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年下の上司 story14〜Feburuary@

陰謀渦巻く職員旅行(9)


「ああ、的場さん。元気に……って、あれ?」
 南原がまず訝しげに顔をあげた。
「人迷惑に貧血なんかになってないで……って、あれ?」
 次に顔を上げたのは流奈である。
「えっ、的場さん……えっ、いいんで……すか……」
 乃々子がか細い驚きの声を上げた。
 遅れて宴会の席に出た果歩は、内心の葛藤と動揺を堪え、深々と頭を下げた。
「……本当に、ご迷惑をおかけしました」
 覚悟はしていたが、それでも顔を上げた刹那、視線が無様に泳いでいた。
 心臓がドキドキいっている。
 大丈夫……大丈夫。ああ、しかし、とんでもない弱みを、あえて敵にさらしちゃった気分だ。
 なにしろ―― 小学校卒業以来、初めて家以外の場所でかけた眼鏡である。
 あ、志摩さんの顔ってこんなに小さかったっけ……。
 視界に映る異和感は、そのまま果歩の顔の変化でもあった。
 果歩は、こそこそと乃々子の隣に座り、司会の水原が立ち上がった。
 広間には、長机がロの字に並べられ、頼んだ酒と持ちこんだ肴の類が並べられている。本来なら許される行為ではないが、そこはりょうの計らいだったのだろうか。
 末席に座す藤堂の顔は、ついに一度も見られなかった。もちろん、あえて傍に行くつもりもない。
「では全員が揃った所で、改めまして、総務課の親睦会を執り行いたいと思います! えー、まずは志摩局長の乾杯の音頭で……」
「ばか、局長じゃねぇだろ」
 水原のとんでもない失言で、宴会場は笑いに包まれてスタートした。
「的場さん、大丈夫ですか?」
 隣の乃々子は心配顔だが、流奈と真央は、物珍しさを隠そうともせずに、眼鏡の果歩を眼見してくる。
「うっわー、すごい度のきつさ……。私、こんな眼鏡初めて見ました」
「的場さん、二割増し性格きつく見えますよ」
 ある程度予想された嫌味とはいえ、さすがにデリケートな所にぐさぐさと突き刺さる。
「てか、どないしはったんですか? イメチェンなら、僕は素顔の方が好きやけど」
 宇佐美にさえ言われた時は、さすがに立ち直れないかも……と思っていた。
 が、一度公開してしまった以上、開き直る他にどういう選択肢があるだろうか。
「朝から、目の調子が悪くて……眼鏡の方が楽なのよ」
「ふぅん。……なんや、いつもと雰囲気違うから緊張しますわ」
 とはいえ、こうも自然に振舞われると、逆に気持ちがすっきりするものである。
 むしろ乃々子に「眼鏡も悪くないですよ」とか「似合ってますよね、結構」とか、見え透いた気を使われる方が居心地が悪い。
 どう贔屓目にみてもそれはないと判っているから―― とはいえ、乃々子の心の優しさは、よく判っているつもりだった。
 が、覚悟していた衝撃はその程度のものだった。
 しばらく注いだり注がれたりしながら、果歩はようやく気付いていた。
 ―― まぁ、他人にしてみれば、結構どうでもいいことなんだな……。
 宴会が開始して10分もたつと、果歩の眼鏡に注目している者など誰もいなくなった。そもそも志摩や中津川など、気付いてさえいるのかどうか……皆、それぞれ好き勝手な話題で盛り上がっている。
 それはそうだ。
 20歳やそこらの若い子ならともかく、今年で31である。30になったならないで騒いでいた去年とは違う。周囲の人々から見れば、今さら外見がどうなろうと、大した違いはないのかもしれない。
 それはそれで寂しくはあったが、なんだか自分の過剰な思い込みがおかしくもあり、果歩は―― 少しだけ気持ちが楽になるのを感じていた。
 あえて、藤堂の傍には寄らないつもりの果歩だったが、彼の周囲はいつも人の輪ができていて、近寄る隙はなさそうだった。
 ま、今夜はもういいかな……。
 りょうの計らいで、2人きりでお湯につかれただけでもよしとすべきだろう。
 そのりょうの姿だけが、どこを探しても見当たらなかった。
 本当は、今のこの姿を、一番最初にりょうに見てもらいたかった。
 笑い飛ばされるのがオチだろうけど―― それでも、今なら、本当の気持ちを伝えられそうな気がするから。
 
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 ものの弾み、という言葉がある。
 例えば、晃司が今日、この場所に来てしまったのもそうなら、ヤクザみたいな議員を殴ってしまったのもそうだった。
 しかし……。
「どうやら、誰も来そうにないわね」
 髪を結い直しながら、宮沢りょうが呟くように言った。
「こんなとこで待ってても仕方ないし、そろそろあっちに戻らない? この時間なら、まだ二次会に間に合うと思うけど」
「…………」
 いや……。
 言ってる場合か?
