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年下の上司 story15〜FeburuaryB

ミッシングリンク(5)

 
「繋がらない……携帯、切ってるのかしら」
 りょうは、眉をひそめて携帯電話を閉じた。
「もしかして、拉致られた? いくらなんでも、息子の同僚相手にそこまでするとは思わなかったんだけど」
 長瀬は無言で、自身の携帯を取り上げた。
 二宮家の敷地内。りょうと長瀬は、エントランス前の広場に停められた車の前に立っていた。
 追い立てられるように会場から押し出された2人は、たちまち外に連れ出された。
 玄関前には、すでに黒のレジェンドがつけられていて、――つまりは、このままお引き取り願いますと、そういうことらしかった。
 特段、詰問されるわけでもなければ、恫喝されたわけでもない。監視がついているわけでもなければ、今も、2人の行動に指示を出す者は誰もいなさそうだ。
 かえってそれが不気味な気がして、りょうは再度携帯電話を耳に当てた。
 ――果歩……。どこに消えちゃったのかしら。
 目的は果たしたが、もちろん、果歩抜きで帰れるはずもない。果歩だけが、あの騒動の最中別の場所に引っ張っていかれて、それきりどこからも出て来ないのだ。
「これは……多分、無駄ですよ」
 長瀬の声がした。
「どういうこと?」
「おそらく、この地域一帯に、なんらかの妨害電波が発生しているんですよ」
「妨害――?」
 りょうは目を丸くしていた。冗談でしょ――ここって一体、どういう世界?
「ここは、ある種の治外法権地区なんです。以前調べたとき、地元民の噂を聞いたことがある。日羽山の向こうには異国の城があって、迷いこんだら二度と生きては戻れない。おまわりさんも、あの山の住人には手が出せない。――そんな風にさえ言われている場所なんですよ」
 長瀬は携帯を畳み、それをポケットに滑らせた。
「とにかく、事情を聞いてきます。交通手段もないのに、的場さん1人を置いて帰るわけにはいかないですからね」
「私も行くわ」
「いえ」
 長瀬は素早く遮った。
「今のような場合、むしろ2人で動いた方が、警戒されると思います。宮沢さんは車の中にいてください。その方がいい」
 修羅場慣れした男は、すぐに踵を返すと、再びエントランスの中に入っていった。
 ――なんて頼もしい……。
 とはいえ、一民間人の敷地内で妨害電波って、どういうこと?
 警察も手が出せない治外法権区域。本当に、とんだところに来てしまったらしい。
 ――まぁ、とって食うつもりなら、とっくにそうされてただろうけど。
 りょうは車の傍らに立ち、煙草を唇に挟んで火をつけた。
 それにしても、今の状況を抜きにして考えると、ここは結構いい場所だ。済み切った空気に、遠景に見える美しい山の稜線。本当に都内の光景だろうか、――と、ふと錯覚を覚えてしまうほどだ。
 ただ、数日滞在する観光地としては、確かに素晴らしい絶景だろうけど、こんな山奥に閉じ込められて生活するってどうなんだろう。
 下界の常識とは何もかも違う異世界で―― そこで育つ子供って、一体、どんな大人になるんだろう。
 背後に車が停まったのはその時だった。
 煙草をくわえたまま振り返ったりょうは、目を見開いていた。
 そんな――まさか――でも――。
 りょうの前で、運転席から飛び出してきた運転手が、後部座席の扉を開けた。
「あまり時間はございませんよ」
「大丈夫だ。すぐに終わるよ」
 車から出てきた人が、りょうを見下ろし、わずかに微笑んで目礼する。
 不可解にからまっていた鎖が、今、解けた。
 それでもまだ信じられず、りょうは、呆けたように、その場に立ちつくしていた。
 
 *************************
  
「本当に馬鹿な人だこと。冗談じゃありませんよ。大切な息子の晴れの日に、とんだ妨害をしてくれて、一体どう責任を取るおつもりなの」
