「で、なんだって南原さんたちまでやってきたわけ?」 なんだかんだと即席新年会は盛り上がってしまった。 「いや……まぁ、別に、な」 何故か歯切れ悪く、南原は隣の水原に同意を求めた。 「前ちゃんから誘われて、なんとなく俺らも暇だったし」 「まぁ、僕は、南原さんに誘われたんで」 その刹那何故かシーズー(注・水原)が、ほんのりとしもぶくれの頬を赤らめた。 え、なになに、まさかと思うけどそういう関係? 果歩は半ば硬直しながら、南原と水原を交互に見比べる。この2人、いくら女に縁がないからって……。 「僕は、たまたま水原君の部屋にいたんですわ」 嬉しそうに宇佐美が身を乗り出してきた。 「2人で映画にでも行こかって話しよったら、南原さんから誘いの電話があったもんやから」 「へ、へぇ……」 そういう目でしか見られない自分が、ちょっと恥ずかしい果歩である。 なんだろう、水原君って、男にもてるタイプなのかな。 「仲がいいのね」 隣のりょうが口を挟んだ。 「うちの課は、同僚同士がプライベートも遊ぶなんて、ちょっと考えられないけどな」 「そりゃ、エリート揃いのそっちとは違いますよ」と、南原。 「まさに、生き馬の目を抜くような、熾烈な出世争いなんでしょうね」 そこは、水原も目を輝かせている。 「そうでもないわよ……どっちかといえば、ついていくのに必死って感じかしら」 ワインを口に運びながら、りょうは楽しげに答えている。 「そうなんすか」 「厳しいからね……ハードルも高いし、落ちこぼれは1年で異動よ。1日の殆どが仕事だから、彼氏作ってる暇なんてないし」 へぇーと、興味深気に、南原と水原が頷いている。 「私が知ってる限り、2人ほど流産したかな。……まぁ、あんなとこで妊娠しちゃうほうが間違ってるんだけどね」 「そ、そうなんすか」 「人事で5年も働けば、10年寿命が縮むって言われてるのよ。元課長も、異動した途端心筋梗塞でいっちゃったしね」 しーん……。 「だからって基本給が上がるわけでもないし。まぁ、よほど出世欲が強くなきゃ、行くような職場じゃないと思うけどな」 「ま、まぁ、まずご縁がないと思うけど」 「いやぁ、僕はそれでも目指しますよ!」 と、こちらのサイドは果歩とりょうを中心に、ごく普通に盛り上がっている。 反対サイドが、藤堂を中心にした女子2人―― 流奈と乃々子。そして晃司と真央である。 なんか―― 。 果歩はちらっと横目で見た。 この状態を、果たして盛り上がっていると言ってもいいのだろうか。 流奈と乃々子は、なんていうかもう、奪い合うように交互に藤堂に話しかけ、藤堂は「はぁ」とか「ええ、まぁ」とか、さすがに戸惑い気味に受け答えている。 コップが空になる間もなく次々と飲み物が注がれるため、もう何ひとつ口にしようとしていない。 真央は晃司にべったりで、晃司はもう、半ば投げやりな感じで、むすっと不機嫌そうにテレビ番組を見ている。こちらも女子が一方的に話しかけている状況だ。 実のところ、果歩がどうにも腑に落ちないのが、今夜の乃々子の態度だった。 乃々子って……そんな、なりふり構わずアタックするタイプだったっけ。 これじゃ、まるで流奈と一緒だ。そりゃ、最近の2人はそこそこ意気投合してたみたいだけど、そういう所まで影響されるものだろうか。 だいたい流奈も流奈で、なんか最近はどうもおかしい。 なりふり構わずというより、なんかもうやけくそというか、わざとテンション上げてはしゃいでいるというか、……なんていうか、あてつけてるというか。 あてつけ……。 ん? と何かもやもやした中に一筋の光を見た気がして、果歩は思考を止めている。 誰に?――私に? いや、駄目だ、ますます判んなくなってきた。 というより、そもそも今日の集いの意味は……。 「りょう、ちょっと」 果歩は、気分よく飲んでいるりょうに囁いた。 その頃には、もう果歩も理解している。りょうの態度を見れば、彼女が晃司を好きだなんて思う方がどうかしている。