宮沢りょうは、ため息をひとつついて携帯電話を切った。 「……やっぱ、占い当たってるじゃん」 呟いて、ベッドに仰向けになる。 午後十時、深海のような暗い蒼みを帯びた部屋。そうか、ついにその時が来たか。 「…………」 果歩に相談してみようかな。 「…………」 間違いなく笑い飛ばされるのがオチだけど。 りょうは寝がえりを打って、携帯を再度持ち上げた。番号を呼び出して、なのにそれ以上指が動かない。 駄目だ。 話したところで、果歩には絶対に判らない。 腹が立つほどの楽天主義オプチミズム。それは果歩が特別なんじゃなくて、私が悲観的すぎるのかもしれないけど。 (―― りょう……帰ってこいよ) (―― お前が今まで自由にやってこられたのは、誰のおかげだと思ってるんだ? ここらで恩を返してくれてもいいだろう。お前の代わりに頑張ってるあいつのためにもさ) 「…………」 私には、絶対的に欠けているものひとつがある。 それは……。 ************************* 「だから、なんだって僕にお鉢が回ってくるんですか。だいたい10月までの幹事は南原さんだったじゃないですか」 「だから言っただろ。この険悪な―― 」 そこで南原は言葉を切り、周囲の面々を見回した。 周囲―― 都市計画局総務課の執務室。 昼休憩、食事を始めた全員が、いきなり始まった2人の言い合いに目を止めている。 「まぁ、つまり、そういうことだよ」 南原は気まずげに席に戻ろうとした。水原が、その袖をぐっと掴む。 「なんなんですか、その中途半端な説明は」 「なんなんですかって、空気読めよ。俺にそこまで言わせんなって」 最後の言葉は、水原の耳に口を寄せるようにして言っている。 会計室から戻ったばかりの果歩は、まさか―― ?と、先月来から続いているある疑念を思い出していた。 水原真琴―― ついたあだ名はへちゃむくれのシーズー(果歩が勝手につけた)。 身長は男性にしては低い方で、162センチの果歩とそんなに変わらない。 小柄で童顔、少しばかり色白で、頬と唇がふっくらしている。 彼女いない歴……イコール実年齢。 が、このシーズーが意外に同性にもてることを、果歩は今年に入って知ったのだった。 まずは、元臨時職員の宇佐美祐希。 180センチ近い大柄な青年だが、顔立ちは甘い美少女系。性格は極めて素直で可愛くて、目下、果歩が恋人(予約中の)以外で一番気に入っている男性である。 その宇佐美が、やたら水原の自宅に出入りして、休みともなれば2人で連れだって遊びに行っているようなのだ。 が、水原には、入庁以来切っても切り離せない蜜月関係を維持してきたパートナーがいる。 総務課庶務係―― 南原亮輔。 彼は、課内の新人職員サポート役で、その関係もあって、水原のことを舎弟のように可愛がっているのだった。 ―― まさか、ついに三角関係のもつれ?? 愕然とした果歩だったが、大河内のぼやきでそうでないことはすぐに判った。 「まぁ、つい先月まで、うちの課の雰囲気は、決していいとは言えませんでしたからね」 「ですよね? こんな雰囲気で、どの幹事が旅行なんて計画するんスか。今年はないもんだとばかり思ってましたよ」 即座に南原が同意を示す。 「……え、なんの話ですか」 果歩は割って入っていた。会計室から戻って来たばかりなので、揉め事の理由がいまひとつ判らない。 「旅行だよ。課の親睦旅行」 南原が、うんざりしたような顔で応えてくれた。 「局長が、3月は忙しいから今月にしてくれって言い出したんだよ。だーれも旅行のことなんて考えてもいなかったのにさ。あの爺さん、すっかり行く気になってるみたいだぜ」 「…………」 旅行……。 「まぁ、定年前の最後の年ですから……旅行くらいは企画してあげてもよかったんじゃないですか」 「てか、どうせ大々的に送別会やるんでしょ? 旅行なんて、気の合うもん同士で適当に行ってりゃいいじゃないっスか」 ―― 旅行……? 果歩は、咄嗟に藤堂を見ていた。 係長席で弁当を食べていた藤堂は、果歩の視線に気づいたのか、一瞬訝しげな表情になる。 旅行! 「それは、ちゃんと計画しなきゃダメですよ!」 果歩は南原に向きなおっていた。 興奮で語尾が震えた。旅行―― なんてナイスな、素晴らしい予定だろうか? 課で? 