「……すみません」
 果歩にはそれしか言えなかった。
「ああ……吃驚した。そしてどうしてこの私が、その馬鹿げた後始末をしているのかわかりませんけれど」
 薄緑の和服を身につけている人は、暑そうに――けれど優雅に、扇で自身をかろく扇いだ。
 果歩はただ、ひたすら恐縮して緊張していた。
 そして、目の前を歩く人の後について、どこにいくかも判らずに歩いている。
 その人と果歩が会ったのは一度だけだ。しかも、車のウインドウ越し。
 ――藤堂さんの、お母さん……。
 それと判った時の驚きときたら、背筋に、冷水をいくら流されても足りないくらいだった。
 一度会った時も思ったが、なんともいえない貫録がある女性である。切れあがった細い瞳。厚みのある艶めいた唇。凄味のある美人だが、それでいて緩いオーラを悠然とまとっている。
 たとえていえば――たとえは悪いが――上品すぎる極妻、といったところだろうか。
 同性の果歩でさえ、そそられるような美貌なのだから、若い頃は相当だったのだろう。
 ふと果歩は、母に対して申し訳ないと言っていた、かつての藤堂の言葉を思い出していた。
「乗って」
 屋敷の内門を出ると、そこには白い車がつけられていた。国産だが、そこそこグレードのある車である。
「は、はぁ」
 逆らうことも、その意図を聞くこともできず、果歩はおずおずと、藤堂の母について、後部シートに身を入れた。
「家までやってちょうだい」
 それだけを運転手に指示すると、藤堂の母は、ゆったりとシートに背を預けた。
 ――家?
 果歩は、初めて、このままではまずいことになると理解した。
 どうせ反対されるか、別れるよう説得されるのは判っていたが、少なくとも、りょうと長瀬さんのことだけはなんとかしないといけない。
「あ、あの……。待ってください。私、友人と来ているんです。その友人に断らないと」
「ご友人2人なら、もう帰されているでしょうよ」
 あっさりと、藤堂の母は言った。
 やや語尾が掠れた柔らかな声は、演歌歌手のように聞き心地がよかった。
「ああ……紹介がまだでしたね。瑛士の母です。それはもうご存じかしら。藤堂佳江と申します」
「……的場、果歩です」
 果歩は、再びおずおずと頭を下げた。
 佳江は、艶めいた唇から、疲れたような吐息を吐いた。
「あなたが、どこまで理解して乗り込んで来られたかはわかりませんけど、もちろん喜彦さんは、全てを承知されていたのでしょうよ。でなければ、あなた方が邸内に入って来られるはずがありませんものね。――ただ、それでも、何かが、あの方の想定を裏切ったのでしょう。あの方には珍しいことに、ひどく面白がっておられたようですから」
「そうなん……ですか?」
 あの混乱の場で、果歩には、藤堂の義父の反応まで窺う余裕はなかった。
 それどころか、当の藤堂の反応さえ判らない。あの時、藤堂さんは――どんな顔で、私の声を聞いていたんだろう。
「何もかも知っているということは、何も驚くことがないということなんですよ」
 ゆっくりと、含めるように佳江は言った。
「あの家の人たちは、みな、そういう環境下で生きていくしかない運命を背負っているんです。瑛士も、あの子の父親もね。だから私は、瑛士が自分の意思で家を出たことは、とてもよいことだと思っています」
「……ご養子に出されたのは、お母様の本意ではなかったんですか」
 口に出した直後、余計なことを言ったと気づいたがもう遅かった。
 車は既に、外門を出て、山道を緩やかに滑り降りている。りょうと長瀬のことが気になったが、当の自分がこうして無事に脱出できたのだから、付き添いの2人なら大丈夫だろう。
 ただ、これから、どうやって自分が灰谷市に帰るかだけが問題ではあるが――。
「もちろん、私の本意ですよ」
 佳江は細い目を鋭くさせて、膝の上で指を組んだ。
