夜飲みに誘われてんだけど、少し遅くなりそうだから」
 先月、あれだけ抜け殻になっていた晃司は、何がきっかけだったのか、ある日突然蘇った。
 むしろ、以前より自信満々の態度で、人目もはばからず果歩に話しかけてくる。
「誤魔化さなくてもいいですよ。前園さん」
 そこで、流奈が冷やかに口を挟んだ。
「私も、的場さんも、もうぜーんぶ知ってます」
「お医者さんとナースと合コンですか。高校生の恋人がいるのに、いい気なもんですね」
 乃々子??
 凄まじい毒のこもった嫌味に、晃司もそうだが、果歩も凍りついている。
「てか、なんで女どもがイライラしてんだよ……」
 南原が、面倒そうに顔をあげた。「関係ねーだろ。別に前ちゃんが、お前らの彼氏ってわけでもねーんだから」
「何も前園さんのことを言ってるんじゃないですよ!」乃々子。
「前園さんなんて、全然関係ないじゃないですか!!」流奈。
 2人の剣幕が、いまひとつ理解できない果歩である。いや……私もここまで怒らなければいけないのだろうか。
 というより、ここでむしろ気の毒なのは、女2人に全否定された晃司のほうで……。
「あれ、総務課はここでいいのかな」
 聞き慣れない声がしたのは、その時だった。

 *************************

「あっ……」
 5時過ぎの来訪者に、声をあげて反応したのは果歩1人だった。
 緩いウェーブがかかった真黒な髪、濃くて深い目鼻だち、ひどく厚みのある唇。
 てかてかと黒光りしたスーツに、凶器みたいに先のとがった靴。――
 えーと、名前が出てこない。確か警察の……顔ばかりか名前もやや濃い目の……。
「緒方です」
 果歩が思い出す前に、男が自分の名前を名乗った。そして果歩の傍に近寄りながら、やけに親しげな笑いを浮かべる。
「やぁ、あの時は、大変お世話になりましたね」
「どうも……」
 なんで、警察の人が役所なんかに来るんだろう。悪いが、再会した嬉しさは皆無で、むしろ警戒心ばかりが先に立つ。
 果歩は、ちらっと、席についている大河内を見たが、彼もまた、不思議そうな眼でこの状況を見守っている。もしかして、この刑事さんと主査は初対面……?
 てっきり、先月起きた事件の担当でもしていたのかと思っていた果歩は、拍子抜けしている。
 それにしても、とんでもなく目立つ男の登場である。
「誰だ、あれ?」
「えらく濃い……リーマンじゃねぇだろ」
「なんだか、ヤ○○みたいですね」
 男たちがひそひそと囁き合っている。
「うーん……」
 そのハタ迷惑な注目を浴びている状況で、男は顎に手をあて、まじまじと果歩を見下ろした。
「君は、あひるだね」
「…………」は?
「でも、僕の前では白鳥なんだ。優雅で……とても美しい」
「…………」
 なんなの。この人。
「あっ、ちょっと待って」
「すみません、仕事があるので」
 果歩はそそくさとカウンターの中に逃げ込もうとしている。冗談じゃない。存在自体があっさりした松本さんの時でも、あれだけ噂になったのだ。なのに、こんな顔の濃い、存在感マンマンの、しかも警察の人なんかとおかしな噂が立ったりしたら―― 。
「実は、お誘いに来たんですよ。今日、僕は非番なんで、一緒にお酒でもどうかと思いまして」
 が、果歩の迷惑などこれっぽっちも顧みずに、ものすごくよく通る声で男は続けた。
「いや、2人じゃないですよ。僕もそこまで図々しくはないです。実はですね。今日一緒に飲みに行く約束をしていた人たちが……なんていうんですか、僕らの職業を聞いて、引いちゃいまして」
「なんですか、職業って」
 むっとした顔で口を挟んだのは晃司だった。晃司もまた、この人の顔を知らないのだと、果歩はますます意外な感に打たれている。
「あ、刑事です。ズキューン」
「…………」
「…………」
 キムヨナみたいに指でピストルを撃つ真似をした異相の男を、そこにいる全員が凍りついた目で見上げている。
 この人……へんだ。
 果歩はあとずさっていた。どうしよう、とんでもなく変なのと関わり合いになってしまった!