総務課で? となると、仁義なきライバルたちは間違いなく不参戦。果歩の一人勝ちみたいなものである。 「局長、役所生活は今年で最後なんですから、精一杯のことをして差し上げないと!」 「だから俺に言うなって。今の幹事は水原だろ」 南原は、疲れたような目で顎をしゃくる。 すぐに、噛みつくように水原が応えた。 「普通、こういった大きな行事の計画は、年度当初の幹事がするものですよ」 ああ―― なるほど。 総務課の幹事は、慣習的に10月で一区切り、ということになっている。 水原は、南原から引き継いで、去年の11月に幹事になったばかりだった。 「しかも今月って、あと半分ちょいしかないんですよ? 普通……」 ぶつぶつ呟きながら、水原は卓上カレンダーを持ち上げた。 「今からだと、土日はどこも塞がっていますよ。局長を呼ぶんじゃ、市の保養施設ってわけにもいかないでしょう」 「だから言ってんだろ。態よく断ればいいんだよ。すみません、僕の力不足で今月は難しそうです。来月も無理なら、この話はなかったことに―― 」 「だーかーら、それは南原さんの仕事だって言ってるんですよ。僕は」 醜い責任のなすりあいに、果歩はやや呆れていた。 つまるところ、上機嫌の局長の首に鈴をつける役目を、2人して押し付け合っている、ということだ。 「じゃあ、僕から説明しますよ」 藤堂が初めて口を開いた。 寒い時節を反映してか、彼の屋上通いは休止中である。 おかげで、人並み外れた彼の食事量は一時局の話題になったが、彼のイメージが比較的よくなった今では、むしろ「やはりスケールの大きい人は違うね」という温かな目で見られている。 もう、屋上で一緒に食べることもないのかな……。 そう思うと少しだけ寂しい果歩だったが、今は、そうしていた頃より、もっと沢山の藤堂を知っている。 4月になったら、という条件成就付きの恋人。 2月―― その条件を満たすまで、あとたったの1ヶ月半。 が、果歩は知っている。その時、藤堂の恋人になれる代わりに、自分は総務課から出て行かなければならない。定年が決まった那賀局長同様、果歩にとっても今年度が最後の年なのだ。 それでなくても2月は、乙女イベント目白押しのマンスリーである。 言わずと知れた聖バレンタインデーと、藤堂27歳のバースデー。 藤堂の誕生日は月末だが、パレンタインデーは日曜日。来週末を課の旅行日に設定すれば旅行の2日目と重なることになる。 マジで? 果歩は卓上カレンダーにかぶりつきになった。 運命の啓示みたいなものを感じずにはいられない。 が、果歩の切ない女心など、一向に気づかない風に藤堂は続けた。 「その代わり、送別会を大々的に行いますということでどうでしょう。送別会の幹事は僕ですから、僕から局長に謝罪するのが自然でしょう」 「すみませんねぇ、係長」 と、そんな時だけ係長と呼ぶ南原である。 が、今の果歩には、南原の態度のことなどどうでもよかった。 「だ、駄目ですよ。藤堂さん、局長は思いつきで言ったことを、決して曲げない人ですから」 それはある意味本当のことだった。 とはいえ、果歩の必死さは、もちろん局長の人柄とは別の所に起因している。 「しかし的場君、来週は急すぎやしないかね」 と、その時、それまで静観していた計画係の中津川補佐が口を開いた。 去年まで藤堂と犬猿関係にあった課長補佐、中津川貞治―― 。 課の旅行のことなど誰も思いもつかなかった理由のひとつは間違いなくこの人なのだが、今となっては、藤堂のよき先輩であり、相棒的な役割に落ち着いている。 時折、2人は連れ立って飲みに行ったり、釣りに行ったりしているようで、先週は中津川の元妻に招かれて家の食事に呼ばれたらしい。 そう、結局偏屈親父の中津川も、人たらし藤堂の虜になった。今となっては、ある意味強力なライバルの一人なのだ。 その中津川が渋みを帯びた声で続けた。 「皆、家庭の事情というものがあるだろう。局長の思いつきはいつものことだが、そんなもの放っておいても実害などはありはせんよ」 果歩は、う、と詰まっている。 さすがは局の調整役。 それまた、那賀局長の真実を突いている。 「でも、たったこれだけの人数の課ですから」 とはいえ、果歩は即座に切り返した。 「どうでしょう、皆さん。来週末都合の悪い方、おられますか」 全員が、戸惑ったように目を見合わせる。 