自分という人間の姿を客観的に見ようと思ったら、それは写真を通すしかないのかもしれない。 (――鏡は、違うの。瑛士さん) (――あれはあべこべに映ってしまうものだから、本物とは逆の自分が見えるのよ) 香夜がそんなことを言ったのは、確か中学生の頃だった。 だからね。瑛士さん。人はいつもあべこべの自分を見て、喜んだり失望したり、挙句、精一杯おしゃれをしているのよ。それって、すごく滑稽だと思わない? 薄暗い照明の下に立つ藤堂の前には、今、1枚の写真が掲げられている。 おそらくは自分と瓜二つ。――27歳の父親が、肘掛椅子に腰掛け、物静かな微笑を浮かべていた。 遺影にも使われた写真だった。撮られたのは27歳の誕生日。その2カ月後に、彼は自動車事故で帰らぬ人となったのだ。 吹き抜けの高い壁は、全て一族の写真で埋め尽くされている。 園庭の西に建てられたこの塔は、幼い頃の藤堂にとっては、どんなお化け屋敷より恐ろしい場所だった。 近寄ることはおろか、視界にいれることさえしなかった。 ここに、絶対に認めないと心に決めた、父親の思い出が閉じ込められていると知っていたからだ。 死者の塔――。 螺旋階段がめぐらされた筒状の壁を、藤堂は顔を上向けて見上げた。 遠くに見える天井までが、全て吹きぬけになっている。 その壁一面に、一族累代の写真と肖像画が張りめぐらされている――そう、ここは死者の塔なのだ。死した者の、その思い出の全てが閉じ込められている場所。 ひんやりとした空気が、藤堂の肌をそっと撫でた。 丁度、藤堂の頭上あたり、北側の一番下には、わずか20歳で死んだ脩哉の写真が飾られている。 「…………」 藤堂は無言で、脩哉の写真に視線を向けた。 写真の脩哉は、にこりともしていない。黒のタキシード姿。長い髪を後ろに流し、ぞっとするような冷やかな目で瑛士を見下ろしている。まるで、蔑んででもいるかのように。 ――脩哉、僕を笑っているのか。 数年ぶりに脩哉の写真と対峙しながら、瑛士は、心の中で呟いた。 ――それとも怒っているのか。どっちなんだ。 「瑛士様、こんなところにおられたのですか」 背後から、聞き慣れた男の声が控え目に響いた。 「そろそろお支度を――14時には、皆さまお揃いでございます」 「ああ。今行く」 最後に、父の写真に視線を向けて、藤堂は静かに踵を返した。 死ぬまで、その生き方を受け入れることはできないだろう。 でも、――今は、父親であるということだけは認めている。 16年前、硬くなに閉じていた扉を、脩哉によって壊された夜から。―― ************************* 「やっぱり、戻る?」 りょうが呟いたのは、高速も残りわずかとなった時だった。 ぼんやりと外を見ていた果歩は、驚いて振り返った。 「えっ、なんで?」 「とんでもなく憂鬱そうだから。目的地に近づくにつれ、果歩の憂鬱度がアップしていくのが、手にとるように分かるから」 笑いを含んだ口調だったが、りょうらしく、それは少しだけつき離してもいた。 「どうするの? ぶっちゃけ親分がそんなだったら、子分の私の立つ瀬がないもの。果歩が無理なら、ここで灰谷市に引き返すのもアリだと思うよ」 「…………」 「家とか歴史とかごちゃごちゃ言っちゃったけど」 りょうが苛ついたように言ったので、果歩は少し苦笑して、その後を継いだ。 「結局は、私と彼の問題……そうでしょ?」 「判ってるなら、それでいいけど」 「うん……それは、よく判ってるんだけど」 それでも、憂鬱な思いは、確かにりょうの指摘どおり、車が彼の元に近づくにつれ、ますます濃くなっていた。 ただ、それは、りょうが思っているような理由とは、多分違う所にある。 果歩が、ずっと心に秘めてきたある過去の光景が、否応なしに脳裏に蘇ってしまうのだ。 「……真鍋さんの事、覚えてる?」 「うちの社長の馬鹿息子でしょ? 忘れるわけないじゃない」 「そんな言い方はよして。もう過去のことだし、別に彼の事を恨んでるってわけでもないのよ」 「はいはい、果歩はお人好しってことで。それで?」 しばらくの間、窓の外を見てから、果歩は言った。 「それまで、自分のものだとばかり思ってた人がさ」 (――どなた?) (――雄一郎さんなら、奥で着替えていますけど、よろしければ、呼んでまいりましょうか) ふっと強い感情が込み上げ、不意に果歩は泣きそうになっていた。 