 何故こんなことになってしまったのか。
 思えば晃司の思考は、今日、同じところでぐるぐると回っている。
 何故こんなことになったのか。何故―― 。
 気持ちは恐ろしいほど冷めているのに、身体はまだ後ろめたい熱を帯びていた。
 やけっぱちになっていた。
 それは確かだ。
 なにしろ今夜、晃司は全てを失ったのだ。明日病院に行く気なんてさらさらないし(結局は殴られ損だと後で気がついた)、相手の出方によっては懲戒免も視野にいれなくてはならない。
 この不景気の折、特段のスキルのない自分に再就職先などまずないだろう。
 そして、相当暴力的になっていた。
 そう、とんでもなく激怒していたからだ。
 腹立たしさとやるせなさと、憤りと苛立ちが―― あの時晃司の中でごちゃまぜになって煮えたぎって、結局は、何かの一線を越えてしまったのだ。
 が、それにしても……。
 どう思いかえしても判らないのは、どっちが先に攻撃をしかけたんだろう、ということだった。
 俺だったのか? それとも宮沢さんだったのか。
 判らない。自分も怒り狂っていたが、宮沢さんも相当だった。
 多分男同士だったら殴り合いの喧嘩になっていただろう。男と女ではそれができないから―― いや、しかしだからって、そうなっちまうもんだろうか、普通。
 人が近づいてくる気配があって、それで、――そこは自信を持って弁明できるが、宮沢さんの方からいきなり抱きついてきた。
 多分、弁明のためのカムフラージュ。そこまでは、はっきりと記憶がある。
 が?
 結局誰も入って来なくて、それで?
 その後、どういう展開になって、なんの意味があって?
 そのあたりになると、もう何もかも判らない。
 てか、なんで拒否しなかったんだ。この人は。
 しかも、朧な記憶によると、まるっきり受け身ってわけでもなかったような……。
 が、この場合、悪いのは明らかに自分だった。
 なにしろ、晃司は男で、ここは密室。―― しかも、宮沢りょうは普通ではない心理状況だったのだ。
 さらに、言えば、
「あ……あの、宮沢さん」
「ん?」
 女は、鏡で髪を直している。
 この場合、どういう言葉を掛けるべきなのか。
 申し訳ないが……卑怯なようだが……それは、謝罪しかないように思われた。
 この人に恋愛感情は持っていないし、この先間違っても持てそうもないからだ。
「俺……その、……今さら、卑怯かもしれないけど……」
「…………」
 静かな眼差しが、自分を振り返るのが判った。
「す、すみませんでした!」
 晃司は土下座して頭を下げた。
「何が?」
 なにがって、その……。
 そのままの姿勢で、動けない晃司である。
「私の貞操を奪っちゃったから? まぁ、31年間守り続けたものを、まさか君なんかに捧げようとは、夢にも思ってなかったけどね」
「………………」
 や、やっぱり、そうか。
 まさかと思った。が、そこで止められるほどの冷静さは、あの時の晃司には残っていなかった。
 むしろ、苦痛にうめく声に刺激されて、ますます暴力的に―― ああ! なんてことをしちまったんだ! 時間を戻せるなら、2時間前の世界に戻りたい!
 とにかく今は、誠心誠意謝るしかない。
「す、すみません! 本当に――すみませんでした!」
「…………」
「……俺もそんなに、……余裕があるほうじゃないんで……つい……その……」
「確かに、飢えた犬みたいにがっついてたわね」
「は、はぁ??」
 そこまでひどくは―― とはいえ、何一つ言い訳できない晃司である。
 確かに生理的に飢えては、いた。だから誰でもよかったのだろうか? だとしたら俺って奴は、本当に最低人間としか……。
 赤くなったり青くなったり、ますます萎れた晃司は、もう穴があったら入りたい気分になっている。
「あ、あの……」
 再び口を開くと、遮るように微かな笑い声がした。
「前園君、誤解しているようなら言ってあげるけど、失ったのは君よ。私じゃないのよ」
 いや、だから―― え?
