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年下の上司 story12〜Janusry@

年末年始 役所は暦通りです(最終話)


「お礼を言っていいのか悪いのか、微妙なんすけど」
 人気のない国道沿い。
 晃司は、少し離れて歩く人に、憮然として声をかけた。
 確かに、長妻真央にはいい薬になった―― いや、むしろ毒薬というべきかもしれないが。
 が……。
「か、果歩の誤解、ちゃんと解いといてくださいよ」
「そりゃ、解くけど」
 うっかり電話で助けを乞うたばかりに、今夜のとんでもない事態を演出してくれた人は、軽く肩をすくめている。
「果歩、多分そんなに気にしてないわよ」
「気にしても、してなくても!」
 晃司は語気を強めていた。
「これ以上、俺の印象悪くしたくないんですよ。ただでさえ、二股したこと根にもたれてるのに」
「それは自分が悪いんじゃない」
「っ……ま、まぁ、そうなんすけど、今だって、秘書課の子とつきあってるって思いこんでるみたいだし」
「思い込んでるも何も、それは君が、あえて思い込ませてるんでしょ」
「…………」
 何ひとつ反論できない晃司である。
「彼女持ちの安全牌を演じてるつもりでしょうけど、果歩みたいな鈍いタイプには、そんな少女漫画みたいな回りくどい方法、百年たっても通じないわよ」
 な、なんて嫌味な人だろう。恥ずかしさと悔しさで、何も言葉に出来ない晃司である。
「好きなら好き、抱きたいなら抱きたいって、はっきり言えばいいだけなのに。君だって一度はそれで、果歩のこと落としたんでしょ」
「お、落としたって、人聞きの悪い」
 あの時と、今は違う。あの時は好意が前提だった。でも―― 今は。
「……逃げられるだけじゃないっすか」
 晃司は呟いていた。今は―― 最低男が前提だ。
「今はまだ、俺、あいつの友達でいいんです。てか、まだその域にも達してないかもしれないけど」
「…………」
「信頼取り戻したくて、ある意味カッコつけのやせ我慢してますよ。……まぁ、今んとこ、何もかも空回ってますけどね」
「……ふぅん」
 眼鏡を指で押し上げ、ひどく素っ気なく呟くと、宮沢りょうは再び軽く肩をすくめた。
「ま、君の内面まで私には関係ないし。じゃ、ここでいいわよ。果歩の誤解なら―― してればだけど、解いておくから」
「お、お願いしますよ」
「はいはい」
 ひらひらっと手を振って、冷めた目をした人はきびすを返す。
「あ、一応タクシー拾えるとこまでついてきますから」
 晃司は慌てて後を追う。
 ふぅー。本当にとんでもない人と関わり合いになってしまった。
 しかし、他にどうしようもなかったとはいえ、なんだってこんな人に電話なんかしちまったんだ? おかげでゆっくり休もうと思っていた最後の休日が台無しだ。
「そういや、宮沢さんはコンタクトにしないんですか」
「なんで?」
 なんでって……。
「果歩が、眼鏡を絶対かけない女だったから、――女なんてそんなもんだと思ってたけど」
 ごめん、コンタクトの時間があるから―― と、いつも、泊らずに帰っていった。まぁ、門限も厳しかったようだが、どんなに目が充血していても、絶対に眼鏡をかけない頑固さが、晃司にはいまいち判らなかった。
 ただそれも、容姿に関する拘りなのだろう。
 目の前の人に関して言えば、さっき初めて素顔を見た。教師か教育ママみたいな印象のきつい眼鏡を取った方が、割と可愛いっていうか、多少は女に見えるというか。
 そんな意味のことを適切な言葉で言おうとした時、ポケットの中で携帯が震えた。
 取り上げた晃司は、眉を寄せている。
「……須藤?」
 不審に思いながら、出るべきかどうか迷いつつ、同じく足を止めたりょうを見る。
「出てあげれば?」
「え…? ああ、はい」
「じゃあね、今夜かかった費用は、後できっちり請求するから」
「え、請求って、まさかまたあのワインまで―― ちょっ、宮沢さん!」
 ひらひらと手を振りながら、ほっそりした後ろ姿が闇の中に消えていく。
「……なんだよ、ったく」
 晃司は首をかしげながら、携帯を耳に当てた。

