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年下の上司 story10〜 DecemberA

史上最低のクリスマス トラウマがソリに乗ってやってくる(2)


「うん、悪くないと思う」
 呟いた五条原補佐は、何度か頷く素振りをみせて、藤堂に向きなおった。
「しかし、この短い間に、さすがというか、なんというか……」
 声には、抑えきれない感嘆が滲んでいる。
「我々事業課以上に、この事業計画の本質を掴んでいるような気がするよ。うん、この線で進めてもいいと思う」
「では、よろしくお願いします」
「いや、こちらこそ」
 補佐が立ちあがったので、同席していた晃司も仕方なく立ち上がった。よりにもよって、2歳年下の木偶の棒に頭を下げるために。
「しかし、中津川さんの急病騒ぎで、どうなることかと思ったが」
 これで山場を超えた安堵からか、補佐の口調は滑らかだった。
「案外、代わりなど、どうにでもなるものなんだね。計画係は、中津川さんで持っているような気がしていたが、どうしてどうして」
 晃司はちらっと、ほめちぎられている男を見る。
 その男はわずかにうつむき、控え目に微笑している。―― その控え目さ加減が、晃司にはむしずが走るほど嫌なのだった。
 もっと堂々と喜ぶなり野心むき出しの顔なりをすればいいのに、僕なんてまだまだですと、心にもない遠慮を浮かべているところが腹だたしい。
  テスト前に全く勉強していないと言いつつ、しれっと百点を取る輩に似ている。
 ――やっぱり、俺はこいつが嫌いだ。
 晃司は改めて再確認した。たった1日で、財政から突き返された説明書を、完璧に直してきたあたりも気に入らない。原案を作ったのは、晃司である。
「中津川さんも来年はそろそろ異動だろうし、そうなれば、君が計画係長ということも十分考えられるね」
 今やすっかり藤堂びいきになった補佐に、晃司は「そうですね」と笑顔で相槌を打ちつつ、心の中で呪詛の念を送り続けた。
 ―― 冗談じゃない、そんなことになられてたまるか!
 そんなことになれば、晃司の直のラインが藤堂ということになる。晃司が作った書類をいちいちチェックして、上目線で突き返してくるというわけだ。……今回みたいに。
 絶対に、嫌だ。
「ちょっと、藤堂さん」
 補佐が先に席を立った後、晃司はいかにも愛想よく藤堂を呼びとめた。
「よかったら、お昼一緒にどうですか」
「………」一瞬、不思議そうな間があった。
「はぁ、お昼ですか」
 くそ、まさかと思うが須藤なんかと一緒にすんなよ。何もお前に惚れてるわけじゃないんだからな。―― と、くだらない反発を覚えつつ、晃司はさらに笑って見せた。
「今回の件で、個人的に、藤堂さんのご意見をお伺いしたいんです。これから一緒に仕事をしていくことになるんですから、一度くらい親交を深めておいてもいいでしょう」
「そうですね」
 特に考える風でもなく、あっさりと藤堂は頷いた。
「庁内にしますか」
「いえ、時々利用してる定食屋があるんで、よければ案内しますよ」
 おごらねぇけどな。いくらお前が後輩でも。
「じゃあ、お昼に」
 互いの胸の底を一切見せず、2人は微笑して会議室を後にした。
 