 うなだれていた晃司は訝しく顔を上げた。
 宮沢りょうは、むしろ不思議そうな微笑を浮かべ、晃司を余裕で見つめていた。
「奪ったのは私で、君じゃないのよ。私はね、ずっと自分に足りないものを探していたの。やっと手に入れたわ。君が私に教えてくれたのよ」
「…………」
 何を……。
「大したことないってね」
「はい?」
「無駄に畏れてた十数年が馬鹿みたい。何か、目の前のもやもやが消えて全部クリアになった気分よ。悪かったわね、前園君」
 いや、悪かったって……あんな真似した俺に謝られても。
 戸惑う晃司に、宮沢りょうは恐ろしいほど優しい笑顔を見せた。
「さすがに、親友に手を出しちゃまずいでしょー」
「…………」
「私から言う気はないけど、君の良心的に……どうなのかしらね。恥ってものを知っているなら、もう果歩の顔を見るのも辛いんじゃないの」
「…………」
「ね、判ったでしょ。君が何を失ったのか。本当にごめんね、前園君。それからありがとう。なんだか明日から、新しい人生が待ってそうな気がするわ」
 
 *************************
 
「てか、話が違うじゃないっすか、南原さん。宴会芸なんて適当にやってりゃ誰も判らないって、だから安心してたのに」
「俺が知るかよ。まさか藤堂が、ああも完璧に仕上げてくるとは……」
 南原は両腕を組み、水原は傍らで膨れていた。
 果歩はその傍らで、那賀局長の酌をしていたが、思わず噴き出しそうになっている。
 男子の宴会芸は予想以上のぐだぐだだったが、その中で一人、きらりとした光を―― ここに芸能事務所のスカウトマンでもいようものなら「君!」と声を掛けられそうな人が一人いた。
 まさか、まさかの藤堂である。
「あの唐変木が、まさかあれほどノリのいい奴だったとは……」
「南原さん、僕、あのフレーズが夢に出てきそうですよ!」
 夕食から行方不明だという晃司のピンチヒッターは、藤堂以上にノリのいい宇佐美だった。
 はっきり言えば、男子の宴会芸は、その宇佐美と藤堂の2人で持っていたと言っても過言ではない。
 後の3人―― 南原、水原、大河内は、ただ立って揺れていただけ、という存在にすぎなかった。
「おい、しっかりせんか、だた立っているだけならわしにでもできるぞ!」
 那賀にまで厭味が飛ばされる始末である。
「係長には、僕も驚かされましたよ。だってあの人、映像を一度見たきりなんですよ」
 隣から大河内が口を挟んだ。
「えっ、マジっスか?」
「それはないですよ〜。絶対、一人で練習して来たに決まってますよ」
「温泉に入る前に、部屋でVTR見たでしょう。あれ、僕が歌番組から録画してきたやつなんですけどね」
 大河内は続けた。
「最初に<SAMURAI6>が出てきた時、係長が僕に聞くんですよ。5人組だときいていましたが、6人なんですねって。だから僕、教えてあげたんです。これは別のグループで、僕らが宴会でやるのは、この後出てくる5人組のストームなんですよって」
「……それで?」
 と、訝しげに南原。
「それでって、皆で一回通しで観たじゃないですか。その後、南原さんが温泉に行こうと言いだして部屋を出ましたよね。だから本番前、係長がVを観られたのは、あれ一回きりのはずなんです」
「そんな馬鹿な! そんなのあり得ないですよ」
「踊ってる最中、あれ? どうしてこの程度のことが覚えられないんですか、みたいなオーラを微妙に感じましたね、僕は」
 南原がううむ、と呻き、それは隣で聞いている果歩も同じだった。
 さ、さすがは優秀な頭脳の持ち主……。記憶力がいいのは学習面だけでなく、運動能力にまで及んでいたとは。
「てか、一体何者なんだ? 藤堂って」
 南原が呟き、果歩は思わず咳き込んでいた。
「異様に記憶力がいいのは知ってたけど、ちょっと普通じゃない気がするな。役所とか入らなくても、いくらでもいい勤め先あったんじゃないか?」
 果歩はますます咳き込んでいる。
 別に隠す必要もないことだけど……どうだろう。普通に考えてさほど給料がいいとも思えない公務員が、実は実家が財閥でしたって……間違いなく反発されそうだ。
 が、次の大河内の一言で、果歩は自身の表情が固まるのを感じていた。
「本当に頭がいい人は、最後まで役所にいたりはしませんよ」
「そういうもんっすか」
