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年下の上司 story12〜Janusry@

年末年始 役所は暦通りです(2)


 的場家、年末の恒例行事。
 年末年始、自由に動けないのは、果歩もまた同じだった。的場家には、果歩が幼いころから頑なに守られている規律がある。
 12月30日には母の実家に行って、そこで三が日を過ごすのである。
 祖父母が生きている時はもちろん、亡くなった後もその習慣は続いている。実家は兄夫婦が継いでいるが、家族ぐるみで仲の良い2家は、毎年の交流を決して欠かさない。
 厳格な父のもと、遊び盛りの美怜も果歩も、必ず年末は帰省する。去年は、それで休みがまるまる潰れたが、今年は4日と5日が連休で、少しは自由になれると期待していたのだが……。
「そういや、お姉、4日に旅行に行くかもしれないって、どうなったの?」
「あー、なくなった」
 なんでそんな余計なことを覚えてるんだろう。車に荷物を積み込みながら、力なく果歩は答える。
「彼氏と? ほら、この前のでっかい人」
 二度家に来た藤堂のことを、すでに、でっかい人としか記憶していない美怜である。
「……言ったじゃん、宮沢さんとだよ」
「またまた〜、お姉が都合のいい時、宮沢さん利用してんの知ってんだから。なになに? もしかしてまたふられちゃった?」
「うるさい」
 りょうの部屋に泊めてもらおうと思ったのは本当だ。藤堂さんと旅行なんて、今の果歩には月面着陸するより難しい。ただ―― 遅くまで一緒にいたかったから。
 そういえば、りょうも今頃帰省しているはずだ。
 りょうの実家って、何してるとこなんだろう。長いつきあいになるけど、りょうは自分の家庭のことを一切口にしようとしない。
 薄給の頃から高そうなマンションに1人で住んでいたり、超有名私立大学を出ていたりするから、実家が裕福なのは想像がつくけれど―― 。
 車に全員乗り込んだ後、運転席の父、憲介が、珍しく何か言いたげに咳払いを繰り返した。55歳、自動車会社の営業マン一筋である。部長にまでなったのだから営業成績はよいのだろうが、家では愛想のよさの片鱗さえ見せない。
「なに? 早く車出しなさいよ」
 助手席の母、宮子が、少し訝しげに父を睨む。元外務省勤務―― 昔は英語ペラペラだったとは母の自称であるが、いまだその真偽を確かめる機会は訪れていない。
「いや……うん、まぁ、今年もあとわずかだが」
「……それ車で改めて言うこと?」
「お父さん〜、早く帰らないと、すべらない話が見られなくなっちゃうよ」
 実のところ、この家族の中で、父親に言い返せないのは、果歩1人だけなのである。
 長女ゆえに厳しくしつけられたせいか、父の決めたことには、何一つ逆らえない。今も、AB型の母と妹の口撃を、父と同じA型の果歩は、はらはらしながら見守っているだけである。
「実はな、年明けに、お客さんが来ることになっているんだ」
 ようやく、言い難いことをひと思いに吐き出すように、憲介は一気に口にした。
「お客って、まさか、うちの実家に?」
「まぁな……、まぁ、俺が呼んだんだが」
 憲介の歯切れは、ますます悪い。
「誰なの? 年始にわざわざあんな田舎まで来てくれるなんて」
「うん、まぁ」
 さらに言葉を濁し、憲介ははじめて果歩を振り返った。
「まぁ、果歩は一度ならず会っていると思うが」
 ――え?
 自分には関係ないと思っていた果歩は、ぎょっとして父の顔に視線を戻す。
「うちの会社の……年は32で、……まぁ、いい年で……独身だ」
 ま、まさか…………。
「お見合い??」
 美怜が素っ頓狂な声をあげた時、車が乱暴にスタートした。
「まぁ、お父さんったら、そんなこと一言も言わなかったくせに」
 宮子が呆れたように眉をひそめる。
「向こうが随分乗り気なんだ。果歩と偶然知り合ったそうでな」
「どういう人?」
「わしのラインで働く、松本という青年だ」
「あ、あの、お父さん?」
 果歩は、ようやく口を挟んでいた。
「ちょっとそれ……」とんでもなく困るんだけど。
「まぁ、俺の客だ」
 口火を切ったことで、憲介はすでに開き直っているようだった。
「お前が関係ないと思えば関係ない」
 そ、そんな無責任なことを言われても。
「泊るんですか?」と、宮子。
「まぁ、あんな辺鄙なところに来てもらうんだ。一拍くらいさせてやってもいいだろう」
 てか、大乗り気じゃないですか!!