 *************************

「うちじゃ病気って伝わってるけど、嘘なんだろ」
 態度と口調をいきなり変えても、目の前に座る男に、さほど感情の変化はないようだった。
「水原君に続いて補佐もかよ。お前が総務にきて、ろくでもないことばっか起きてんな」
「そうかもしれません」
「…………」
 口調は神妙だが、食事をたいらげる早さに、晃司はややたじろいでいる。役所裏のカツ丼屋。昼時は満員で、殆ど市職員で占められていた。
「すみません、ご飯のおかわりいいですか」
 えっ、まだ食うのかよ……。
 いや、ここでびびってどうする、俺。晃司はさっと丼を突きだしていた。
「僕も、お代わりお願いします!」
 負けられねぇ、たとえそれが、どの分野であっても。
 競争心むき出しの目で、晃司は目の前の男を睨みつけた。
 せっかく身体を売って得た情報だ。最大限、俺の有利に使ってやる。―― と思っていたのは、実のところ先夜までだった。
 ――これは……もう、駆け引きとかそういう問題じゃねぇだろ。
 あまりのことの大きさに、晃司も内心ではびびっている。心配なのは、またぞろ果歩が余計なおせっかいをしでかさないかということで、今日晃司は、先手を打って封じ込めに出たのだった。
「お前がどこまで掴んでいるか知らないけどな。補佐、ただの病気じゃないぜ」
 じわじわと焦らしてやろうと思ったが、持ち前の短気さ―― ただし無自覚の―― から、いきなり核心に触れていた。
 藤堂は無言のまま、黙々とご飯を口に運んでいる。
 あたかも、それくらいは知っていますよ、と言われているような気がして、晃司はますますむっときていた。
「いっとくけど、これがバレちまったら、大河内さんどころの騒ぎじゃないからな! 相手は女子高生売春の胴締めやってるヤクザだよ。警察だって黙殺してるって噂があるほどだ」
「…………」
 初めて藤堂の箸が止まった。
「なんのお話ですか」
 そこまでは知らなかったか。
 優位に立ったことから、晃司の心に初めて余裕が生まれている。
「だから、中津川さんがデリってる女子高生の話だよ」
「………デリってる」
「ネットで調べてみろ、木偶の棒」
「…………」
「簡単に言えば、中津川さんが女子高生を金で買ってるって話だよ。それだけならよくある―― いや、あっちゃいけねぇけど、その相手のパックにヤーさんがついてて、下手すりゃ退職金までがっぽり持ってかれるって話をしてんだよ」
「……………」
 藤堂の表情が、みるみる険しくなるのが心地よかった。
「まぁ、下手に庇ったり、巻き込まれたりしないことだな」
 そう締めくくり、晃司は、湯飲みの茶を一口すすった。
 少なくとも―― いや、絶対に、果歩だけは巻き込んでほしくない。
 藤堂は黙りこくっている。眉を寄せたまま沈思している。その沈黙が、次第に晃司には気まずくなっている。おい、早く何かしゃべれよ、木偶の棒!
「どこで、その話を知りました」
「どこでもいいだろ。極めて信頼できる筋からだよ」
 そう言っていいかどうかは微妙だが。
「仮に上から確認を求められても、俺は絶対に口を割らないからな。今日、ここで話したことは、全部この瞬間限りのものだ」
「…………」
「補佐がどうなるのかは知らないけどさ、……いや、もしかすると、お前は放っとかないのかもしれないけど」
 というより、聞いた以上放ってはおけないだろう。
 万が一、これが警察沙汰にでもなれば、先月の事件もあいまって大変な騒動になる。藤堂としては、それだけは避けたいだろうし、晃司にしてもあんな騒ぎは二度とごめんだ。
 事前になんらかの手を打つか―― 。
 が、相手にヤーさんが絡んでいるとなると、個人で動くのは難しい。しかし、だといって公にすると、どこかから情報がマスコミにリークされないとも限らない。
 一番いいのは、補佐のクビを切ることだろうと晃司は思っている。
 こいつは……どう思っているんだろう。
「いいか、今度という今度は、絶対に果歩を道連れにすんなよ。俺が言いたいのはそれだけだ。補佐を説得するなり更生させるなり、お前の好きにすればいい―― でもな、絶対に果歩だけは巻き込むな!」
 