「僕の知る限りですけどね。本当に頭のいい生き方ができる人は、大抵途中退職して、別の道を歩まれています。役所の仕事は……己の才を封印した一機関になりきらないと、辛いところがありますから」
 果歩は黙って、志摩と談笑している那賀のグラスにピールを注いだ。
 藤堂は、いつかは役所を辞めるだろう。
 まだまだ先だと思いたい。が、その時が、いずれ確実に来るような気がするのは何故だろう。
 その時彼は……そして私はどうなっているのだろう。
「春日君も、随分前だったが、辞表を出そうとしたことがあったねぇ」
 独り言のような那賀の声がした。
 果歩ははっとして顔を上げている。
「結局、そう出来なかったのが、春日君の不器用なところなんだろうね。己の才を封印した一機関、か……。春日君の生き方が、まさにそれだな」
「次長が……辞表、ですか」
 果歩は口を挟んでいた。
「才ある若手には二通りの使われ方がある。陽のあたる場所で一切の汚れ事に触れさせぬよう大切に温めて育てるか、ひたすら汚れ役をさせるか、だ」
 独り言でも言うように那賀は続けた。
「前者が総務の藤家君なら、後者が春日君だろう。いってみれば表に出せない役所の暗黒面を預けられ続けてきた。そういうわしも例外ではないがね」
「あの……それは」
 意味が判らず、果歩は訊き直している。
「今の春日君は、その生き方を己のものとして受け入れている。信念でがちがちになりすぎて息苦しいくらいだ。少しばかり羽目をはずして、頭をやぁーわらかくすればいいんだ。何も深刻なことなどない。……世の中のことは、何もね」
 相好を崩して笑うと、那賀は徳利を持って果歩のほうに向けた。
「さぁさ、飲みなさい。今夜は門限もないんだろう?」
「い、いえ。私、あまりお酒に強い方じゃなくて」
「いいじゃないか。酔い潰れても藤堂君がいるんだから」
 はい? 今の冗談は聞き捨てならない……ま、いいか。
「君もねぇ、頭をやーわらかくして、どんと構えていればいいんだよ」
「……はい?」
 戸惑う果歩の杯に、那賀は再度日本酒を注いだ。
「なんてこともないんだ。世の中で起きることは、たいていがなんということもない。過ぎてしまえば……二度ともどらないというだけのことさ」
「…………」
「頑張りたまえ」
 ぽんと、優しく肩を叩かれ、那賀は再び、隣の志摩に向きなおった。
 なんだろう、今の言葉。まるで……まるで、私がいずれ……。
 ガラッと襖が空いたのはその時だった。
「皆さん、今夜はありがとうございました」
 明るい声。立っていたのはりょうだった。着物から普段着に戻っている。
 髪はサイドでひとつに結い、薄緑の七分丈セーターにストレートジーンズというスタイルだ。
 にも関わらず、着物姿と遜色ないほど、その夜のりょうは綺麗に見えた。
「おおっ、宮沢さん!」
「残念だなぁ、もう着物じゃないんですかぁ」
 たちまち盛り上がる男性陣。
「私も、皆さんとご一緒してもいいですか。ようやく家の手伝いが終わったので」
 挨拶をそつなくこなすと、りょうはごく自然に輪の中に入ってきた。ビール瓶を持って那賀と志摩に挨拶をして周り、すぐに果歩の隣に腰を下ろす。
「よ、果歩……って、なぁんだ、結局眼鏡で出てきたんだ」
「りょう、今まで何処にいたのよ」
「ん、色々ね」
 色々って……。まぁいいや、とにかくりょうに話をしなきゃ。
 果歩が口を開こうとした時、「でっ、では、ここでゲームを始めたいと思いますっ」
 水原の素っ頓狂な声がした。

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 なんてことはない古今東西ゲームが始まった。
 お題を決めて順番にそれに答える。たとえば、山の手線の駅の名前とか……。答えられなかったら、その場で質問される三つの項目に、素直に答えなければならないというルール。
 せめて景品付きの派手なビンゴとかにすればいいのに……と果歩は内心不服だったが、どうやら発案者は水原ではなく流奈のようだった。
 間違いなく藤堂が狙いだろうが、それには、果歩は微かな冷笑を浮かべていた。あの優秀な頭脳を持つ藤堂さんが、たかだか古今東西ゲームで躓くなんて……あるはずがないからだ。
「りょう……見合いのことなんだけどさ」
 果歩はゲームの合間に、楽しそうに杯を唇に運んでいるりょうに話しかけた。
「ごめん。私はやっぱり反対。りょうが決めたことでも、それでも反対」
「松山市。なんで?」
「なんでって、え?」