 が、このとんでもない状況を、あっさり理解した人が1人だけいた。
「もしかして、それって、刑事さんたちと合コンってことですか」流奈である。
「正解です。わぁ、君可愛いね。本当に公務員?」
「じゃ、私行こうかな。何人揃えたらいいですか」
「僕らは3人なんで、それ以上でお願いします」
「ふふ、やっぱり図々しいですね。判りました。ここにいる3人で参加します」
 え……?
 も、もしかして、私も頭数に入ってるの??
 さくさくと成立された契約に、果歩はただ、顎を落としているだけである。
「じゃ、7時に待ってますよ。お嬢さんがた」
 ひらひらっと手を振って、イタリアンテイストの刑事が去っていく……。
「……なんだよ、今の」
 ようやく魔法が解けたように、南原が言葉を発した。
「てか、お前らも随分軽いんだな。人のこと責めといて、初対面のヤローと合コンはねぇだろ」
「それこそ南原さんには関係ないじゃないですか!」
「私たちの勝手じゃないですか!」
 流奈と乃々子にいったい何があったのか。……果歩ひとり、この波に乗り切れていない気がするのは何故だろう。
 ようやく果歩は、藤堂の存在に思い至った。
 昼からずーーっと無視していたから、存在自体を忘れていた。これだけの騒ぎを、執務室にいた藤堂が気がつかないはずがない。
 が―― 彼は、顔さえあげてはいなかった。
 よほど仕事に没頭しているのか、それとも聞こえないふりをしているのか、淡々とした表情で、手元の書類をめくっている。
 なんなのよ。その態度。
 果歩は、怒りが腹の底からこみあげてくるのを感じていた。
 完全無視ってわけですか。自分が合コンに行くつもりだから? ええそうですか、だったら好きにさせてもらいますよ。私だって!
「おい、果歩、お前本当に行くのかよ」
 晃司が、不機嫌そうに囁いた時だった。
「へー、刑事さんとの合コンかぁ、そりゃまた、随分楽しそうね」
 カウンターの隅のほうから、やや皮肉っぽく口を挟んだ人がいる。振り返った果歩は今度こそ本当にびっくりした。
 いつからそこにいたのか、肘をついて見上げている―― 宮沢りょうである。
「りょう……どうしたの?」
「果歩に借りてたCD返そうと思って」
 ほいっと差し出された紙袋を、果歩は戸惑いながら受け取っている。
「いいわね、STORM」
「うん、最近気にいってるの」
 答えつつ、果歩は首をひねっている。CD返すって……りょうとは、やたら物の貸し借りをしているが、直接課に返しに来られたのは初めてだ。
 いきなり降臨した市役所一の美女―― 大げさでなく―― 市役所一の変わりもの―― それもある意味大げさでない―― 宮沢りょうに、おおっと総務全体がどよめいたのが判った。
「思いっきり引き立て役だよな」
「女は、自分より美人とは友達になりたがらないといいますけどねぇ」
 ひそひそと嫌味を飛ばす最低コンビを睨みつけておいてから、果歩はりょうに向きなかった。「聞いてた? 今の」
 果歩の背後では、何故か晃司が苦しそうに咳をしている。
「うん、聞いてた。面白そうだから、行くかな、私も」
「えっ、マジですか」流奈が嫌な顔をしたのは、ある意味同性なら当然の反応なのかもしれない。
「と、思ったけど、やーめた」
 何故か楽しそうに、りょうはくすっと笑って唇に指をあてた。
「言っとくけど、警察官なんて、常にリアル婚活中だからガツガツよ? 出会いが全然ないからね。数少ない合コンに、本気で老後を賭けてるの」
 そしてりょうは、その指で乃々子を指し、果歩を指し―― 流奈の前でそれを下ろした。
「さながら、狼の前の羊ってとこかしら……。じゃあね。楽しんできて」
 シーン…………。
 な、なんだろう。とてつもない大きな石を投げ込まれて去って行かれた気がするんだけど……。
「ま、的場さん、やっぱりやめたほうがいいんじゃないですか」
 何故か最初に席を立ったのが水原だった。
「市職員に警察はあいませんよ。もっと、つり合いのとれた相手を選らばなきゃ!」
 なんで、こんな年下男に諭されなければならないのか。
「別にいいんじゃねぇの、こいつらだって子供じゃ」
「駄目ですよ、絶対にダメです!」
 南原の呑気な声は、血相を変えた水原に遮られる。
「行きます。私」
 が、何故かそこで、毅然と言葉を発したのは乃々子だった。
「もう子供じゃありませんし、同じ公務員同士、全然似合ってると思います。ねっ、的場さん」
 私に振る……??
