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年下の上司 story10〜 DecemberA

史上最低のクリスマス トラウマがソリに乗ってやってくる(5)


「的場さん」
 爽やかに呼びかけられて、あー、今朝はだるいわ……生理2日目ってマジ最低……生理休暇なんて無駄な休暇、いったい誰が考えたんだろう。男性上司にそんなものどんな顔して回せばいいってのよ、全く。―― と考えていた果歩は、ぎょっとして顔をあげた。
「あ、お、おはようございます」
 給湯室。
 その男性上司が、目の前に立っている。
「おはようございます」
 いつにない清々しさで、にっこりと笑いかけると、藤堂は袖をまくって戸棚からカップを出し始めた。
 なんだろう。何かいいことでもあったかな?
 昨夜は、そういえば珍しく戻って来なかった。果歩の携帯に連絡があって、今夜は戻れそうもないので、机の上の決裁だけ収めておいてくださいとの指示があった。
 もしかして、ずっと抱えていた何かの悩みの、その答えが出たのだろうか。
「的場さん」彼が、再度果歩の名を呼んだ。
「……すみませんでした」
 ――え ?
 何故に謝罪?
 振り返ると、藤堂はカップを出す手をとめ、果歩に向きなおってわずかに頭を下げていた。
「ここ数日……色々、僕1人が思い詰めたり、突っ走ったりしていて……」
「…………」
 はぁ。
 よく判らないけど、どのあたりが思い詰めたり、突っ走ったり?
「あれから少し距離を開けて考えて、ようやく頭の中がすっきりしました。もう、あんな過ちは二度と犯しません!」
 きっぱりと真顔で断言され、果歩は、逆に混乱している。
 え、それは……なになに? 過ちって、まさかと思うけど、あの夜のこと?
「今年もあとわずかですしね」
 果歩の動揺もよそに、藤堂は実にすっきりした顔で微笑した。
「来年は、ますます気を引き締めて頑張ります」
 いや…………。
 そんな決意、いらないし…………。
「あの……じゃ、」
 クリスマスは?
 藤堂さんが、計画してくれるって言った、クリスマスはどうなるの?
「あ、そうだ、的場さん、クリスマスなんですけどね」
 まるで心を読まれたみたいに、いきなり藤堂が切り出した。その時、「おはよーございまーす」と流奈が入ってきたので、果歩は慌てて、藤堂に手でバツ印を送っている。
 が、彼は訝しげな目で続けた。
「実は、すごくいい計画を思いついたんですよ。昨日買ったタウン誌に出ていたんですが……」