 *************************
 
「なんだよ、用があるなら、明日でもいいだろ」
 20分後―― 。
 自宅から少し離れた国道沿いのファミレスで、晃司は須藤流奈と向き合っていた。
「急ぐから今日だったんですよ」
 わざわざ人を呼びつけておきながら、流奈はいつも以上に不機嫌そうだった。
「なのに、家の前にはへんなのがいるし……」
「お前と鉢合わせになったから、ますます話がややこしくなったんだろうが」
「知りませんよ。私、5日に会えませんかって、ちゃんとメールしたじゃないですか」
「俺がいつ承知したよ。そもそも返事なんてしてねぇだろ」
 店内のまばらな客が、いきなりケンカをはじめたカップルを物珍しげにみている。
「だいたい、なんなんですか。いい年して高校生に振り回されっぱなしなんて、情けない……」
「うるせぇよ」
「百瀬さんに聞いて仰天しましたよ。2人でデートしてるとこを的場さんに見られたって……ほんっと、何やってんだか」
「だから、お前には関係ないだろうが」
 むっとして、拳でテーブルを叩く。が、即座に逆ギレした流奈が噛みついてきた。
「ありますよ。そっちがしっかりしてくれないと、いつまでも藤堂さんと的場さんが別れてくれないじゃないですか!」
 む……。
 そこを突かれると、何も言えなくなる晃司である。
「まぁ、とにかく、だ」
 晃司は軽く咳払いした。
「とにかくお前にも責任あるんだ。損失分くらいは、半分持てよ」
「は? 何の話ですか」
「あの人が今夜一人で飲んでたワインはな」
 思い出すだけで、胸が悪くなるようだ。
「ボトル3万もするとんでもねー代物なんだよ。くそっ、こないだも酷い目にあったばかりだっつーのに」
「……宮沢さんですか」
「他に誰がいるんだよ」
「ふぅん……」
 ひどく冷えた目で流奈は視線を逸らし、グラスの水を一口飲んだ。
「前園さん」
「あ?」
「ちょっと、こっちに座りません?」
「………は?」
 なんだ、そりゃ?
 呆れて流奈を見下ろす晃司を、流奈はいたずらめいた目で手まねきした。
「ちょっと、少しでいいですから」
「い、や、だ、ね」
 こっぱずかしい。時々テーブル席で並びで座るカップルを見るが、その度に情けねぇなぁ……と思ってしまう。しかも、須藤なんかと冗談じゃない。
「いいから」
「知るかよ。用事ないなら帰るぞ、俺」
「これも的場さんを落とすための、策略のひとつなんですよ」
 流奈は意味深に声をひそめる。
「5分でいいですから」
「…………」
「3分」
 結局、渋々流奈の言うとおりにしている晃司である。
 隣に座る女は、何故かぐっと距離を詰めてきた。
「……? なんだよ、恥かしいから離れろよ」
「ほんっと、変わらないなぁ、晃司君は。とことん女に冷淡なんだから」
「うるせぇな、もうお前には関係ねぇだろ」
 なんで、一時の気の迷いとはいえ、こんなのに引っかかってしまったのか……。そのせいで果歩を失ったのだと思うと、なんだか憎悪すらかきたてられる晃司である。―― まぁ、その対象は自分だけれど。
「で、なんだよ、いったい」
「いいから、しばらく私を見ててくださいよ」
 見ろって……。いまさら珍しい顔でもあるまいに。
 が、妙に潤んだ上目遣いで見上げられ、晃司は少しばかりひるんでいる。
 ――ん……?
 なんだ? なんだかいつもと違うような気がするぞ? なんだろう、どこがって言うわけじゃないけど……。
 ちょっとこう、雰囲気っていうか。
「……須藤」
「なんですか?」
 何かを期待したように、流奈がますます距離を詰めてくる。
「もしかして、また整形した?」
「―――!」
 ぶんっと振りあげられた腕を、「おっと」晃司は慌ててよけている。
「なんだよ、どうせ元々してんじゃねぇか」
「してますけど、してますけどね、信じられない、言いますか? 普通」