だいたいそんなの、天地が引っくり返ってもあり得ない。失礼なこと考えてごめんね、りょう。 「なんだか、私たち、全く晃司の助けになってないような気がするんだけど」 「ああ……」 りょうは、ちらっと横目で晃司と真央を見る。 「早く退散してあげたほうがよくない、むしろ」 「そうね」 くすっと笑うと、りょうはグラスのワインを飲みほした。あまり真剣に取り合ってもらえてない感じだ。 「百瀬さんは、年末年始はどうされてたんですか」 その時、水原が、果敢にもトライアングルに割って入った。おおっと果歩は内心拍手を送っている。 「べ、別に」 何故か乃々子が、ひどく引っくり返った声で答えた。 「暇だったんで、ずっと家ですけど」 「そうなんですかぁ」 果歩から見れば明らかに乃々子の受け答えはおかしかったが、水原は構わずに続けた。 「じゃあ今度、僕らと一緒に映画にでも行かないですか。あ、僕らって、僕と宇佐美のことですけど」 「えっ、映画ですか」 乃々子は意表を突かれた顔になる。それは横で聞いていた果歩も同様だった。シーズー、そういうことだったのか! しかし、ある意味度胸があるというか空気が読めないというか、ここまで果敢に藤堂さんにアタックしている乃々子に対して……。 「いいですよ」 が、予想に反して、実にあっさりと乃々子はそれを了承した。 「ぜひ、誘ってください」 えええ―― っ??? と、内心驚いているのは、どうも果歩一人のようだった。わ、わからない……これもまたあてつけかしら、藤堂さんへの。 藤堂本人は、特段気にする風でもなく、黙って流奈の口撃に耐えているようである。 「おおっ、やるやないか、水原君」 「うるさいよ、宇佐美」 と、俄然盛り上がる男性陣営。 片や「いいですよ」と言った乃々子は何故か不意に沈み込み……どう見てもあまり楽しそうには見えない。 その時、南原が立ちあがった。 あ、いたっけ―― というくらい、そう言えば今夜存在感が薄かった男は、そのままふいっとトイレのある方に消えていく。 んん……? なんだか変だぞ、この雰囲気。 「……果歩」りょうの声で、果歩ははっと我に返る。 「悪いけど、後片付け頼んでいい?」 「帰るの?」 振り返ったりょうは、髪をまとめていたバレッタを外し、早くもバッグを手にしていた。 「うん、ごめんね。あまり遅くなりたくないから」 「一人で大丈夫?」 意味深に笑ったりょうは、すらっとした足を惜しげもなく見せて立ち上がった。 あ、眼鏡を外してる……と、気づいたのはその時だ。りょうの近視はごく軽いものだが、彼女はいつも、その目力をあえて隠すように黒縁眼鏡をかけている。 「じゃ、悪いけど、私はお先に失礼します」 そして、りょうはおもむろに歩き出す。晃司と真央がいるほうに。 「前園君」 「あ、はい」 少し慌てたように、晃司が居住いを正すのが判った。真央はその傍らで、どこか警戒気味の視線を、りょうに向けている。 「帰るから、部屋まで送ってくれる」 果歩だけでなく、多分誰もが凍りついていた。―― え? 余裕の微笑で晃司を見下ろしているりょう。いったい誰が、世にも類稀なる美女―― というか、一種凄味のあるこの笑顔に逆らうことができるのか。 しかも眼鏡を外したりょうは―― まるでメドゥーサ……もとい、太陽の女神のように、ちょっと直視できないほど、澄み切った綺麗な瞳をしているのだ。 さしもの長妻真央も、毒気を抜かれたような目をして、呆気にとられている。いや、真央だけでなく、多分、その場にいる全員が。 「……は」 しばらく固まっていた晃司は、やがて壊れた玩具みたいに立ち上がった。 「は、はい」 「じゃ、そういうことで」 明らかにぎくしゃくしている晃司の腕を当たり前のように取ると、にっこりとりょうは微笑んだ。 「前園君、鍵はいいの?」 「え―― え?」 