 *************************

「釣りですか」
「乃々子、行く?」
「え、みなさん……行かれるんですか?」
「まぁ、補佐と係長の発案だし、なんかこう、ずっとぎくしゃくしてた課が、ようやくひとつになった的なイベントだから」
 果歩を見上げ、乃々子は初めて眉を寄せた。
「……なんだか的場さん、やさぐれてません?」
 午前中、急な会議と来客が立て込み、執務室には果歩1人になっている。
「そう? 気のせいよ」
「そうかなぁ、……まぁ、行ってもいいですけど、釣り道具とか持ってなくても、大丈夫ですかね」
「そんなもの、普通の女子は持ってないわよ。流奈は張り切ってウェア……ってそんなものあるの? 釣りの世界に」
「さぁ……」
「まぁ、なんだか全部揃えるって張りきってたから、私たちも負けずに何か買いに行く?」
「てか、須藤さんも参加ですか?」
「その場にいたからね。まぁ、仕方ないっていうか、無神経っていうか……」
 藤堂さんが。
「冬釣りかぁ……寒そうですね」
 と、言いながらも、乃々子はなんだか嬉しそうだった。
「…………」
 果歩は憮然としつつ、乃々子から受け取った報告もののチェックをはじめた。
 それ以前にクリスマスイブに釣りよ? まずはそこにつっこんでよ。
 そもそも、いったい、なんだってこんな結末になってしまったのか―― 。
 パーティションに仕切られた奥の会議スペースでは、藤堂と中津川、そして谷本主幹の3人が、顔を突き合わせるようにして協議をしている。
 時折「何を言っとるんだ、君は」「君のような若造が口を出すことではない」という中津川の、以前と全く変わらない皮肉や嫌味が飛んでいる。
 藤堂は、さほどこたえた様子もなく、「はぁ、しかしですね」「それでも、少しおかしいと思うのは―― 」と、のらりくらりと粘り強さを発揮している。
 ま、いいか。
 結局何が起きたのかよく判らなかったけど、ひとまず、元通りってことで。
 ――まぁ、……少しは進化したのかな。
(24日に、課のみなさんで、海釣りに行きませんか)
 今朝、藤堂が、多分全員にとって唐突に言い出した時、最初は全員が「は?」「すみません、用事があるんで」「なんだって釣り? イブにそんな暇人いねーよ」
 という反応だった。が――
(補佐が、いい釣り場をご存じのようなので)藤堂は続けた。
(船もチャーターしてくださるそうですし、どうですか、みなさん)
 その途端、谷本主幹と新家主査が相次いで手を挙げた。
(行きますよ、そういうことなら)
(いやぁ、冬の海釣りなんて何年ぶりですかねぇ)
 その空気を機敏に読んだ水原も手を挙げた。
(南原さん、僕、合コンキャンセルします!)
(ええっ、水原、それはねぇだろ)
 そして、補佐以下全員の参加が決まったのだった。
 果歩の参加は、流奈が参戦した時点で決まっている。
 期待が大きかった分、あまりといえばあまりの結末であったが、課のみんなが……実のところ、ずっと中津川のことを気にかけていて、今回の藤堂の提案を、積極的に受け入れてくれたのは嬉しかった。
 気のせいかもしれないが、コーヒー事件以来、ずっとしこりになっていた課内の大きな溝が、なくなったような気がする。
 むろん、コーヒーに関しては補佐は相変わらずで、今日もペットボトルを持参しているようだったが。