 すっかり、売り払われた気分の娘である。
「お姉、……それ、やばくない?」
 美怜がそっと囁いた。「あのでっかい人のこと、ちゃんと話してみれば?」
 話せるものなら―― が、話したところでどうなるのか。今の藤堂さんが、家に挨拶に来るなんて、人類が土星に辿りつくより難しいじゃない!!
 頼りの(いや、全く頼りにならない)藤堂さんは、今頃東京の空の下だし、いったい全体どうすればいいのか。
 果歩は途方に暮れたまま、暗く陰っていく空を呆然と見上げている。

 *************************
 
 大掃除やらおせち作りの手伝いやら、八方美人の果歩には大忙しの年末が過ぎて、明けて新年。親戚への挨拶まわりやら、お歳暮の整理やら、ひっきりなしにくる親戚へのもてなしやらと、もう限界までこきつかわれた果歩は、夕方―― ぐったりと横とになっていた。
 ――ま、毎年のことだけど、全く休んだ気になれないのは何故だろう。
 こんなに疲れる正月休みなら、むしろ、もういらないっていうか……。
 片や美怜は、勉強と称して、2階の一室でテレビを見たりゲームをしたりとやりたい放題。神様、どうしてこの世はこんなに不公平なのでしょうか。
 しかも4日には松本遼平が来るとあって、いつもなら3日の夕には帰れるところが、まだ帰れない。兄夫婦や親せきは「あらまぁ」「それはいいじゃない」「果歩ちゃんにもついに春がねぇ」など、勝手なことを言いあって喜んでいる。
 松本さんに悪意はなくて、むしろ父の勧めを断り切れなかったのだろうが、本当に―― なんとも迷惑な展開である。
 電話しよっかな。
 ふと、藤堂のことを考えている。が、そのいかにも自分が負けた的な妥協案を、果歩はすぐに首を振って追いやった。
 ダメダメダメ、向こうから電話するっていったんだし。
 だいたい、こんなささくれだった気持ちのまま電話したら、またケンカになってしまう。見合いの話だって、なんだか嘘っぽく取られそうだし(実際、嘘みたいな話である)、彼はますます呆れてしまうだろう。
 考えたら、ちょっと悔しくて涙が滲んだ。
 大晦日も新年も、電話どころかメールもなし(そもそも2人は、互いのアドレスさえ知らない)。
 年明けの最初に会話するとか、そういうイベントはまるっきり思いつかないわけ?
 うそつき―― 。
 年が明けたら、電話するって言ったくせに。
 不覚にも、目の端にじわっと涙が滲んでいる。果歩は目をこすりながら起き上った。
 いけない。極度の疲れのせいか、またマイナス思考になっている。
 台所でジュースでももらってこよう。そう思って、リビングの傍まで行った時だった。
「そうか、今年で最後にするか」
 父の声がした。
「まぁねぇ……毎年、うちは随分助かってるけど、若い果歩ちゃんや美怜ちゃんは、もう自由にしたいでしょうし」
 叔母の声である。
「父さんが死んで随分たつし、明良あきらも今年には子供ができるしねぇ。……寂しいけど、そろそろ、世代交代してもいいんじゃないかって」
「そうよねぇ……そろそろ、次の世代に譲る時期だわねぇ」
 母の声だった。
 それが、少しだけ寂しげに聞こえた。
「明良の嫁さんも、まぁ、肩身が狭いだろうしな。毎年小姑やらその娘やらが我がもの顔で正月を仕切ってるんだから」
 苦笑混じりの父の声。
 明良とは5歳年上の果歩の従兄のことである。去年結婚したばかりで、その奥さんという人が、ひどく居心地が悪そうだったのを、果歩はようやく思い出していた。
「まぁ、息子夫婦への遠慮も確かにあるけど、……私らも、年だしね。果歩ちゃんも今年には結婚かい?」
「そうなればいいがなぁ」
「あの子も、色々ありましたからね」
 な、なによ、その色々って。ドギマギしたが、それより不思議な寂しさが勝っていて―― 果歩は足音を忍ばせてリビング前の廊下から歩み去っていた。
 そっか。
 今年で、最後か。