「誰かに鍵閉め、頼んでおかないと」 「あ……ああ、えっと」 半ばパニックになった晃司の目が自分に向けられるのを感じ、果歩は大慌てでバツマークを両手で送る。ごめんなさい、次行ってください! 意味を解したのか、今度は流奈を見て―― それから、ようやく我に返ったように、水原を見た。 「ごめん、水原君、下駄箱の上に鍵があるんで」 「は、はぁ」 水原は、完全に気を飲まれている。 「帰りに締めといて……ポストに入れてってくれたらいいから」 「わ、わかりました。遅くなるんですか」と、余計なことまで生真面目に訊く水原。 「明日は、仕事だから」答えたのはりょうだった。 「早く帰してあげるわよ」 しーん……。 「は、はは」 意味もなく笑い、晃司は油切れのロボットみたいに歩き出した。 何故だろう。果歩の目には、晃司は、蛇に睨まれた蛙にしか見えない。悲壮感……いや、そんなものでさえない。死相さえ漂って見えるような……。 「いやぁ、知らなかったなぁ、あんな美人が前園さんと……」 「てか、前園さん、むしろ死にそうな顔して出ていきはりましたけど」 「そっちの要求がかなりきついんじゃねぇの」 最後のは、戻って来た南原が呟いた言葉である。 その南原をきっとひと睨みして、果歩もまた、混乱しながら立ち上がった。 「じゃ、じゃあ、そろそろお開きにしましょうか」 まさか、あれで晃司を助けたつもりだったのだろうか。 確かに長妻真央は、完全に撃沈されている―― 少し、可哀そうなほどに。 気の毒だが仕方がない。誰だってりょうみたいな女にまともに闘いを挑まれたら、白旗をあげるしかないだろう。 しかし晃司……これで、りょうとの噂が庁内で広まったら、ますますまずい立場に追い込まれるのではないだろうか。 あれだけ庁内恋愛が公になるのを嫌っていたのに……なんかもう、同情を通り越して憐れささえかきたてられるというか。 「あたし、帰ります」 それより気の毒な長妻真央が、気の抜けたように言って立ち上がった。 「ちょ、誰か送ってあげられる? 一人で帰すの危ないから」果歩が言うと、「じゃ、僕が送っていきましょか」と、宇佐美が気軽に引き受けてくれた。 「あたしも帰ります……」 次に、立ちあがったのは流奈だった。 ん? なんだろう、なんだか妙に覇気がない。 「……気をつけて」 あえてフォローしない果歩である。どうせ、藤堂さんに送ってだのなんだのせがみまくるに決まってんだから。 が、流奈はふらふら一人で玄関のほうに消えていく。 「あっと、誰か同じ方角の人いないかしら」つい、心配になって、結局仕切っている果歩である。 「んじゃ、俺が一緒に帰るよ」 憮然と引き受けてくれたのは、意外なことに南原だった。 面倒そうに立ち上がった南原は、ひどく素っ気なく上着を掴んで背を向ける。 「じゃ、悪いけど、お先」 ばたん。 なんだろう。なんだかよく判らないけど、すごくどんよりした嫌なムードが立ちこめている。 これも、りょうが落とした爆弾効果なのだろうか? その因果関係はいまひとつ不明なのだけど……。 ************************* 散らかりまくった晃司の部屋には、結局、果歩と藤堂、水原と乃々子だけが取り残された。 「じゃ、僕らで片付けましょうか」 ようやく波状攻撃から解放された藤堂が、ほっとしたように立ち上がった。 「わー、なんだか損な役回りになっちゃいましたねぇ」とか言いながら、微妙に嬉しそうな水原である。 乃々子は……。 ちらっと乃々子を振り返った果歩は、急いでその目を逸らしていた。案の定、抜け殻のように萎れている。なんだろう、やっぱり変だぞ、今夜の乃々子。 もしかして、藤堂さんと何か決定的なことでもあったんだろうか。―― でも、一体いつの間に? 藤堂は何も感じていないのか、いつも通り淡々としている。 「的場さん、百瀬さんと一緒に先に帰られてもいいですよ」 その藤堂が、時計を見ながらふと呟いた。 「あまり遅くなると、家の方も心配されるでしょうし」 「あ、うちは大丈夫です。