 ――にしても、釣りかぁ……やったことないけど、少なくともスポーツとは違うわよね。ただ釣り糸垂らしてりゃいいんだろうし、私でも大丈夫かな。
 しかし、恋という名の釣り糸には、余計なものばかり引っかかってくる昨今、本番でも、全く釣れる気がしないのは何故だろう。――
 
 *************************

 とはいえその週の土曜には、果歩は乃々子を連れて市内のスポーツショップを訪れていた。
 行くと決めた以上、完璧な装備(ただし、防寒という意味ではなく)で挑みたいのは、独身女性に共通する乙女心である。
「ボーナス出たばかりで、助かりましたね」
「そうね、イブなんだし、気合いいれなきゃ!」
 市内屈指のスポーツ量販店は、休みの日とあって、かなり込み合っていた。
 むろん、人気コーナーはスノボやスキーなどのウインタースポーツで、釣りコーナーなど……探すのに、ものすごく苦労したほどだ。
「あまり可愛いのないなぁ」
「スノボ用の防寒着とかでもよくありません? 何も釣りにこだわらなくても……」
「そうねぇ」
 人ごみを縫って移動しようとした時だった。
 ふと、果歩は目を止めていた。
 少し離れた場所に、仲睦まじく腕を組んで歩いているカップルがいる。
 不機嫌そうな男のほうが、少しばかり晃司に似てるな、と、思いつつ、視線を元通り乃々子に戻した。
「時間あったら、別の店にも行ってみる?」
「そうですね、……あれ? あの人、前園さんじゃありません?」
「いや、私も似てると思ったけど」
「いや……多分本人ですよ、だって」
 その時には、晃司の連れのほうが、果歩たちに気がついていた。
「あっ、お姉さん!」
 ぎょっと、果歩は凍りついている。まさかと思うけどこの声は……。
「お姉さん、こっちこっち。わぁ、奇遇ですねぇ、こんな所でお会いするなんて思わなかったな」
 長妻真央……。
 バニラ色の袖なしダウンに、プリーツの入ったミニスカート、ムートンブーツという、思いっきり可愛らしいスタイルである。
「今日はお兄さんとデートなんですよぉ、ねっ、お兄さん」
「か……果歩」
 片や晃司は、蒼白になっていた。口を死にかけの魚みたいにパクパクさせて、何かを必死に訴えているのが判る。
 晃司…………。
 あんたの二股ぐせ……本当に直らないんだね。わかってるわよ、最近の晃司には借りばっかだから、安藤さんには絶対言ったりしないから。
「じゃっ」
 にこっと笑った長妻真央は、そのまま晃司の腕をからめとって歩き出した。死刑執行される死刑囚みたいな形相で晃司は振り返り、必死で口を動かしている。
 果歩は、安心して、と目で伝えて頷いてあげた。
 しかし……情けない。女子高生にまでいいようにされているとは……最近の晃司はどうなってるの?
「何か、誤解だとか、これにはわけが、とか、そんな風に言ってるような気がしましたけど」
 乃々子が不思議そうに呟いた。
「あと、聞き違いじゃなかったら、お前のためを思って、とか……意味判ります?」
「……? さぁ、まぁ私、なんだか意味もなく前園さんの彼女に睨まれてるみたいだから、そっち系かな」
「えっ、あの人彼女がいるんですか」
「あれー? 知らなかった? 秘書課の安藤さんとつきあってるみたいだよ」
「えーーっ、すごいニュースじゃないですか、それ」
 女子の口の軽さを晃司は知らない。
 にしても、本当に情けないなぁ。
 果歩は嘆息して、「じゃ、別の店に行こうか」頭をさっさと切り替えた。