りょう……。 馬鹿だって笑わないでね。 私、ひとつだけ、りょうに隠していたことがあるの。 もう、何年も前だけど、やっぱり私、こんな風に殴りこみにいったことがあるの。 どうしても――どうしても、納得できなかったし、何かの間違いだと思ったから。 「……どういう形であれ、自分のものじゃなくなった人を……誰かから奪うって、怖いことだよね。すごく、怖いことだと思う」 「誰かのもの」 りょうは無感動に繰り返す。 「まぁ、いいや。それで?」 「他人の幸福を壊してまで、私……藤堂さんを奪い返すことが出来るのかなって、そう思ったら怖くなったの。っていうより、藤堂さんがもし幸福そうだったら、私なんて尻尾巻いて逃げるしかないじゃない」 「そうじゃないと思ってるから、果歩は行くんでしょ」 「……うん。でも」 人の気持ちは変わるから――不変のものなんて、この世界には絶対にないから……。 「そういうの、二度も経験すると思ったら、ちょっとばかり怖くなってさ。ごめんね。ここまで来て、弱気なこと言って」 「……察するに、雄一郎さんの時に、似たようなことがあったってこと?」 「…………」 「1人で殴りこみをかけたはいいけど、幸福な家庭に割って入ることができなかった。どう? あたり?」 「……いつの間にテレパシーまで身に付けた?」 「精神と時の部屋で修業したのよ。私の助言が欲しいなら言うけど、だったら帰れば?」 りょうの口調は、辛辣だった。 「そんなの最初から判ってることじゃない。三角関係の末路なんてね、自分が犠牲になるか、恋敵が犠牲になるかだけよ。恋愛なんてそんなもの。2人で共有することが出来ない以上、どっちかが涙を飲むしかないじゃない」 「…………」 「いわば、エゴとエゴのぶつかりあいよ。折れた方が負けってだけ。果歩、あんたは8年前に多分、自分で折れたのよ。怖いのは、その繰り返しを再体験すること。違う?」 「…………」 「そこの葛藤、自分でなんとか乗り越えなきゃ、8年前の二の舞が待ってるだけよ。そもそも相手には、妊娠っていう最終兵器があるんだよ? そんな弱気じゃ、戦う前に負けるに決まってるじゃない」 「でも――もし」 「香夜さんの妊娠が本当で、藤堂君が、今のシチュに大いに幸福を感じていたら? その時はすっぱり諦めるのね。平手打ちの一発や二発くれてやってさ。あのさ果歩。人が誰かのものだなんて、考えるほうがおこがましいよ」 「…………」 「人は誰のものにもなれやしないよ。決めるのは藤堂君。苦しむのも彼がすること」 果歩は黙って、自分の膝に視線を落とした。 人は――誰のものにもなれやしない。 「果歩はね。もし彼がそうして欲しいなら、その苦しみをわかちあってあげればいいだけなんだよ。……色んな十字架を背負ってでも、2人で生きて行くって決めたならね」 ************************* 「なんだ、今日の主役が、まだもたもた支度の最中か」 「14時に会場入りするようにと言われているので」 タイを締め直しながら、藤堂は言った。 鏡越しに、長身の男の姿が見える。松平帝。ホワイトグレーのスーツにサーモンピンクのネクタイ。まるでディナーショーのような衣装だが、それが、厭味な程様になっている。 「なかなか派手なパーティになるらしいぞ」 背後のクッションに腰掛けて足を組み、帝は鷹揚な口調で続けた。 二宮家本殿の客間。 すでに後継者候補時代の館は閉じられている。8年ぶりに二宮家に戻った藤堂は今、本殿客室に滞在していた。 「今年は、夏のガーデンパーティが台風で中止になっただろう。それも兼ねて、親族はおろか、名だたる政界人も招かれている。なにしろ表向きの題目は二宮家当主の生誕祭だからな」 「そんな席で、婚約を発表していただけて光栄ですよ」 藤堂が淡々と返すと、帝は眉を上げて足を組みかえた。 「次期当主の発表も兼ねているんだろう? 脩哉が死んで8年か。当時、誰もがお前を憎んでいたものだが、そろそろほとぼりも冷めてきた頃だ。俺も、今ならようやくお前たちを祝福できそうだよ。――なんて言うと思うか」 口調を不意に変え、帝は凄みを帯びた目で藤堂を見上げた。 「俺は言ったな。お前の罪は生涯消えない。泣くことも、忘れることも許さないと」 「…………」 「香夜との結婚がお前の贖罪で、過去の罪から許されたつもりになっているなら、大きな間違いだと言ってやる。