「瑛士がもって生まれた血は、私にどうこうしてやれるものではないですからね。全てはあの子が選択し、決めることだと思いました。だから私は、あの子に選択する機会を与えることに決めたんです」
 聞かれた質問が癇に障ったのか、ひどく冷やかな口調だった。
 それも、無理もない反応である。そもそも果歩は、自分がどういう立場でこの人と接していいか判らないのだ。なのに、いきなり踏み込んだことを聞いてしまった。
「……すみません、余計なことを言って」
 異常事態での再会とはいえ、これで第一 ――いや、第二印象はますます最悪になったに違いない。
「余計な質問なら、私は、答えたりはしなかったでしょうよ」
 佳江は再び、扇子を開いて、自身を扇いだ。
「え……?」
「あなたには、瑛士を知る権利があると思ったからお答えしたまでのこと。つきあっているんでしょう? うちの息子と」
「…………」
 それは――。
 ついこの間までは、確かにそう思っていたけど、今は――。
 その時、携帯電話から軽快な着信メロディが鳴り響いた。「中高年、中高年、あなたも私も中高年」ぎょっとした果歩は、やや意外な感に打たれつつ、携帯を優雅に耳に当てている人に目を向けた。
 すっかり忘れていた――この人には、意外とコメディチックな一面があるんだった。
「ええ、大丈夫です。ひとまずうちに連れて帰るわ。私の方も、色々お聞きしたい話がありますからね」
 相手は誰だろう――それまで冷たかった佳江の横顔が、少しだけ柔らかくなっている。
 てか、うちに連れて帰るって――もしかして、私のこと?
「代わりましょうか? ……あら、いいの?」
 佳江の目が、その刹那果歩に向けられる。
「それはいいけど……私の口からは言いづらいわね」
 果歩はようやく、彼女の電話の相手が、息子の瑛士なのだと気がついた。
 そして今、藤堂の口からは言い難い何かを、彼女は伝言されたのだ。
「そ、じゃあね。あなたも大変でしょうが、頑張りなさい」
 果歩の動揺だけを残し、あっさりと電話は切れた。
 電話――。
 藤堂さんから。
 お母さんにはしても、私にはしてくれない。どころか、電話を代わろうともしてくれない……。
 それきり佳江は取り澄ましたように黙り込み、果歩に、何も話さない。
「あの……私」
 膝の上で、手を握り締めながら、果歩は言った。
 よく判った。
 今の仕打ちが、藤堂の出した答えなのだ。
 悔しさとも悲しさとも違う。胸にぽっかりと穴が空いたような不思議な感覚。
 雄一郎の結婚を知った時もそうだった。果歩はよく知っている。本当の辛さは、遅れてやってくるものなのだ。
 彼のいない現実が、日常になった時に。
 唇の震えを懸命にこらえ、できるだけ平静通りの声で、果歩は言った。
「色々とありがとうございました。……私、灰谷市に帰ります。申し訳ないですけど、どこか、車の拾える場所で下ろしてもらえませんか」
「どうして?」
 ほつれた髪を指で優雅に直しながら、佳江は不思議そうな声を出した。
 どうしてって――。
「役所は、日曜はお休みではなかったかしら。今夜はうちに泊りなさい。灰谷市には、明日戻ればいいじゃない」
「それは――無理です。そんな……」
 果歩は困惑して、うろたえながら視線を彷徨わせた。
 もう、勘弁してほしい。
 こんな夜に、どうして彼の母親の家に泊ることなどできるだろうか。
「瑛士を、連れて戻るんでしょう?」
 はっと、果歩は眼を見開いている。
「瑛士も明日、帰ります。そうしたらあの子の車で、一緒に灰谷市に帰りなさい」
「…………」
 呆けたように顔を上げた果歩を、初めて佳江は優しい微笑で振り返った。
「よく、あの子の頑丈な顎に、母親の私がいれようと思っていたカウンターパンチを食らわせてやってくれたわね」
 は…………はい?
 わ、私の聞き間違い? カウンターパンチって……。は?