「いや、だって知ってるのに、知らないふりしても意味ねぇだろ」
「ーーーーっっっ」
「オイオイ、落ち着けって」
 が、どうにも収まらないと思われたその怒りは、何故か、いきなり沈静化した。
「……ま、それは褒め言葉とも取れますね」
「そ、そうだよ」まぁ、褒めたわけじゃねぇけど。
「で、なんだよ。結局何が言いたかったわけ」
「ふふふ……」
 晃司が元通りの席に座り直すと、女は勝利者のような笑みを浮かべた。
「これ、なんだと思います?」
「……?」
 テーブルの上に、小指の先ほどの小瓶が差しだされる。晃司は眉をひそめながら、その瓶をつまみあげた。なんだ、これ?
「媚薬なんですよ」
 両肘をついて身を乗り出すようにして、流奈が囁いた。
「媚薬?」
「とある筋から手にいれたんです。香水なんですけどね、それを意中の人の前でつけるだけで、……ふふ」
「ふふって……」
 晃司はまじまじと流奈を見つめた。
「今、つけてるわけ? お前」
「ほーんの少しですよ、だってもったいないもん。本番でもないのに」
「…………」
「試してみたかったんですよ。でも、鈍くて冷酷な前園さんでさえ勘付いたんだから、これは相当な効果ありですね。いけますよ、これは」
「いける……」
「新年度を待たずして、できちゃった婚も夢じゃないってことですよ!」
 晃司は言葉を失くしたまま、ただ、しばし唖然としていた。
 ほんと…………。
 どこまでバカなんだ、こいつ。
 もしかして、あのアホ女子校生以下じゃねぇのか? 頭ん中。
「……へぇ」
 晃司は、力を込めれば潰れそうな小瓶を目の高さまで持ち上げてみた。
 媚薬ねぇ。
「ちょっと俺も、匂ってみていい?」
「匂うだけですよ」
 無言で、花の形に広がっているプラスチックの栓を捻り取る。
 甘い果実にも似た香りが広がった。そのまま、それを傍らの水が入ったグラスに流し込んだ。
「あーーーーーーーーっっっ」
 最後に瓶ごとグラスに落として、晃司は濡れた指をナプキンで拭った。
「すみません」
 流奈の大声にびっくりしているウエイトレスを呼びよせる。
「これ、中にゴミ落としちゃったんで、変えてきてもらえますか」
「す、棄ててもよろしいんですか」
「どうぞ」
 そのやりとりの最中にも、流奈は、蒼白になって口をぱくぱくさせている。
「わ……私と、藤堂さんの赤ちゃんが」
「馬鹿じゃねぇの、お前」
「わーーーーっっ、私と藤堂さんの赤ちゃんがーーーっ」
 ようやく我に返ったように、ウエイトレスを追おうとした流奈を、晃司は腕を掴んで止めていた。
「おい、性格ブス」
「ひっ、ひどい、前園さん、いったい何の権利があって」
「やめとけよ、お前らしくもない」
 まだ抵抗する女の頭を、ごんっと拳で叩いている。
「いたっ」
「お前は性格も顔もブスなんだから……」
「ほ、ほっといてくださいよ」
 まぁ、性格は、俺も人のこと言えねぇけど。
「姑息な真似なんかせずに、ガッツでいけよ。お前の取り得なんてそれしかねぇだろ」
 その底なしのガッツに、まぁ、俺も一度は……今となっては苦すぎる過去だけど。
 流奈はもう完全に膨れたまま、運ばれてきた苺パフェを睨みつけている。
「食えよ、奢ってやるから」
「そんなものじゃ追いつきませんよ」
「……じゃあ今度メシでも奢るから」
「フルコースじゃなきゃ嫌ですよ」
「ああ、ああ、3月のボーナスが出たらな」
 どうでもいいけど、なんだか、えらい出費続きだ。
 しかも、かなり不条理な理由じゃないか? もしかして。
「ケーキも頼んでいいですか?」
「どうぞ、―― 太っても知らねぇぞ」
 ま、いっか。
 ようやく機嫌が直ったのか、嬉しそうにパフェを食べ始めた流奈の顔を見て、晃司はふと苦笑している。
 今は、目的を同じくする同志だからな。
 にしても、危なっかしいパートナーだ。
 なんだかもう、この馬鹿の保護者になった気分だ、俺―― 。