 *************************

「ふざけんな、なんなんだ、あのジジィ、冗談じゃねぇぞ」
 息まいて、椅子を蹴りあげる友達を、蒼衣は冷めた目で見つめていた。
「ま、しょーがないじゃん、あんな形で逃げられちゃったんだし」
「今月の上納が滞ってんだよ」
 舌打ちをしながら立ち上がったのは、ヒデと呼ばれる、この中ではリーダー格の男だった。色白で、一見、ほっそりとした長身の優男だが、一度切れると見境がなくなるため、蒼衣が一番警戒している相手である。
「蒼衣、お前、相手の連絡先、全部つかんでんだろ? いっちょ、脅しかけて呼び出してこいよ」
「あのオジサンはよしとこうよ」
 肩をすくめて蒼衣は言った。
「もともとお花畑の客じゃないもん。パチった財布届けただけ。まぁ、中身があんまショボかったんで、いくらかぼったくろうと思って持ってったんだけどさ」
「あのオヤジ、年甲斐もなくお前に本気で惚れてるみたいだったしな」
 にやっと笑い、ヒデは蒼衣をねめつけた。
「君は騙されているんだには、マジ受けた。お前、どんだけいい子になってたんだよ」
「きしょいっつーの。だからもう、あんな面倒なのはゴメンだよ、悪いけど二度と関わり合いたくない」
「それでも、客にしようと思ってつきまとってたんだろ?」
「…………」
(あの時は、じろじろ見てしまってすまなかったね)
(なんでだろう。嫁にいった娘がそこにいるような気がしたんだ……錯覚だがね、君の雰囲気が、娘にひどくよく似ていたから)
(……今月だけでいいんだ。わしと少し、つきあってくれんかね。いや、間違ってもおかしな意味で言っているんじゃないぞ)
「あのデカいサンタも、役所の奴だろ?」
 仲間の一人の声で、蒼衣は我に返っている。
「あのオヤジのこと、補佐って言ってたからな。あんだけデカイ奴はそういないだろ。探り入れたら、もう1人カモが引っかかるかもしんねぇぞ」
「よしとこうよ、もう」
 うんざりしながら蒼衣は言った。
「警察が動いてんの、知ってるでしょ? お花場畑はもうやばいって。早くばっくれたほうが正解だと思うけどな」
「……いつから、俺に意見できるようになったよ」
 冷たいヘビにも似た目で見つめられて、蒼衣は身を強張らせていた。
「お前は、俺らの言うとおりにしときゃいいんだよ。とっととオッサン呼び出してこい。でなきゃ、どうなるか判ってんだろうな」
「はいはい、そこまで〜」
 陽気な声が、陰鬱な空気を切り裂いた。文字通り切り裂くようにして、闇が開け、閉ざされた店内に、外の明かりが差しこんでくる。
「ちょっ、なんだよ、あんたら」
「警察です」
 2人の男が立っていた。2人だが、圧倒的な存在感と迫力がある。
 こう言う場面に立ちあったことが一度ではない蒼衣は、即座に彼らがマル暴の連中だと理解した。逃げようとしたところを、腕を後ろから取られている。
「ちょっ、あたしは無関係だよ」
「心配しなくても、何も補導しに来たわけじゃないよ」
 腕を掴まれた背後から、やや呆れたような声がする。
「僕らが、何かしましたかね、おまわりさん」
 蒼衣よりさらに場慣れしているのか、ヒデは落ち着きはらっていた。
「見てのとおり、毎日、古着屋で、汗水たらして働いてるだけですけどね」
「もちろん僕らも、真面目な納税者相手に、無茶なケンカ売ったりはしませんよ」
 大柄な私服警察官は、とぼけたように言って肩をすくめる。
「なぁんだ、緒形さんか」
 不意に、仲間の1人が気が抜けたように呟いた。
「ひどいな、俺ら顔馴染みじゃないっすか。いつも協力してんのに、いきなり踏み込むってのはルール違反っしょ」
「警察はルールを破りませんよ?」
 妙なリズムを持つ男は、そう言って目を細めた。
「ただし、そっちが、ルールを護ってくれればね」
 ――なんだ、こいつらもこっち側なんじゃん。
 警察の一部が裏世界に取り込まれていることは、蒼衣のような末端でも知っている。
 だから、正義の味方を無条件に信じてはいけないことも、骨身に染みてよく判っている。
「実は、ある筋から通報がありましてね。少しばかり放っておけない事態になったんですよ」
 意味深なことを言って、警察手帳をくるくるっと回すと、男は、それをマジシャンみたいにポケットにおさめた。
 蒼衣はもう1人の刑事に腕を取られたまま、日本人離れした容貌を持つその男を見上げている。
「任動かけてもいいと思いますけどね」
 背後の刑事が不服そうに呟いた。「そいつら、叩けばいくらでも埃が出てきますよ、多分」
「三宅君、君はその子を保護して家まで送り届けてあげて」
「へいへい」
「それから、次に同じことしたら、即少年院だってよく教えといてあげて」
「刑事さん、意味、わかんないんスけど」
 ヒデが笑いながら口を挟んだ。「その子、俺らの友達で、ただ一緒にだべってただけですよ」
「未成年を巻き込んじゃいけないなぁ」
 にこっと、初めて優しげに緒方と呼ばれた刑事は笑った。
「そいつは、ちょっとしたルール違反だ。今日はね、忠告に伺ったんですよ」
 が、蒼衣には、その笑顔はむしろどんな悪党よりも恐ろしく見えた。
 こいつは、単にこっち側に取り込まれた警察官なんかじゃない。
 犬の仮面を被った、狼だ。
「三宅君、その子を早く」
「はい」
 後ろからひっぱられ、蒼衣は若い刑事に引きずられて外に出される。
「あんたもグル?」
 振り返った蒼衣は、三宅と呼ばれた刑事を睨みつけた。
 刑事にしてはまともな男の顔をしている。凛とした眉、精悍な目、がっしりした唇、見かけは正義の味方みたいだ。
「あんたの連れ、上の連中と通じてんでしょ、それくらい判ってるよ」
 男の眉がたちまち険しく跳ね上がった。
「ガキ、知った風な口を叩くな」
「そんなことより、あのオジサンに手を出さないように言ってやってよ。忠告ってそんな温いことやってる場合?」
「……悪いが、俺らの相手は、お前らみたいな雑魚でもゴミでもないんだよ」
 凄味を帯びた目に、蒼衣は何も言えなくなっている。
「二度と滅多なことは言うなよ、本当に鑑別所にぶちこんでやるからな!」
 