「あれは、完全に急所に入ってたわね。あの子のガードは鉄壁なのに、よくもまぁ、ああも見事に打ち破ったこと」
 ほほ……と楽しそうに佳江は笑った。
「おかげで、目が覚めたんでしょうよ。ここ数日の夢の中から」
「あの、どういう意味ですか、それは」
 佳江のぶっそうなたとえが、全く判らない果歩である。
「それだけ、厄介な家だということよ。二宮家は」
 ふっとその横顔に影が差す。
「瑛士はあの家に、大きな落し物をしているのよ。……香夜さんはそれをよくご存じだったんでしょう。香夜さんはいい子だし、2人が結婚してくれたら、と思った時期もあったのだけど」
 ふっと佳江は息を吐いた。
「今回のことでよく分かったわ。香夜さんは……瑛士とでは幸福になれない。……それは、瑛士だって、よく判っていたような気がするけれど」
 意味はよく分からなかったが、果歩に、それ以上聞き返すことはできなかった。
 実際、佳江の呟きは、果歩が内心、ずっと疑いつづけてきたことでもあった。
 そう――多分、香夜は、藤堂を本当の意味では愛していない。
 多分、藤堂もそれを知っている。なのに何故、彼は香夜と結婚しようとしていたのだろうか――。
 
 *************************
 
「……あなただったんですか」
 りょうは、煙草を唇から離しながら、言った。
 あまりに意外な人物にこんな場所で出会ったことに、まだ、動揺は続いている。
 果歩は――?
 果歩は、このことを知っていたの?
「お久しぶりです。宮沢さん」
 真鍋雄一郎は、静かな声音で、短くそう挨拶した。
「……おひさし、ぶりです」
 警戒を解かないまま、りょうは相手から目を逸らさずに頭を下げた。
 真鍋雄一郎。
 灰谷市長。真鍋正義の実子であり、8年前は、役所でもっとも女性の関心を買っていた男である。
 プリンスと呼ばれた彼は、実際に灰谷市の王様、真鍋市長の王子そのものだった。
 女性でもかすむほどの美貌と、恵まれた体格。優れた頭脳と財産、そして権力――何もかも持ち合わせた真性のサラブレッド。
 多分、8年前の、少しばかり世の中を斜めに見ていたりょうには、最も嫌いでお近づきになりたくないタイプだった。
 が、よりによってその男が、大切な友達と恋愛関係に陥ってしまったのだ――。
「お礼を、申し上げたほうがいいのかしら」
 冷静さを取り戻して、りょうは言った。
 それだけで理解したのか、雄一郎は無言で微笑する。
 仕立てのいい外国製の黒のスーツ。おそらくは来賓として訪れたのだろう。来たところなのか帰るところなのかは知らないが、当然、予想してもいい事態だった。ここには、日本を代表する企業のトップが集っているのだ。
 果歩がここにいないことを、幸運と思うべきか――
 笑顔で顔を上げながら、りょうは続けた。
「うちの旅館を助けて下さってありがとう。ようやく何もかも腑に落ちました。議員に圧力をかけたのも、あなただったんですね」
 雄一郎は答えない。涼しげな微笑は、この会話を面白がっているようにも冷めているようにも取れる。
 あれから8年。彼の容姿は、殆ど昔のままだった。何ひとつ遜色のない、奇跡のように守られた美貌――しかし、印象はどこか違う。どこだろう……何が。
「でも残念なことに、見返りは何もあげられそうにありません」
 彼を注意深く観察しながら、りょうは続けた。
「一体、なんの目的があっての、過剰なご親切だったんでしょう。果歩への贖罪のつもりですか? だったらまるで、意味がない施しだったと思いますけど」
「果歩というのは的場さんのことですか」
 男が、少し意外そうに口を開いた。
「何故僕がそんな真似をする必要があるのか分かりませんが、それは全くのお門違いだ。もし彼女がそんな誤解をしているなら、どうぞあなたの口から否定してください」
 さすがにりょうはむっとした。
 なにこの男。果歩には悪いけど、ある意味想定通りの最低野郎だ。無垢な処女から未来の何もかもを奪った挙げ句、さっさと金持ちの女と結婚したクズ男。
 果歩がいまだこの男を忘れられないでいることが、りょうには歯がゆくてしかたない。
「果歩は何も知りませんし、もちろん私から言うつもりもありません。そこは、ご心配いただかなくても大丈夫ですから」
「安心しました」
 雄一郎は微かに苦笑して、感情のこもらない目を別の場所に向けた。
「本当のことを言えば、僕が貸しを作りたかったのは、あなたなんですよ」
「……私?」
「あなたは僕の過去を知っている数少ない人間の一人ですから。――そして余計なことを知る力を持っている。いわば未来の口封じとでもいうのかな」
「口封じ」
 これまで役所で耳にした噂を総合すると、合点がいくことはいくつかあったが、それでも腑に落ちない言い訳だと思った。だいたい未来の口封じって、何?