 広くて古い日本家屋。この暗さやじめっとした感じが、昔は大嫌いだった。
 子供時代は夏休みの度に長期にわたって預けられ、夜中に目が覚めては怖くて泣いた。死んだおばあちゃんが、いつもトイレまでついてきてくれて……。
「…………」
 その時、果歩を可愛がってくれた祖父も祖母も、今は仏間の写真に収まっている。
 当時、一緒に遊んでいた従兄はもう結婚して、今年には子供が生まれる。
 ――世代交代か……。
 再び、与えられた客間で横になりながら、果歩はぼんやりと考えていた。
 そっか、いつまでも昔のままじゃいられないんだな。
 明良とは仲が悪いわけじゃないけど、毎年家族みたいに一緒に過ごせるかと言われれば微妙だ。明良に子供が生まれて、明良の妹にも子供が生まれたら―― もう、この家の居間に、他家に嫁いだ的場家の居場所はなくなるだろう。
 そうして新しい顔ぶれが、幼い頃から慣れ親しんだ家を、別の色に上書きしていく―― 。
「…………」
 ふと、理由の判らない寂しさを感じ、果歩は薄闇の中、目を見開いていた。
 また次の世代になったら、もう死んだ祖父母のことを覚えている人は、誰もいなくなるのだろうか。
 果歩が、仏間に並ぶ白黒の写真の人たちの殆どを知らないように。
 次の世代、また次の世代と繰り返せば、やがて父母や自分たちのことも、誰の記憶からも消えていく。
 なんだか―― そう考えると、人の一生も繋がりもすごく儚い。
「…………」
 寂しいな。
 ―― 藤堂さん……。
 バカだな。ケンカなんてするんじゃなかった。
 休みにこだわらなくても、年が明ければ毎日のように会えるのに。そんな幸福も忘れてしまっていたなんて。
(的場さん)
(……近くまで来ているので、どこかで会えませんか)
 声が、聴きたい。
 いま、すごく、藤堂さんの声が聴きたい……。
 前もそう思った時、彼がすぐに電話に出てくれたことを思い出している。
 果歩は起き上がり、部屋の隅でそっと携帯を耳にあてた。
 1回、2回、3回……出ない。
 忙しくしているのかな。それとも……怒ってたりして。
 4回、5回、留守番電話に切り替わる。
 諦めて携帯を閉じようとした時、「―― はい」と少し焦った声が聞こえた。
 逆に果歩はぎょっとして居住いを正している。「藤堂さん?」
「はい」
 ひどく他人行儀な声に、驚きですっとんだ不安が舞い戻ってくる。
「あの……ごめんなさい、忙しかったですか」
「いえ……」少しの間、沈黙があった。
 携帯からはざわつくような人の声が聞こえてくる。
「大丈夫ですよ、今外に出ましたから」
 いつもの、彼の声だった。
 やっぱり、忙しかったんだ。ほっとすると同時にさすがに申し訳なさでいっぱいになる。別に用事があったわけじゃない。ただ、声がききたいからかけたなんて……。
「今、どこにいるんですか」
「実家の近くです。……色々、行事があったので」
 そっか、じゃあまだ東京か……。
「的場さんは?」
「私も実家です。4日まではこっちです」
「僕は、5日の夜には戻ります」
「…………」
 そうですか……。
 やっぱり、4日は無理ですか。
 まぁ、私も、今となっては、ここから出られそうもないんだけど。
 それきり、話すこともなくなる。
「あの……」
 謝ろう、と果歩は思った。
 すごく我儘を言って不愉快な思いをさせたことを。それから、せめて5日の夜に会えないかって聞いてみよう。
「何をなさってるんですか、瑛士さん」
 聞き覚えのある軽やかな女声が、電話から聞こえたのはその時だった。
「ちょっ、失礼」と藤堂が言いかけた時には、すでに次の言葉が果歩の耳に届いている。
「もうっ、早くいらしてください。結納の席に主役がいないと話にならないじゃないですか!」
「………………」
「的場さん、これは――」
 果歩は、ぶちっと通話ボタンを電源ごと切っていた。
 なにそれ。
 案の定香夜さんの家にいるってだけでなく―― 。
 結納???