 *************************

「そういえば、こないだのお連れさん、どうなりました?」
 マスターに声をかけられ、水割りのグラスを唇につけていたりょうは、顔を上げた。
 世間的にはクリスマスイブイブの夜。
 ショットバー「Dark clow」。
 なんだってこんな美人に、イブもクリスマスも、仕事の予定しか入っていないんだろう――と、ふと不思議な現実に立ち返っていた時だった。
「誰の話?」
 りょうが訊くと、クリスタルグラスを磨いていた黒服の男は微笑した。
「宮沢さんと年が同じくらいの、チャーミングなお嬢さんですよ」
「ああ、果歩」
 上目遣いに、すっかり馴染みになった男を見上げる。
「マスター、もしかして、あの時の話、聞いてたんだ」
 ホームズとワトソンの会話―― 。
 ワトソンが延々と語った愚痴だかのろけだか判らない謎を、ホームズが完全無視した夜のことである。
「とても面白そうなお話だったので」
「じゃあ、モリアリティ教授に質問」
 グラスを置いて、りょうは肘をついて頬を支えた。
「果歩は、誘惑に弱い犬だって言ってたけど、寝ている時に気配を感じて、いきなりその気になっちゃうもの?」
「気配というより、香りでしたね」
「ああ、そう、匂いね」
 マスターは微笑した。
「普段からその状況を、頭の中で何度も想像していたら、起こっても不思議ではないと思いますね」
「匂いだけで?」
「匂いだけで」磨きあげたグラスを、棚にしまう。「勃ちますよ、男は」
「はっきり言うなぁ」
 くすくすとりょうは笑った。元々男か女か判らない不思議な雰囲気を持っているマスターだけに、そんな言葉にもあまり抵抗を感じない。
「じゃ、果歩だって判ってたってこと?」
「ですから、普段からそうだったんじゃないかと」
「普段……」
「すれ違う残り香を感じただけで、その人が欲しくなっていたんじゃないですか」
「それ、果歩に聞かせてあげたいわ」
 りょうは軽く肩をすくめた。どっちの罪が重いか、判ってるのかしら、本当に。
「じゃ、ついでにもうひとつ。果歩は随分ぶーぶー言ってたけど、彼の態度がころころ変わる理由は?」
「くっついてきたり、離れたりですか」
「うん」りょうは笑った。「襲われたり、突き離されたり」
「それは、最初の質問より随分簡単だと言えますね。いくらはずみとはいえ、一度ラインを超えちゃったら、もう男は止まりませんから」
「離れようと心に決めても、ついつい体は引き寄せられてしまうと」
「その度に、繰り返す我慢も限界に近づいている」
「だから逃げる?」
「一度暴走しかけたんでしょ? 香りにさえ反応するくらいなら、そりゃ、逃げるしか術はない」
「気の毒に……」
「理由は想像もできませんけど、僕もそう思いますね」
 まぁ、問題は、その理由が何なのかだけどね。
 あまり……複雑なことにならなきゃいいけど。
 藤堂君は嫌いじゃないけど、果歩にふさわしいかといえば、微妙かな。
 どっちかと言えば―― 。
「それにしても、今夜はお客さんが来ませんねぇ」
「そうねぇ」
「少し早めに締めようかな」
 独り言のように呟いたマスターは、ちらっと横目でりょうを見た。
「……もう、来ないと思いますよ」
「誰の話?」
「いや、もしかして、誰かをお待ちかと思ったものですから」
「…………」
 誰か。
 私が―――?
「ふむ」
「そんな難しい顔をされるとは思わなかったな」マスターが苦笑している。
「ただの、水商売男のカンですよ」
「いや、すごく難しい問題だから」
 私が誰かを待っている?
 誰を?
「…………」
 もしかして、私。
 あの男のことが、気になってる……?




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