「ごめんなさい、私の頭が悪すぎるせいか、意味がよく分からないんですけど」
「では、その悪い頭でよく考えみてください。ひとつヒントを差し上げれば、今後あなたは、僕に関して――僕の意に沿わない発言は一切できないことになる」
「あら怖い。でも、うっかり口がすべっちゃうかもしれませんよ。女って案外口が軽いものだから」
「ご自由に。僕に軽い口を塞ぐ権利はありません。でも、今度はどうやって借金を返すつもりですか。石川議員ならもう二度とあの旅館に関わらないと思いますよ」
 自分の耳が、熱くなるのがりょうには分かった。恥ずかしさではない、怒りでだ。
 冷淡な目のままで男は笑った。
「ご理解いただけましたか」
 男の態度に、つけいる隙はわずかもない。そしてりょうは、言いなりになるしかない自分を理解した。一体目の前の男の真意がどこにあるのかは分からないが。――
 微かな悔しさを噛みしめながら、りょうは改めて男に向きなおった。
「それでも、一応お礼は言わせてください。……旅館の件も、その中で起きた事件の後始末も、……ありがとうございました」
 そして言葉を切って、一番踏み込みたくなかった場所に、踏み込んだ。
「的場さんには、もうお会いになりました?」
「いいえ。何故?」
 雄一郎は、静かな微笑を口元に浮かべる。
「さきほどの騒ぎを、てっきりご覧になられたんだと思いまして」
「残念ながら、僕は今到着したところです」
「彼女なら、まだ中にいると思いますよ」
「そうですか。では、退散した方が無難かな」
 りょうは、わずかな感情の震えを、握った拳で押しやった。
「……別に退散されなくても、的場さんはなんとも思わないと思いますよ。なにしろ彼女は、今、別の恋に夢中ですから。あなたのことは、最悪の経験として多少のトラウマになっていますけどね」
「それは若干の責任を感じるな。――では僕は時間があるので、これで」
 りょうの皮肉を笑顔で流すと、雄一郎は丁寧にお辞儀して、再び車に乗り込んだ。
 走り去る車を、りょうはなんとも言えない憤懣を抱いたままで見送った。
 恐ろしく嫌な気分だった。それでもあの男は、りょうにとっては足を向けて眠れないほどの恩人に違いないのだ。――今となっては。
 分かっているのは、今の果歩を、絶対に彼に再会させたくないということだけだった。
 心優しい親友が、あんな裏切られ方をしてもなお、初めての恋人との思い出を、宝物みたいに大事にしているのはよく知っている。
 去年の秋、真鍋雄一郎の名を役所の幹部連中の口から聞いた時から、嫌な予感はしていたが……。
「果歩……あんた、4月に本庁を出た方がいいわよ。絶対に」
 その警告はもちろんのこと、今日のこの邂逅さえ、果歩に告げることはできないのだ。この先、彼のどんな真実を知ろうと、絶対に。
 自分がひどく重たい荷物を背負ってしまったことを、りょうは、今さらながら思い知っていた。




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