 *************************

「どうしたんですか、難しい顔をして」
 不意に声をかけられ、藤堂は少し驚いて顔を上げた。
 午後9時少し前。定時退庁日とあって、今日は珍しく全員が8時過ぎには役所を出た。
 少し離れた場所で、控え目に立っているのはつい先ほど「失礼します」と退席したはずの的場果歩だった。
「あ、私なら忘れものです。家のカギ忘れちゃって」
 藤堂の視線に気づいたのか、果歩は慌てて机の引き出しを開け始める。それが言い訳なのはすぐに判った。
 今日一日、彼女がずっともの言いたげだったのは感じている。藤堂は苦笑して、少し意地悪く聞いていた。
「一緒に探しましょうか」
「あっ、いえいえ、ありました」
 藤堂が立ちあがると、果歩は、慌てたように鍵を照明に閃かせる。
 その後に訪れた沈黙は、藤堂には心地よかったが、果歩にはなんとも気づまりのようだった。
「あの……何か、悩み事ですか」
「最近は、悩みがない日のほうが珍しいですからね」
 藤堂は微かに笑って席についた。
「でも、ご心配いただくようなことは、何もありませんよ」
「もしかして、補佐のことでしょうか? 今日で4日もお休みですけど……」
 そのことを、果歩がずっと気にかけていたと知っている藤堂は、笑顔で、彼女の不安を遮った。
「補佐の件なら、僕に任せるという話ではありませんでしたか」
「えっ、まぁ、それはそうなんですけど」
「的場さんが採点してくれるという話でしたよ」
 多分、その約束をした日のことを思い出したのか、彼女はみるみる赤くなると、言葉に窮したように咳き込んだ。
 と、そんなつもりはなかった―― 藤堂も、その羞恥がにわかに伝染したように、少しばかり身体が熱くなっている。
 それを誤魔化すように軽く咳をしながら、昼間聞いた前園晃司の言葉を思い出していた。―― いいか、今度という今度は、絶対に果歩を道連れにすんなよ。
「……気にされることはないですよ」
 冷静さを取り戻して、藤堂は言った。
「今回は的場さんは、黙って見守っていて下さい」
「まぁ……そう言われるとは思っていたんですけど」
 不満そうにつぶやいた果歩は、ふと気がついたように、声をひそめた。
「あ、そうだ。昨日から補佐の休暇伺いが回ってこなくなったんですけど、どうなってるんですか」
「保留しているんですよ」藤堂は淡々と答えた。
「診断書が出て、病休になるかもしれませんので」
 休暇伺いは、最後は庶務の的場果歩にまわされ、彼女が出勤簿にその旨を記載することになっている。
「それにしても、早くしてもらわないと」
 果歩はますます声をひそめる。「内部だから黙認しますけど、遡って病休なんて認められないですよ。それまでは、年休扱いにしておかないと」
「わかっています。的場さんに迷惑はかけませんよ」
「……なんか、やっぱり元気がないみたい」
「そんなことないですよ」藤堂は立ち上がった。
「昼食を外で食べたせいで、あまり食べられなかったからかな」
「そうなんですか。珍しく外に出られたんだなーとは思ってましたけど」
 そこで何かを思い出したのか、果歩は、ふと指を顎にあてた。
「そういえば、逆に前園さんは食べ過ぎでダウンしてたみたいです。なんだかすごく大盛りのご飯を出す店だって……、今度、どこか聞いてみてあげましょうか」
「………いえ、結構です」
 わずかに浮かんだ笑いをかみ殺し、藤堂は机の上を片付けはじめた。
「的場さん」
「は、はい」
「これから少し……今週いっぱいくらい、僕は、家の用事があるので」
 彼女の表情が曇るのが判ったが、藤堂は気づかないふりで続けた。
「少しばかり、早く帰らせてもらうかもしれません。今そういった余裕がある時期でないのはよく判っていますが、たまった仕事は、夜にでも出てきてやりますので」
「それは……構わないですけど」
 自分の言動に、彼女が不審を感じているのがはっきりと判った。
「だったら、私にも少しは手伝わせてください。最近の藤堂さん、いつも以上にオーバーワーク気味に思えて、心配なんです」
「的場さんには、十分手伝ってもらっていますよ」
 藤堂は笑った。
「庶務の仕事にまで手が回らないので、その分、しっかりフォローしてもらってます。本当に随分助かっているんですよ」
「藤堂さ」
「的場さん」藤堂は明るく遮っていた。
「ご心配いただくのはありがたいのですが、しぼらくの間だけ、僕を放っておいてくれませんか」
「………でも」
「僕は採点される側でしょう。的場さんは採点者だ。―― 一緒に行動するのは、フェアじゃないです」
「何か、なさるつもりなんですか」
「何も、ただ、考えたいだけですよ」
 それでも、彼女がひどくしおれているのが気の毒になって、藤堂は言葉を繋いでいた。「クリスマスは、僕が予定を考えますよ」
「えっ……」
「その頃には、きっと何もかも上手くいっています。それまで……待っていて下さい」