 *************************

「ごめんなさい、今夜は、つきあってもらっちゃって……」
「いいですよ」
 涙を拭って顔をあげる乃々子を、藤堂は優しく見下ろした。
「何か買ってきましょうか」
「いいです……そんな、……こんな遅くまで一緒にいてもらったのに」
「コーヒーでいいですか」
「……すみません」
 藤堂は、乃々子にハンカチを渡してから車を降りた。
 しかし、そういう事情だったのか……。予想しなくもなかったが……。
 歩道沿い、自販機の灯りがすぐ近くに見えている。
 ふと時計を見ると、10時を大きく回っていた。
 ―― 的場さんに、電話したほうがいいかな。
 ずっと忘れていた携帯電話を、上着のポケットから取り出してみる。着信があったことに気がついたのはその時だった。
 運転していた時だったせいか、気づかなかった。
 見覚えのない番号に、藤堂はわずかに眉をひそめている。
 それでも今夜の顛末を、心配しているはずの人に知らせようと思った時、着信音が鳴った。―― 履歴に残っている覚えのない番号から。
「…………」
 ――誰だ?
 通話ボタンを押して、携帯を耳に当てる。
「はい、藤堂です」
「……瑛士か」
 胸の深いところに、静かに響くような声だった。
「俺だよ。――悪いが番号は芹沢さんに聞いた。どうしているかと思ってな」
 その刹那、長い夢から覚めたような感じがした。
 長い、長い―― 幸福な夢から。
 携帯を持ち直し、藤堂はわずかに視線を下げた。
「おかげさまで、変わりないです」
「えらく他人行儀だな」
 ふっと相手が、笑うような口調になる。
「まぁいい。俺から逃げ回っていた理由は聞かないよ。――俺も俺で、お前には多少罪の意識を感じているからな。 色々、面倒なことになっているんだろう?」
「……、そうでもないです」
「お前はそう言うと思ったよ。今から、出てこられないか」
「今からですか」
「所用でこっちに来ているんだ。あまり、ゆっくりしている暇はないけどな」
「…………」
 電話の向こうから、パソコンのキーを叩く音が聞こえる。
「少し、話しておきたいこともある。出られないなら、俺のほうから行ってもいい」
 藤堂は黙っていた。
 ―― 的場さん。
(お兄さんが走って来た道、……あそこね、もう随分前になるけど、ピカピカのベンツで、やっぱりお姉のこと、追いかけてきた人がいたんですよ)
「……瑛士?」
(お姉は最後まで何も言わなかったけど、結局、上手くいかなかったんですね。あの頃は毎晩泣いてて……)
「今、人と一緒なので」
「こんな時間に?」
 相手の声に、微かな笑いが滲んだ。
「恋人か、だったら邪魔をして悪かったかな」
「友人ですよ」
 それだけ言って、藤堂はひとつ息を吐いた。
 的場さん……。
 この状況を騙しているというなら、僕に許しを乞う資格などないのかもしれませんね。
「また、こちらから連絡します。僕も雄一郎さんに、聞きたいことがあるので」
 切れた携帯を閉じることも忘れたまま、藤堂は夜の静寂を見つめていた。




年末年始 役所は暦通りです(終)
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