香夜がそれを望んでも、俺はそんな結末を望まない」 吐き捨てるように帝は言った。 「――俺が望んでいるのは、そんな生ぬるい罰じゃないんだよ」 立ち上がった彼の目は、怒りとさげすみの冷笑が浮かんでいた。 「で、うちのあばずれは今度は誰の子を孕んだんだ? 生憎妊娠は本当のようだが、どうせ、それはお前の子じゃないんだろ?」 「出て行って下さい」 動揺を抑え、藤堂は静かに遮った。 「話なら、夜にでも聞きすよ。今日は帝さんも、色々お忙しいのではないですか」 「この状況で、何を落ちついていやがるんだ、お前」 呆れたように眉を上げた帝は、すぐに憐れみを込めた目で藤堂を見上げた。 「真正の馬鹿だな、お前。……じゃあ本気で、あの嘘つき女を庇って結婚までしてやるつもりなのか」 「庇うつもりはありません。僕に、責任があるからです」 「責任? なんの? 言っておくが、お前は自分の本当の責任なんて、これっぽっちも理解していないんだぞ」 「…………」 ――どういう意味だ? 「……すっとぼけやがって……。その賢い頭をたたき割って、脳を記憶ごと引きずり出してやろうか」 表情を硬くさせた藤堂を見やり、帝は諦めたように肩をすくめた。 「ま、いいや。お前のオツムは俺が思うより随分繊細みたいだからな」 意味が分からないことを言って笑うと、帝は扉の前まで行って、足を停めた。 「そうそう、ひとつ残念な報告があるんだ。以前話した俺の恋人だが――もしかすると、今日は来られないかもしれない」 「出て行ってもらえませんか」 感情を押さえながら、藤堂は繰り返した。 僕の本当の責任――? 帝が放ったその言葉の意味が、抜けない棘のように、胸の底に不快な痛みを広げている。 「まだ支度が終わっていませんし、片倉と打ち合わせも残っているので」 「その女性の名前を聞かないのか? 的場果歩さんというんだ。灰谷市役所の人さ」 「…………」 「確かお前も灰谷市役所だったな。知り合いか? 今度紹介してやろうか」 自分の表情がみるみる変わるのを藤堂は感じた。 「彼女に、会ったんですか」 「前も言ったろう? もう俺のものにしたんだよ。口説いて、デートして、その夜のうちに美味しくいただいた」 「馬鹿馬鹿しい」 今度は藤堂が、吐き捨てる番だった。 「何がだ? 彼女の貞操の固さはお前の保証書つきなのか? 馬鹿だな、瑛士。女をものにするには、必ずしも合意が必要だとは限らないんだぜ」 「…………」 「特に、信じていた男に裏切られたばかりの女にはな。どこもかしこも隙だらけで、拍子抜けするほど簡単だったよ。ホテルに連れ込んで、最初は抵抗されたけど、観念するのも早かった。結構着痩せするタイプじゃないか。下着の趣味も悪くはない。そうだ。右の肩甲骨の下に、ほくろが二つ並んでいたぞ」 「…………」 「とはいえ、どこにも取り柄のない、極めて平凡な女だった。本当は少しばかりベッドテクニックに期待したんだ。なにしろ、あの雄一郎さんが、一時熱をあげていたというから――」 「……黙れ」 「は?」 頭の中を黒い疾風が駆け抜けたと思った時には、帝の怯えた顔が目の前にあった。 「二度とあの人を、汚い言葉で侮辱するな!」 自分の声で室内の空気が震えた。顔をゆがめた帝が、苦しそうなうめき声を洩らす。 「へぇ……」 が、喉をカラーで締められながらも、帝はすぐに感情の態勢を立て直したようだった。 「優等生。ようやく、本音を吐いたじゃないか」 にやり、と帝は不敵に唇をゆがめた。 「離せよ。汚れた手で俺に触るな。そして忘れるな。お前にはもう、彼女を守るどころか怒る資格さえないんたぜ?」 「…………」 藤堂は、恐ろしい激憤にかられたまま、突き放すように帝から手を解いた。 2度ばかり帝は咳き込んだ。しかし相当苦しかったはずなのに、彼は平然と藤堂を見上げた。 「今の話は、半分は嘘だが半分は本当だ。知ってるだろう? 今まで俺が口説いた女で、落ちなかった女はいない」 「彼女は、そんな愚かな人じゃない」 「そうか? 極めて単純なお人好しに思えたけどな」 ねじれたタイを直しながら、帝は楽しそうな口調で続けた。 「彼女はどうしたって俺を頼ってくるだろうし、そうやって弱味をみせてくれたらこっちのものさ。あとはその弱味にとことんつけこんで落とすだけ。