 *************************

 北区郊外の住宅外。
 その片隅に、中津川家はあった。
 随分と古びている。木造で、築30年は超えているだろう。
 ブロック塀で囲まれ、門扉からすぐの傍に玄関がある。人一人通れるか通れないかの狭い庭には、ところせましと鉢植えが並べてあって、そのいくつかは朽ちていた。
 玄関灯を含め、一切の照明が落とされている。カーテンが締め切られた2階建の住宅を見上げながら、藤堂は中津川家の世帯構成を思い出していた。
 同年代の妻と、結婚して別世帯になった娘が1人。実質、夫婦2人暮らしのはずだった。
 が、何度電話しても、なんら反応が返ってこないばかりか、この家からは、生活の匂いがまるでしない―― 。
 ポストをそっと窺ってみると、今日分の新聞とDMが積み重なっているようだった。
 家を訪ねればなんとかなると思っていたわけではないが、この時間に誰もいないとは少しばかりあてが外れた気分である。電話には出ないまでも、せめて妻なりが在宅していると思ったのだが―― 。
 藤堂は軽く嘆息した。
 どのみち、今日までの新聞がなくなっているということは、少なくとも日に一回は誰かが帰宅しているとみていいだろう。
 どうする。
 補佐が帰るまで、どこかで待つか。
 とはいえ、その選択は、藤堂の立場が若干危うくなりそうだった。今も、通りすがりのOLが、訝しむように振り返っている。
 この大きな図体はどこにいても目立つ上に、夜の住宅街でうろうろしていたら―― まず、藤堂が通報されてしまうだろう。
 かといって、周辺は家ばかりで、時間を潰せるような場所もありそうもない。
 困ったな。
 藤堂は少しばかり沈思した。向こうは俺を避けているだろうし、家の前で堂々と待つのは得策じゃない。変装……いや、どう考えてもそれは無理だ。むしろ、返って不審者度が増していく……。
 次長の言うリミットまではあと3日。それまでに補佐と連絡を取って、最低限でも年休伺いを出させなければ―― 。
「どなた?」
 背後から声がして、藤堂はぎょっとして振り返っていた。
「ここは、私の家ですけど、何の御用?!」
 背の低い、いってみれば猿人―― 失礼、とにかくそんな雰囲気の老婆が、殺気を全身にみなぎらせて立っている。手は大きく降りあげられ、しっかとバックを掴んでいる。
 その険を帯びた眉の寄せ方がそっくりだった。夫婦は似てくるというけれど――。
「中津川さんですか。僕は市役所」
 その時には、女のバッグが、藤堂の胸元めがけて振り下ろされていた。
「ドロボー!!」
「いっ、いえ、違います、いてっ、ちょっと冷静に話を―― 」
 周囲の家の玄関灯がぱちぱちとついた。
「なんだなんだ」
「泥棒か?」
 角のとがったバッグでやたらめったら叩かれながら、藤堂は愕然としている。いまだかつて、こんな間抜けな状況に陥ったことなどあっただろうか。
「おい、なんだなんだ」
「中津川さんとこにドロボーだとよ」
「警察に連絡したほうがいいんじゃないか?」
「違うんです。僕は役所の―― 」
 その時、かなりの勢いをつけたバッグが、まともに顔に飛んできた。眼鏡が吹き飛び、ちかちかっと火花みたいなものが散った。
 ぐしゃっとそれが、乱闘? に加わった誰かの足で踏みつぶされている。
 ――ま、参ったな。
 およそ、考え得る限り最低の展開になってしまったが―― 。  



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