全員といっても、庶務は南原と大河内と藤堂。計画係は中津川と新家と谷本と水原。それだけである。 「課長!」 果歩は振り返っていた。「課長のご予定は、いかがですか」 志摩課長―― 。 極めて寡黙で、部下と殆ど口をきかない男は、わずかに太い眉だけをあげた。 余談であるが、志摩という人は、昼食を決して取らない。 健康のためか信念なのかは知らないが、ただ、一時間かけて茶をゆっくりすするだけである。 「いや」 それだけ言うと、志摩は手元の新聞に再び視線を落とした。 果歩は頷いた。オッケーということである。 「じゃあ、全員大丈夫ということで」 「いや、……春日次長がまだなんじゃないかと」 水原が、おずおずと口を挟む。 「次長は元々、旅行会費を払われていないんです。去年もそうでしたが、旅行には最初から行かれないということになっています」 果歩はすばやく切り返した。「だから、これで全員です」 「てか、的場さんがどうしてそんなに」 「水原、黙ってろ」 南原が水原を軽く小突いた。 そして、どこか意味ありげな目で果歩を見上げた。 「的場さん、それはいいけど、じゃあ場所はどうすんのさ。今からだと、どこも一杯なんじゃねぇの?」 果歩は軽く咳払いをした。南原の目が、少しばかり皮肉めいて見えたからだ。 そう思ったのは今回が初めてではないが、この鋭い男には間違いなく下心を読まれている。 が、果歩にとってこの機会は、人生で二度と回って来ない奇跡にも等しいものだった。 もしかすると、藤堂と2人で旅行に行く機会は―― 4月以降ならあるかもしれない。いや、あってほしい。あるはずだ。 しかし、課というカテゴリーで、集団で旅行する機会は、人生で今をおいてあり得ない。 一万の職員がひしめく巨大組織で、同じ人と二度同じ職場になる可能性なんて、まず、あるはずがないからだ。 果歩は苦し紛れに言っていた。 「私―― その、少しばかりあてがあるんです。今日中にいくつかあたってみますから、それでダメだったら諦めるということで、どうでしょうか」 「的場さんだけに任せるのは申し訳ないですから、僕もお手伝いしますよ」 藤堂がまるで邪気のない笑顔で口を挟んだ。 「泊りが無理でも、日帰りで遠出できる所でもいいですしね」 彼が、事態の重要性を全く判っていないことが、果歩には不思議でしょうがなかった。 2人でひとつ屋根の下に泊る―― 。 温泉、浴衣、晩酌―― 2人きりの夜!(全て妄想) 果歩にとってはドリームだが、藤堂にしてみれば、さほど関心のないことなのだろうか。 しかも、何気に口を挟む彼の言動から判断するに、あまり乗り気でないことが窺える。 今も、果歩を手伝うふりをして、日帰り飲み会にシフトさせようとしているのかもしれない。 「いえ、私一人で大丈夫です」 果歩は、落ち着いた笑顔を見せた。 「局長と私は7年間ご一緒した仲ですから……、局長が望むことは、どんな無理でも叶えて差し上げたいんです」 この説得力のある発言には、誰もが納得したようだった。 「まぁ……そういうことなら」 「さすが的場さんだね。秘書役の鏡だよ」 やった! 後は、何が何でも宿泊先を見つけなければ。 もちろん局長の喜ぶ顔が見たいというのはあるけれど、それ以上に、果歩にとっても今年しか経験できないイベントである。絶対に実現させたい。 が、果歩は知らなかった。 今自分が放ったセリフが、結果的に自身の首を絞めることを―― 。 ************************* 「二宮ねぇ……」 りょうは唇に指を当てて首をかしげた。 「聞いたことないな。財閥系企業の創業者か何かかしら」 「うん……まぁ、私もよく判らないんだけど」 「てか、直接藤堂君に聞いたら?」 くすっと笑うと、りょうは指で唇をひっかくような素振りを見せた。相当だな、と果歩は内心思っている。 ニコチンの禁断症状―― とまで言うと言いすぎだが、仕事のストレスが溜まった時によく見せる癖である。 15階の休憩スペース。市内中央部が見下ろせる壁一面のガラス窓の前で、2人は並んで腰掛けていた。 ランチを一緒に取るためだが、りょうは食欲がないのか、紙パックの野菜ジュースだけを膝に乗せている。 「なんかこう……根掘り葉掘り聞くのもいやらしい感じがして」 果歩は言い訳がましく言っていた。 