――俺に言わせれば、今日の招待状を受け取った時点で、もう落ちたも同然だよ」 ************************* 「それにしても、吃驚しました。本当によかったんですか」 再び走り出した車の中で、後部シートに移った果歩は、新しく運転席に座った人に声を掛けた。 「お休みでもないのに、こんなことにつきあわせてしまって。なんだか申し訳ないというか……それ以前の問題というか」 「いえ、いいんですよ」 高速を降りた直後に合流した人は、ミラー越しに優しい微笑を果歩に返した。 ぞくり、とするほどのハンサムである。目が合うだけで、果歩は少しばかりうろたえていた。 「僕は彼女に、大きな借りがあるので――このような形で返せることを、とても光栄に思っているんです」 その「彼女」――宮沢りょうが、助手席から果歩を振り返った。 「ごめんね、果歩、いきなりで驚いたでしょ。私の知り合いで、それっぽいって言ったら、彼か、CLOWのマスターしかいなかったから」 「ううん。それはいいんだけど……」 それっぽいという言い方に、微妙な違和感を覚えたものの、確かに助っ人が増えるのは心強かった。が、りょうがどういう意図でこの人を呼んだのかは、今一つ果歩には判らない。 「たまたま、こちらに用事で来ていたんですよ。僕の実家がこの辺りでね」 運転席の人が、話を継いだ。 「そうしたら、宮沢さんからお電話をいただいて。それで、こちらで落ちあうことにしたんです」 「でも、ありがとう。長瀬さん。すごくご無沙汰してたのに、私の無茶振りにつきあってくれて」 「いえいえ、とても嬉しかった。本当です」 今、りょうの車を運転しているのは、長瀬高士という男だ。 果歩の知る限りのプロフィールを言えば、市内中心部にある洋風居酒屋の雇われマスター。 身長は、おそらく藤堂と同じくらい。男らしいのにセクシーで、野生味を帯びた危険な双眸を持っている。超が何個ついても足りないくらいのイケメンマスターなのである。 そして……りょうがかつて、熱烈に片思いしていた相手でもある。 確か、長瀬には亡くなった妻との間に1人息子がいて、死してなお、妻をひたむきに愛していた。りょうは――あのりょうが、相手にもされていなかったらしい。 そして、完全失恋したのが、10月のことだ。 以来りょうは、行きつけの店を「DARK CLOW」に変え、長瀬とは、それきり縁が切れたものだと思っていたのだが――。 ――今思えば、りょうにぴったりの運命の人なんだけどなぁ……。 果歩は、少しばかり不思議な気がして首をかしげる。 その長瀬が、実に久々に、こんな形で再登場したというのも驚きなのだが。 「長瀬さんは、マスターになる前は色々な仕事をしていて……まぁ、その全部を紹介するのは気がひけるけど、ジャーナリストの仕事もしていたのよ」 助手席のりょうの説明を、長瀬が苦笑して遮った。 「ルポライターですよ。しかも犯罪や裏社会専門の。ジャーナリストというほど大層なものじゃないですから」 「つまり、この手の潜入はお手の物ってこと。二宮のことも、実は長瀬さんに色々教えてもらったんだよね」 「以前、ちょっと調べたことがありましたからね」 そこで言葉を切った長瀬は、不意に感嘆したように呟いた。 「しかし、いい車ですねぇ。――僕のようなチンピラには、生涯縁のない車ですが、この持ち主は、どうして運転手になる権利を放棄されたんでしょう」 「えっ、りょうの車じゃないの?」 果歩が驚いて口を挟むと、りょうが噴き出した。 「ぶっ、こんな車、どうやったら公務員の安月給で買えるのよ。借りたのよ。お金持ちで車マニアの弁護士さんから」 知らなかった……。 磨き抜かれた黒のレジェンド。見た目も豪華だが、改めて見ると、内装にも相当手をかけている。ステアリングは琥珀で、シートなどは腰が沈みそうなほどに柔らかい。 「この車の持ち主さんは、見た目は悪くないんだけど、ちょっとばかり残念な人なのよ」 笑いながら、りょうは言った。 「最近、私に寄ってくるのはそんな男ばかりなの。いい男にとことん縁のない運命なのね」 「宮沢さんが言うと、ひどく厭味に聞こえるけどな」 「まっ、それこそ、私にはひどい厭味に聞こえますけど?」 声をたてて笑うりょうは、果歩には、どこかいつもと違って見えた。 どこが、と言われたら判らない。例えて言えば、何か――彼女を覆っていた殻が一枚はがれてしまったような、そんな感じだ。 ――もしかして、長瀬さんのせい? 