 正月休みがまるまるつぶれる家族行事って結納のこと??
 何が僕を少しは信じて下さいよ。いったい全体どの面下げて――。
  被害者面したそのセリフに、私なんて罪悪感いっぱいになったばかりか、りょうや乃々子にまで責められたのに!
 許せない。つまり、最初から、彼女と会う気満々だったんじゃないの!
 その時、襖がからっと開いた。「お姉、お母さんが、先に風呂に――って、お姉の身体から白い焔が??」
「気のせいよ……」
 ゆらりと立ち上がり、果歩は携帯を投げ捨てた。「風呂?」
 こくこくと、妹は頷く。
「わかせってこと? 入れってこと?」
「は、入れってことだと思うけど」
「ふぅん……」
 そういや、明日はお見合いだった。
 結納には結納返し。
 思いっきりおめかしして、私も結納まで持ち込んでやるわよ、こうなったら!

 *************************

「現在この電話は、電波の届かない所にいるか」
 藤堂は嘆息して、携帯を切っていた。
 ――まったく……どうしていつも、人の話を最後まで聞かないんだ、あの人は。
 いい加減に信じてほしいし、彼女の性格も理解して欲しい。
「繋がりました?」
 その彼女が、ぺろっと舌を出して見下ろしている。
「おかげさまで、繋がりませんよ」
 憮然と言って、藤堂は立ち上がった。
 何が結納だ―― よくもそんな嘘が平然とつけたものだ。
 滅多に怒らない幼馴染の態度が珍しいのか、香夜は面白いものでも見るような眼で、まじまじと藤堂を見つめている。
「怒りました?」
「ええ」
「罪のない悪戯なのに……それに本当に私のせいだけで、電話がつながらないのかしら」
 黙ってその声を受け流し、藤堂は再度携帯を耳に当てる。
 戻ってくる反応は同じだった。現在この電話は………。
「だから言ったじゃないですか。あの人はやめておきなさいって」
 お姉さんみたいに腰に手をあてて、実際、教師みたいな口調で香夜は言った。
「そもそも4歳も年上の人なんて、瑛士さんには似合いません。それに、本当に瑛士さんのことが好きなら、そんな風に電話の電源まで切ったりはしませんよ」
「放っておいてください」
「私なら、すぐに東京に飛んでいきますけどねぇ」
 ふふっと笑って、香夜は黒いスカートの裾をひるがえした。
「根性なしですね、的場さんって。それとも愛が足りないのかしら」
 ぱたぱたと、楽しそうな足音が遠ざかっていく。
 ―― 愛が足りない……。
 愛が、足りないか。
 携帯を持つ手を下げ、藤堂はわずかに息を吐いた。
 ひどく無邪気に距離を詰めてくる4歳年上の人は、一方で、ひどく消極的で逃げ腰の時がある。
 その度に、走って追いかけて―― 引き戻さなければ、彼女は自分から戻って来ない。
 気まぐれに戻ったように見えても、少し気を緩めたら、またどこかに逃げてしまっている……。
 香夜の言うとおり、彼女は決して東京まで追いかけてはこないだろう。
 あの人は、本当に気づいていないのだろうか。
 自分の周辺に線を引いて、そこから決して出ようとしないのは―― 。
「瑛士さん、何をしているの?」
 今度は、母の声が別の方角から聞こえてきた。
「今、戻ります」
 我に返り、携帯を収めかけた時だった。手のひらで、それがいきなり震えはじめた。
 相手が的場果歩だと確認して、藤堂は少し驚きながら携帯を耳に当てた。
「―― はい」
「えーと……」
「?」
 相手は、何故かもごもご言っている。「おっきい人?」
 ――え?