 が、果歩も、実のところ相当頭にきていた。これだけの騒ぎに眉ひとつ動かさない、藤堂の態度に、である。
「ええ、私たちもリアル婚活中ですからね。願ったりかなったりじゃないでしょうか」
 ああ……売り言葉に買い言葉……。
 後悔した刹那に、藤堂ががたっと席を立った。
 果歩はどきっとしているが、彼は書類を手にして、そのまま次長室に入っていく。
「……てか、それはお前1人だろ」
 南原が厭味ったらしく呟いたが、それはもう果歩の耳には届いていない。
 なんなのよ、藤堂さん。
 私たち、本当4月に戻っちゃったの?

 *************************
   
「余計なことをしないでくれ!」
 騒ぎが起きたのは、果歩が役所を出ようとした5分前のことだった。
 すでに南原、水原は合コンのために退席しており、計画係には新家と谷本、庶務係には果歩と大河内しか残っていない。
 声は―― 廊下から響いていた。中津川補佐の声である。
「なんで君が……いったい、なんの権利があって」
 声は怒りに震えている。
 案の定、真っ赤になった中津川が、大股で執務室に戻ってきて、背後には藤堂がついていた。
 藤堂さん、まだ帰っていなかったんだ。果歩は少し驚いている。
「何故私の仕事にケチをつける、いちいち細かく口を出すんだ? 26歳の若造が、役所のことなぞ、何もわかっておらんくせに!」
「お気を悪くされたなら謝ります」
 藤堂は、見ているこっちが腹立たしいほど低姿勢だった。
「補佐がお困りのように見えたので、出すぎた真似をしてしまいました」
「ああ、まったく出すぎているよ。君はなんだ? 神様か? 自分のしていることが全部正しいと思っているんだろう? まったく、たいした自信の持ち主だよ!」
 まだ残っている全員が、この突然の騒動を見守っている。
「わしは、もういらんらしいな」
 席についた中津川は、ひどく意地悪い笑みを浮かべた。
 その傍らで、藤堂は姿勢を正して立っている。
「なぁ、そうだろう? 藤堂君」
「そのようなことは……」
 いきなり、中津川は立ちあがった。その憤怒の表情に果歩は息を引いている。いかにも逆上した表情のまま、中津川は両手で卓上を薙ぎ払った。書類や筆記用具、ペットボトルなどが音をたてて転がり落ちる。
「心にもないことを、ぬけぬけと言うなっ!」
 その、凄まじい剣幕に、果歩も―― 周りの誰も、何も言えなくなっている。それどころか、局全体が凍りついたように静まり返っている。
 補佐…………。
 いったい、どうしてしまったんだろう。まさか、ここまで異常な行動を取るほど追いつめられていたなんて……。
 その時、どこかで携帯の着信音が鳴った。なんのへんてつもない、プププという音である。3度鳴って、すぐに切れる。
 中津川がポケットの中から携帯電話を取り出して、開いてからそれを閉じた。
 ひどくぼんやりとした表情のまま、中津川は低く呟いた。
「……もう、いいか」
 たちまちその表情は辛辣な笑みに変わり、中津川は開き直ったように着席した。
「もう、わしは、ここでの仕事は一切せんよ。どうせクビにはならんのだ。残りの役所人生、窓際でのんびり過ごさせてもらうさ」
 果歩は初めて、中津川の態度に尋常ならぬ異変を覚えていた。
 あの春日次長に異動を迫ったと言う―― てっきり春日の誇張だと思っていたが、どうやら本当だったらしい。