りょうが電話してくれてるんで」 的場家におけるりょうの信頼度は、言っては悪いが藤堂の比ではない。 「私も……大丈夫です」 やはり乃々子は覇気なく答え、結局4人で、残りの料理やら食器やらを片付け始めた。殆どが紙製の使い捨てなので、ざっと洗ってゴミ袋につめていくだけである。 「これ、どこにしまいましょうか」 「あ、それならそっちの棚、包丁は引き戸の下に入れといてくれる」 「ゴミ袋は……」 「収集は火曜だから、ひとまずベランダに出しときましょうか」 てきぱきと仕切っていた果歩に、水原が感嘆したように呟いた。 「的場さん、なんだかこの家の主婦みたいですねぇ」 「え?―― ……!」 しまった! いつもの癖で―― とっとと片付けて、一刻も早く、この部屋から退散したかったから。 おそるおそる振り返った藤堂は、黙って卓上を拭いている。 その背中に怒りのオーラを感じるのは……き、気のせいだよね、うん。そういうことにしておこう。 「的場さん」 最後に、雑巾でコンロを拭いている時、背後から乃々子に呼びかけられた。 その乃々子は、同じく雑巾で、水周り付近を拭いていたはずだった。 「的場さんの髪……」 「え?」 振り返ると、乃々子の顔がとんでもなく目の前にあった。果歩はびびって顎を引いている。 「な、なに?」 乃々子は妙に疲れたような、ひどく虚ろな眼差しをしている。 「今日は、藤堂さんと、同じ匂いがするんですね……」 「…………」 そ、それは―― 。 夕べ実家で、同じシャンプーを使ったから―― 言ってしまえばそれだけのことだが、無論、そんな誤解を招く言い訳ができるはずもない。 「そ、そう? 偶然かしら、なんのシャンプー使ってるのかな」 ふっと乃々子は黙り込み―― みるみる―― 果歩を見上げるつぶらな瞳が、水の底に沈んだ。 「の、乃々子??」 「ご、ごめんなさい、……私」 呆気にとられる果歩の前で、両手で顔を覆うようにして、乃々子はその場にしゃがみこむ。 「どうしました」 「百瀬さん??」 藤堂と水原も、さすがにこの展開には驚いている。 顔を覆ってしゃがみこんだまま、乃々子は声を殺して泣き続けている。 果歩は、―― ひどいショックを受けていた。 「ご、ごめん、乃々子」 「ううん……違うんです。……的場さんは、……謝らないで……」 「…………」 「私が――」 言葉を途切れさせ、ただ泣きじゃくる乃々子の背を、果歩は撫でることしかできなかった。 乃々子、ごめん。 本当に……ごめん。 私、馬鹿だ。 自分が幸福だからって、とんでもなく無神経だった。こんなに乃々子が思い詰めていたのに……気遣うこともせずに……。 「僕が、送っていきましょうか」 藤堂が、気遣うように言ってくれた。 「いいですか」 「車ですから。……的場さんは大丈夫ですか」 「私は、水原君とタクシーで帰るので」 ここで別れるのはすごく寂しい。 本当はこの後、少しでも2人になりたかったから。 でも、見下ろす藤堂の目も、同じ思いを告げていてくれたので、それだけで満足することにした。 「じゃあ、藤堂さん、乃々子をよろしくお願いします」 マンションの下まで、果歩は2人を見送りに出た。 「じゃあ、明日、職場で」 「的場さんも気をつけて」 未練を微笑で隠して手を振る。 わずかに笑んで、藤堂は乃々子の隣に乗り込んだ。 動き出した車が、夜の街に消えていく。 なんだか不思議だな。昨夜、私たちは一つ屋根の下にいて、今日はずっと私が彼の助手席にいたのに……。 「…………」 ふっとため息をついた果歩は、胸元の指輪を押えて背後の水原を振り返る。 「じゃ、私たちも帰りましょうか」 明日からまた頑張ろう。大丈夫、もう、私には彼からもらった約束があるから。 でも、いつか―― 。 いつか、藤堂さんと同じ場所に帰れる日が来たらいいな。 |
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