二宮家―― 藤堂の父親の生家で、彼が養子として育った家。 とてつもない資産家で、とてつもない由緒があるということだけは漠然と判ったものの、では、その家が日本の経済の中で、どういう位置づけにあるかというと―― 実は何も判っていなかった果歩なのであった。 「藤堂さんも、それっきり何も言ってくれないし。ほら、それにしつこく聞くとさ、財産目当てみたいに思われるかもしれないじゃない」 本当は……自分の過去を隠したまま、藤堂の素性だけをあれこれ聞くのが心苦しかった。 とはいえ、あんな曰くありげな話を聞かされておいて、気にならないという方が嘘になる。 これ以上ショッキングな事実を不意打ちみたいに聞かされる前に、心の準備をしておきたい。 「そりゃ、果歩」 りょうは肩をすくめるようにしてくすりと笑った。 「とりあえず、お金持ってて面倒な家だって、そう伝えりゃ十分だと思ったんじゃないの。なんとなく察するに、彼、家を継ぐつもりはないんでしょ」 「……うん」 (彼は家を出たつもりでしょうけど、二宮の後継者という立場は、彼がいくら名前を変えようと変わりはしません。それにもう、二宮の直系は瑛士さん1人しか残っていませんから ) 香夜に聞かされた話の全てを、果歩はりょうに話してはいない。 藤堂と彼女の関係のこと―― それはまだ、どこか曖昧で不透明で、果歩にはいまひとつ、2人が真実を語っているようには思えなかったからだ。 「果歩が知った方がいいって思う時期がきたら、教えてくれるわよ。多分ね」 りょうはそう言うと、話を締めくくるように、飲み干した野菜ジュースのパックをダストボックスに投げ込んだ。 そうかもしれない。 でも―― 多分、藤堂もりょうも知らない。 果歩は、金持ちというカテゴリーに属する人たちに、アレルギーといっていいほどの苦手意識を持っている。 藤堂にそういった匂いを感じた時から、ずっと考えないようにしていた。 彼が、本当に家を棄てることができるのなら、どんなに気が晴れるだろう。が、そんな真似が本当にできるものなのだろうか? 家を棄てるということは、家族を棄てるということだ。 果歩にしても、藤堂にそんな真似をしてほしいとは思えないし、正直―― できる人だとも思えない。 結局は藤堂も、家を継ぐという―― 自らに架せられた責任を全うするという道を選び、……そして……。 「4月が待ち遠しいわね。ね、結婚式には絶対に呼んでよ? 友人代表……過去を全部ばらしてあげるから」 「もう、りょうったら」 果歩はつられて笑っていた。 そうだ。今考えても仕方ない。 今は―― 楽しいことだけを考えよう。彼の家と私は、今のところ関係ない。全ては4月以降、2人が本当の恋人になってからの話だ。 「ねぇ、果歩、来週末って空いてる?」 不意にりょうに問われ、果歩は口に含んでいたストローを離した。 「今週末?」 「そ、予定ある?」 「なんで?」 断る前に理由を聞いたのは、りょうから休日の予定を聞かれたのが初めてだったからだ。 時折誘いあって飲みにいくものの、2人は基本、休日に約束することなどない。 総務で、旅行に行く行かないの騒ぎがあったのがほんの数分前のことである。果歩は少しばかり、その奇遇さに驚いていた。 「んー」 りょうは自分の唇を指で撫でた。 果歩は初めて、りょうがひどく疲れていることに気がついた。 食欲がなさそうなのもそうだが、煙草を執拗に求めているのも、そのせいかもしれない。 「何も聞かずにって言ったら怒るかな。うちに泊りに来てほしいのよね」 「……うちって、りょうの部屋?」 「じゃなくて……」 じゃなくて? 「実家。高速使って、車で5時間くらいかな。新幹線で1時間もかからないくらい。乗換しなきゃ無理だけど」 へぇー、りょうの実家かぁ。 と思ったのは一瞬で、果歩は膝から紙パックの林檎ジュースを落としていた。 「マジで??」 「うん、宿代だけはタダにしてあげるからさ。もちろん交通費も私が持つし」 「…………なんで?」 りょうは黙って床の上の林檎ジュースを拾い上げた。 「ま、行けば判るかな」 何も聞かなくても、りょうがひどく切羽詰まっているのだけは理解できた。 何か……事情があることだけは間違いない。 それも、きっと説明し難い事情が。 「どう? 暇だったらでいいんだけどさ。