 今夜の態度も明らかに常軌を逸している。もしかすると、精神のどこかが壊れてしまったのだろうか……。
「ああ、年休が40日近く残っていたな。明日から全部消化させてもらうよ。むろん、正当な権利だね、藤堂君」
 藤堂は黙っている。
 様子を見守る、新家と谷本はすでに蒼白になっている。
 議会、年末、そして来年度の予算や計画の調整が大詰めのこの時期―― 補佐が抜けるということは、総務課全体が崩壊してしまうに等しい。
 なにより、一刻の猶予もないのが、駅前再開発計画に係る予算を議会に通してしまうことである。市長が再選を賭けている市を挙げてのプロジェクト―― 万が一失敗すれば、春日以下、課長、補佐、全員が大げさでなく島流しだ。
「仕事は、なんとかなるでしょう」
 が、極めて静かな口調で藤堂は言った。
「僕が抜けても、補佐が抜けられてもです。組織というのは、本来そういう風にできている」
「そんなことはな!」
 だん、と中津川がテーブルを叩いた。
「貴様なんぞに言われなくても、わかっている!」
「失礼しました。……庶務担当として申し上げました。ですから、お疲れがとれるまで、休んでいただいて構わない、という意味です」
「お、おい、藤堂さん」
 慌てて口を挟んだのは、その余波を一番被るであろう谷本である。
「でも、休んでリフレッシュされたら、ぜひ、戻ってきてください。僕はまだ若輩で、役所のしきたりもよくわかりません。仕事の代わりはできても、補佐の代わりにはならないですから」
「君の口のうまさに、この課の誰もが騙されているようだがね」
 が、藤堂の真摯さも、中津川にはまるで伝わっていないようだった。
「わしはそうはいかんよ。前も言った。わしは君とは違うんだ。わしに戻って欲しいだと? そんな心にもないことをぬけぬけと言うならな、的場君を再びお茶汲みに戻したまえ」
 あまりに意外な―― 意外というより、いっそ幼稚な要求に、藤堂は一瞬言葉につまり、補佐の味方をするつもりだった谷本も新家も気色ばんでいた。
「わしは、女と一緒に仕事をするのはすかん。女は男の補佐であり、決して表に出てはならんのだ。この局は、ずっとそのやり方で上手くいっておった。それを、外部から来た貴様などに、安易に変えて欲しくはない」
「補佐……いくらなんでも、時代錯誤ですよ」
 ためらいがちに、新家主査が口を挟んだ。
「うちは、そういう職場だって思ってたから、僕らも特段何も感じなかったですけど、他の部署でそんな理屈、今の時代通じませんって」
「だったら、わしが去ればいいんだろう」
 ふてぶてしく中津川は笑った。「だから最初からそう言っておるんだ。それを、この大男が、偽善者ぶって止めたんだろうが」
 果歩は、何も言えなくなっていた。自分のことをお茶汲みだなんて―― ああもばっさり言われたのは初めてだ。中津川は最初から、果歩をそういう目でしか見てはいなかったのだろうか。
 誰もが言葉が繋げない中、中津川はふてくされたように腕を組んだ。
「君は庶務係長として、仕事の流れを円滑にしていく義務があるんじゃなかったかね。わしをとるか、的場君をとるか、だ。好きにしたまえ、わしはもう―― 」
 どうでもいい。
 最後は呟くように言って、中津川は席を立った。


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