「……本当は、的場さんのところに、最初にお詫びに行きたかったんです」 並んで歩く乃々子が、呟くように言った。 「でも、南原さんが、どうしても最初は藤堂さんだって言うから。……今夜、正直、気持ちは超重たかったです。南原さんと藤堂さん、あれだけ仲が悪かったのに何話すんだろうって」 「……藤堂さんは、あまり気にしていないわよ」 果歩は、慰めるように言ってやった。 「いやぁ……どうかなぁ」 乃々子は何か言いたげだったが、諦めたように嘆息する。 2人の吐く息が、冬の夜を白くしている。目指すコンビニまで、あと少しだけ距離があった。 そっか。 今夜の発起人は乃々子ではなく、南原だったか。 なのに、一人不機嫌を決め込んでいるなんて、それでは藤堂も乃々子も戸惑うはずだ。 「大丈夫かなぁ、2人」 「大丈夫よ。職場と違うから戸惑ってるだけで、すぐに普段の2人に戻るでしょ」 「だったら、いいんですけど――てか、それって、喧嘩してるってことですか?」 「いいんじゃない。喧嘩でも」 果歩が言って、2人は顔を見合わせて笑っていた。 「……聞いても、いい?」 果歩は、夜空を見上げながら、言った。 「一体、いつ頃から、南原さんのこと好きになったの」 「……さぁ、わかんないんです」 乃々子ははにかんだように、笑った。 「年末のお休みに入った時、かな。気がつけば、あの人のことばかり考えていて、それで、好きなんだって気が付きました。何度も否定したけど、もう間違いないと判った時は、正直、すごくショックだった」 「なんで?」 「だって――嫌いだったから」 当時の感情に戸惑うように、乃々子は続けた。 「ずっと自分には合わない人だと思っていたから、そんな人好きになるなんて、私、もう終わったな、と思いました。でも一晩考えて、次の日、電話しました。会いたいって」 「……で、告白?」 冷静さを装って訊きながら、果歩は内心慄いていた。 可愛い草食ウサギみたいな乃々子の、意外な肉食面――いや、意外な積極性にである。 果歩には、逆立ちしたって真似できないだろう。好きと気づいて翌日告白。絶対に、無理。 「その後の話はしましたよね。即、爆笑されたって」 自嘲気味に、乃々子は笑った。 「その時は、本気でムカついたし、この世の終わりってくらいショックでしたけど、後で考えたら、南原さんの気持ちも判るかなって。……だって、私ですらその前日に気がついたのに。意識さえしてなかった相手にいきなり告られても、からかわれているとしか思えなかったんだろうなって」 「……意識、してなかったって?」 「はい」 乃々子は、少しふてくされたように、力強く頷いた。 「……多分、ですけど、私と別れてから、自分のリアクションがまずかったことに気がついたんじゃないですかね。あの人無神経だけど、案外気の小さいところがあって、後でくよくよ悩むタイプだから」 「えっ、本当に?」 それには、果歩が本気で驚いていた。 「……私の眉毛をからかった時だって、……随分後になってから、そんなことすっかり忘れた頃になって、突然謝ってくるみたいな? そういうとこ、ありますから」 「…………」 そうだったんだ。 あの事件が起きたのは、まだ夏の頃だった。 南原さん、乃々子に――謝ってたんだ。 ふぅん……。 「で、南原さんは、いつ乃々子のこと?」 今度は、少しばかりの野次馬根性で、果歩は乃々子の肘をつついていた。 「知りません。聞いても、言ってくれないし」 乃々子は唇を尖らせた。 「もしかして、身体から入ったんじゃないかと、それが心配で心配で。だって、両思いになる前に、そういう関係になっちゃったんですよ? それでいきなり妊娠とかだし」 夜でよかった、と果歩は内心思っていた。 もう私、乃々子に完全に負けてるよ。 てか、乃々子って思ったより、肉食系―― 「その……どういう風に、そんな感じになったわけ?」 「え、話してもいいんですか?」 乃々子が、むしろ話したげだったので、どうぞ、と果歩は促していた。 ごめん、南原さん、死んでも聞かれたくないだろうけど、ここで弱み、握らせてもらいます。 「新年会の後、藤堂さんに彼の家まで送ってもらって、もう一度話がしたいって言ったら、吃驚した風だったけど、とりあえず部屋に上げてもらえたんです。――それでもう一回、あらためて告白、したんですよね」 頬に手を当て、その夜のことを思い出すように、乃々子は続けた。 「マジで?って、5回くらい聞かれたかなぁ。