なんにもないド田舎だけど、果歩と2人で旅行なんて初めてじゃない」 「あ……うん」 「もしかして、藤堂君と約束でもしてるなら―― 」 「ううん、それは絶対にないから」 慌てて手を振りながら、果歩は内心、どうしようと思っていた。 ここで、恋を取るか友情を取るか―― 。 が、理由がなんであれ、りょうがこんな風に自分を頼ってくれたことなどあっただろうか―― ない。 何も聞かずについてきてくれというなら、その通りにするのが一番いいはずだった。 「うん、いいよ」 果歩は頷いていた。 「でも……ちょっと返事は待ってくれるかな。課内のことなんだけど、調整しなきゃいけないことがあって」 あれだけの言葉で盛り上げておいて、いまさら自分の都合でやめます、とはとても言えない。 「何かあるの?」 「うん……、課の旅行? でも正式に決まったわけじゃないし、私が幹事みたいなものだから、……うん、なんとでもなるから大丈夫」 「ああ」 飲み込みの早いりょうは、すぐに理解したようだった。 「それじゃあ、そっちを優先しなよ」 「えっ、いいよ。だってまだ宿も決まってないんだよ」 果歩は笑って手を振った。 りょうは見かけによらず典型的なA型だ。相手の気持ちを先読みして、いつもこうやって気を回してくれる。 「宿、決まってないの?」 りょうは、少しだけ驚いた目になった。 果歩は、局長がいきなり今月の旅行を提案した経緯を説明した。 「ふぅん……那賀さんねぇ。見かけに寄らず曲者だと思うけど、そんな無茶ぶり、なんだってするかな」 「いや、いつものことだから」 りょうは腑に落ちないようだったが、そこに深い事情なんて到底あるとは思えない果歩だった。 「どっちにしても、局長に日程をもう一度聞いてみるね。だから、もう少し待っててくれるかな」 「てか、だったらうちに来ればいいじゃない」 りょうはあっさり遮った。 「は?」 「前、言わなかったっけ。うち、旅館だって。一応確認してみるけど、あの日は多分大丈夫」 「……え、でも……」 「そうしなよ。私も大勢のほうが楽しいし」 果歩は、口をぽかんと開けていた。 そんな……まさかそんなあっさり最大の難関が解決するとは……。 が、本当にいいのだろうか。もちろん総務に異存はないが、りょうの方は。 「りょう……本当にみんなが一緒でいいの?」 「いいのいいの。てか、あんま深読みしないでね。単に私一人じゃ、実家に帰りづらいってだけのことだから」 「……なんで?」 「旅館を継げってうるさいのよ」 りょうはいたずらっぽく笑って立ち上がった。 そんなこと……? 「本当にそれだけ?」 「役所を辞めろって言われてるの。こう見えていい子の私は、自己主張できないから。果歩が一緒だと心強いかな、と思ってさ」 「それはいいけど―― 」 果歩もランチボックスを横に置いて立ち上がっている。 「そんなに煩く言われてるの?」 「箱入り娘も楽じゃないわね。娘の独り暮らしが心配みたいなの―― 果歩のところと一緒よ」 楽しそうに笑うりょうの横顔に、果歩はようやくほっとしていた。 なんだ、もっと深刻な話だと思ったのに。 「だいたい私に、旅館業なんて務まると思う?」 「務まらないとは思えないけど、りょうの本質を判ってないね」 「判ってないね。お客さんなんて一日で逃げちゃう。私、自覚のないバカにバカだって自覚させなきゃ気が済まない性質だから」 ぷっと果歩は吹き出した。 「ひど……」 「だから、いい男に逃げられるのよ」 「りょうのハードルが高すぎるんだよ」 そっか。 そういう事情なら、役所の人間を連れて行くのは、りょうにとってはプラスなのかも? そうよ。そこでりょうがいかに役所人として優れているか―― それを徹底的にアピールしよう。 でも、なんて幸運続きなんだろう。 こうやって何もかもが、トントン拍子に決まっていくなんて―― これって、もしかして運命かしら? 「じゃ、さっそく南原さんに言ってくる! きっと皆喜ぶよ。総務にりょうのファン多いんだから」 「果歩がいるのに、とことん目のない男たちね」 りょうは、目で笑って片手を振った。 果歩は、多分少しばかり浮かれていた。 だから、りょうが零したわずかな溜息の意味も、深く考えられなかったのかもしれない 。 |
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