少しばかり、自分が邪魔者みたいに感じられる果歩だったが、2人の間にそんな気配は全くない。りょうからも――以前のような、切羽詰まった熱は感じられない。ごく普通の、友達同士、という感じだ。 「少し予定より早く着きそうね」 そのりょうが、腕時計に視線を落としながら言った。 「そうですね。もう、敷地との境界が見えている」 長瀬が、その後を継いだ。 果歩は慌てて、山しか見えない閑静な景色に視線を馳せた。いや、どこに――? が、あれはなんだろう。自衛隊屯所によくあるような小さな建物が、山間の至る所に点在しているように見えるけど――。 「すぐに検問が入りますが、正式な通行パスはお持ちですよね?」 車のスピードをゆるめながら、長瀬が言った。 その時には、果歩ももう気づいている。この車の前後に、フェラーリ、キャデラック、クラウン、ベンツ……とんでもないゴージャスな車たちが列を為しつつあることを。 てゆうか検問って何? ここは、何時代の、なんていう場所ですか? それに、通行パスって……。 「もちろんあるわ。対応はひとまず私に任せて、2人は黙って話をあわせてくれる?」 「えっ、本当に」 りょうがあっさり答えたので、果歩は眼を剥いていた。 とりあえず、玄関で呼び鈴押して――それで、なんとかなると思っていたのは私だけ? 「あ、あの、パスって何? 私が持っているのは、同伴者様ご招待……って、それだけなんだけど」 松平帝が、それだけをバッグの中に残しておいてくれた。それで果歩は、二宮家の住所もそうだし、パーティの日時も知ることが出来たのだ。 「その招待状なら、使わない方がいいと思うけどな」 視線を前に向けたままで、りょうが言った。 「なんで?」 「んー……なんとなく。住所までご丁寧に入れてるあたり……ちょっと不用心かな、と思うのと」 唇に指をあて、りょうは続けた。 「私には、その松平って人、どうにも胡散臭く感じられるのよね。言ってることは全うそうだけど、ヒギンズ教授を気取るあたり、寒気がするようなカテゴリーに属してると思わない?」 それってどういうカテゴリー? そう思いながら、果歩は招待状の封筒をバッグに収めた。 「まぁ、信用していいのかって言われたら、確かに今ひとつ分からない人ではあったけど……、招待状を使うくらい、大丈夫じゃない?」 「念のため、ね。もしこれが何かの罠だったら、招待状を見せた時点で、帝って人が先に手を回してしまうかもしれないじゃない」 りょうの用心深さには感心するしかない果歩だったが、そこまで疑う必要があるかな――と、同時に思っている。 確かに得体のしれない相手ではあるものの、帝の言葉のそこかしこには、真実が宿っているような気がしたからだ。 (脩哉が死を選んだ時――2人の魂の一部も、一緒に死んでしまったんでしょうね) (瑛士は強い男ですが、その時負った心の傷は、瑛士が思っている以上に深かったのかもしれません) その言葉を聞いたから、――果歩は、決心することができたのだ。藤堂に、もう一度会いに行こうと。 会って、彼の本心がどこにあるか、それを自分の目で確かめようと。 「ま、果歩の人を見る目は……ある意味誰よりも確かだとは思うけどね」 りょうは、微かに溜息をついた。 「それでも、裏をかくにこしたことはないってこと。本当に帝って人が味方だったら、どんな登場をしたって果歩の味方になってくれるわよ。それに、ジョーカーは最後の切り札に取っておかなくちゃ」 「僕は、宮沢さんを信じていますが」 口を挟んだのは長瀬だった。 「それでも、少しばかり強引、という気もしなくもないです。あなたが思っている以上に、この山の天辺に住む人たちは危険ですよ」 さすがは元ルポライターらしく、その口調にはぞっとするほどの重みがある。が、りょうは平然と煙草を唇に挟みこんだ。 「本当に邪魔だと思われているなら、もっと早い段階で手を打たれているんじゃないかしら」 「え……?」 「さて、そろそろ敵陣に到着よ」 りょうは、さっさと会話を切り上げた。 「果歩、いい加減覚悟を決めなさい。言っとくけど、私も長瀬さんも、あんたに命を預けてるの。後のことはどうにでもなるから、とにかく藤堂君のところに、辿りつくことだけを考えなさい」 |
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