 質問は日本の県庁所在地で、次の回答者は果歩だった。一瞬口ごもった果歩に、りょうは「松江市」と囁いてくれた。
「松江市。―― りょう……りょうなら、どんな道を選んでも後悔しないと思うんだ。でもさ……それって、りょうが人より強いからであって、その……普通の人なら……」
 ああ、駄目だ。何言ってんだ、私。
 りょうが特別強いわけじゃない。そうじゃなくて、そうじゃなくて―― 。
「私、りょうが好きなんだよ!」
 りょうの横顔は、黙って静かな微笑を浮かべている。
「りょうのこと、自分の家族みたいに思ってる。だから自分の家族を、そんな腹立たしい条件で結婚なんかさせたくないんだよ」
「…………」
「うちの父が、やみくもに男女交際に反対するノリと同じかもしれない。りょうの気持ち、完全に無視してるのは百も承知だけど、それでもダメ。絶対に私は、……反対する」
「それで、うちの実家の旅館がつぶれても?」
「…………」
「沢山の従業員が路頭に迷っても? 大学まで辞めて旅館を継いだ妹の気持ちを、私に踏みにじれって言うの?」
 果歩はしばらく、うつむいて唇を噛んでいた。
「りょう。……藤堂さんに、相談してみたらどうかな」
「藤堂君?」
 りょうが、初めて訝しく振り返った。
「……よく判らないけど、藤堂さんの実家なら、……なんとかしてくれそうな気がするんだ。融資とか? 銀行への口ききとかなら、もしかすると見合い相手の議員さんより確かかもしれない」
「…………」
「……りょうが言いにくいなら……私……、私が聞いてみるから」
 しばらく果歩の顔を見ていたりょうは、微かな息を吐いて、再び正面に向きなおった。
 広間では、宇佐美が三度目の不回答を出し、質問のネタが枯れてきた感になりつつある。
「果歩、それがどういう意味だか判って言ってる?」
 りょうの横顔が呟いた。
「……意味って?」
「果歩と藤堂君が、ある意味対等の関係じゃなくなるってこと。それから、果歩も藤堂君も、藤堂君の実家に大きな借りを作っちゃうことになるんだよ」
「………うん……」
 そのことなら、考えすぎるほどに考えた。それが自分のことだったら、決して頼みはしなかったろう。でも―― 。
「私も、そんな真似はさせられないな」
 振り返ってりょうは笑った。
「果歩は私の、妹みたいなものだからね」
 ―― りょう……。
 不意に目の奥が熱くなった。果歩は慌てて目の端を押さえて視線を逸らした。
 りょうが、くすっと笑うのが判った。
「心配しないで。見合いの話なら壊れちゃった。ちょっとしたアクシデントのおかげでね」
「えっ、本当に?」
「うん。二度とあんな話は出ないでしょ。後始末が少しばかりややこしいとは思うけど、もう私のほうで、あんなのは願い下げだしね」
「……大丈夫なの……?」
 りょうのあっけらかんとした明るさに、むしろ果歩は不安になっている。
「ま、なんとかなるでしょ。もしかして、役所をやめて家を手伝うことになるかもしれないけど」
 りょうは杯を唇につけた。
「自分を安売りするのだけは二度とごめんよ。どうせなら、ビル・ゲイツか孫正義レベルの大物を持ってこいっつーの」
「そ、それ大物すぎ」
「諸手を挙げて降参できるほどの人でなきゃね。……とはいえ、現実に好きになりそうなのは、案外レベルの低い男かもしれないけど」
「え?」
「じゃあ、次の質問にいきまーすっ」
 流奈の甲高い声がした。
「てか、もうそろそろやめようぜ」
「なんか、いまひとつ盛り上がりにかけるような……」
 南原と水原の忠告も無視して、流奈は間髪いれず言葉を継いだ。
「この私、都市計画局のアイドル、須藤流奈のスリーサイズは? はいっ、藤堂さんから答えてください!」
 初めて藤堂が、途方に暮れた顔をした。
「いや、それ、お題っていうよりクイズ……」
 水原が呟いた時、
「ブッブー、時間切れです。それじゃあ、罰ゲームタ〜イム」
 乃々子と流奈が歓声を上げる。
 しまった、なんて卑怯な手を―― ! 果歩が我に返った時には、藤堂は場の中央に引きずり出されていた。
「まぁ、それはそれで面白いんじゃねぇの」
「藤堂君は、私生活に謎が多いからな」
 あまりにも理不尽なやり方で決められてしまった生贄は、全員の注目を浴びながら、所在なさげに髪に手を当てた。

 


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