「もしかして、さっきまで電話してた?」
「あの……」
「藤堂さん、……そうだ、藤堂さんですよね、そうそうでっかい人!」
 突然、堰を切ったように、電話の相手は笑いだした。
「………?」
 いたずら電話だろうか。妙だな、確かにディスプレイには的場さんの名前が出ていたはずなのに。
「笑っちゃったぁ〜、クマのプーさんなんだもん。お姉から見た藤堂さんって、クマなんですよ。しかもアニメの」
「………………」
 しばし唖然と眉を寄せた藤堂は、ようやく声の相手に気がついた。
「もしかして、的場さんの妹さんですか」
「そうでーす、こんにちは〜、お久です!」
「お、おひさしぶりです」
 その挨拶が適当かどうか、今一つ藤堂には判らない。
「もしかして、お姉と喧嘩しました?」
 電話の相手が声をひそめた。
「的場さんが、そう言いましたか」
 藤堂はわずかに苦笑している。
「あのプライドの高い人が言わないですよ。それどころか、スーパーサイヤ人みたいになって、お風呂に行っちゃいました」
「そ、そうですか」―― スーパーサイヤ人?
「今頃、お湯が沸騰してんじゃないかなぁ」
 なんだろう、面白いことを言う子だな。
「あ、そうそう、本題です。実は大変なんですよ、大事件」
「はぁ」
 背後で、母が思いっきり睨んでいる。片手でそれを遮っておいて、藤堂は携帯を持って木陰に移った。
「実はですね、お姉、明日がお見合いなんです」
「……お見合い」
 無感動に、藤堂は繰り返していた。それがあまりに突飛すぎて。
「そんなこと、彼女は一言も言いませんでしたが……」
 どちらかと言えば、このおせっかいそうな妹が仕組んだ、嘘のような気がする。それはそれで、心温まる話ではあるが。
「父が勝手に仕組んだんですよ。藤堂さん、聞いたことありません? 姉とは何度か会った人らしいんですけど、父の会社の人で、松本さんっていう……」
「……ああ」
 あの男か。
 むろん、藤堂も一度ならず会っている。
「うそ、じゃあ、やっぱり本当だったんだ」
 逆に驚かれたので、藤堂は眉を寄せていた。
「その松本さんと、的場さんがお見合いをするんですか」
「そんなもんじゃないですよ。すでに父の中では結婚前提なんですって。なにしろ、一泊見合いですから」
「一泊見合い?」
「うちに泊るんですよ。しかも田舎の実家ですから本格ですよ。実は的場家には、昔から見合いのその日に床入りする習慣があるんです」
「は、はぁ……」
「いわば、昔ながらの婚礼ですよ。お姉は何も知らずに呑気に構えてますけど、もう父と母はその気マンマンです。離れに部屋を設けて、お姉に泣きが入っても逃がさない腹ですから」
「…………」
 いや……ちょっとその話をにわかに信じろと言われても………。
「あ、嘘だと思ってるでしょ、甘いなぁ」
 チ、チ、と軽い舌打ちが聞こえた。
「30女を抱える親の必死さが判んないかなぁ。切羽詰まってるから、何しでかすか判りませんよ? 少なくとも泊るのだけは本当です。私が相手の男だったら、このチャンスを逃がしませんけどね」
 続けて住所を言い出した妹を、藤堂は「ちょっと……」と、遮っていた。
「お気持ちは判りますが、僕は、そちらには行けませんよ」
「やっぱ、ダメですか」
「今、大切な行事の最中なので」
「それは、お姉より大切ですか」
「…………」
 的場さんより、大切か?
 それとこれは―― 藤堂は眉を寄せた。
「……比べられませんよ」正直な気持ちだった。
 そうですか……。電話の向こうから、少し萎れた声がした。
「大人なんですね。私が子供すぎるのかもしれないけど」
「……すみません」
「せめて、今夜にでも、お姉に電話してあげてくださいね」
「ありがとう」
 礼を言ってから電話を切り、藤堂はそれをポケットに滑らせた。
 それは、お姉より大切ですか。
 もちろん、今、席を空けることなどできない。
 それでもその言葉が、いつまでも耳に残り続けている。……




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