あんまりしつこいから、なんだか悔しくなって、泣いちゃったんですよね、私。そしたら、今度はごめん、悪かったって5回くらい。ああ、本気でふられたって思いました」 「それで?」 「帰りますって言いました。だって、間違いなくふられたし、これ以上部屋にいるのも辛かったし」 「そ、それで?」 恥ずかしながら、すでに、完全に話に引き込まれている果歩である。 「さすがに悪いと思ったんですかね。家まで送るって言ってくれましたけど、もういいって断って。それでも玄関まで見送りに出てくれたんです。その時の南原さんの足が、ちょっとふらついていて――」 「ああ、あの夜は結構飲んでたから」 「そうなんですよ。今度は私が心配になって、靴履こうとした南原さんを手で支えてあげたんです。そしたら、まぁ……ちょっと気持ち的に、がーってなっちゃって」 「がーっ? それ、乃々子のこと? 南原さんのこと?」 「私です。その時の南原さんの気持ちなんて知らないですよ。それで、衝動的に抱きついちゃったんです」 す、………… すげー。 「南原さん、吃驚したみたいで、しばらくそのまま固まってて。でも、しばらくそうしてたら、背中に手を回してくれて……、だからですかね。なんかこう、すごく積極的な気分になっちゃって」 「そ、それも乃々子が?」 「はい。それで思いきって顔上げてキスしたんです」 え、………… えええええええ!? 「2回くらい、自分からして、ようやく南原さんが……。あの時のドキドキ、一生、忘れられない気がします。ファーストキスって、そんなものなんですかねー」 「そうね。そんなものかもね」 の…………乃々子さん。いや、乃々子先生。 今日から、弟子にしてください! と、果歩は内心叫んでいた。 知らなかった。乃々子って、すごい子だったんだ。ほ、本気で勝負されなくて本当によかった。これじゃ、藤堂さんだって危なかったかもしれない。 それにしても、南原さん。話を聞く限り、まさに流奈の言うロールキャベツ男子だった。これまた意外な一面を見たものだ。 「……あんま、考えないようにしてきたけど、南原さんが私のこと好きになったのは、多分、その後からだと思いますよ」 けれど、振り返った乃々子の表情は、思いの外沈んで見えた。 「その後って?」 「そんな風に関係ができちゃった後……。こういう恋愛もありだって、自分に言い聞かせてはいますけど、正直、少し不安です」 「…………」 それは、多分……違うと思うよ。 果歩は、乃々子の背をそっと叩いていた。 だって、藤堂さんなんて、随分前から南原さんの気持ちを見抜いてたみたいだし。 「大丈夫だよ」 「はい……。今は、南原さんのこと、信じてますから」 こくりと頷く乃々子の髪を、果歩はそっと撫でていた。 南原さんは、乃々子のこと、多分、結構前から好きだったよ。 でもそれは、今私が言うことじゃなくて、南原さんが、きちんと乃々子に伝えてあげることなんだろうな。―― ************************* 「じゃあ、……そろそろ、俺ら、帰るんで」 南原がそう切り出したのは、食事も終わり、4人でコーヒーを飲んでいた時だった。 「今夜は、ありがとうございました」 藤堂が微笑して頭を下げる。 「いや、礼言うのこっちだし、食事とか、結局全部用意してもらったみたいだし」 「それは、的場さんのお母さんが」 遡ること2時間前、果歩と乃々子が帰ってみると、男2人は妙に落ち着いて、談笑をかわしあっていた。 留守中、男2人の間に、どんな会話がなされたのかは判らないし、多分、聞いても教えてはもらえないだろう。 乃々子と果歩が交わした会話が、多分、女2人だけの秘密であったように。 にやり、と不意に南原は笑った。 「でも、知らなかったな。的場さんとは、もう部屋に上げるような仲だったんだ」 「今夜は特別です。僕一人ではあてられるような気がしたから」 「またまた、あてられたのは、こっちだっつーの。もう2人、夫婦みたいな雰囲気じゃん」 「仕事上女房役だから、そう見えるだけじゃないですか」 藤堂の冷静な受け答えには腹が立ったが、藤堂と南原が、友達みたいに普通に話している様は、意外なほど心地良いものだった。 食事をして、乃々子がお土産にもってきてくれたケーキを食べて、4人で、どうでもいい話をした。結局2人は何をしにきたのか。それはいまひとつ判らなかったけど、ひどく幸福で、穏やかな時間だった。 「的場さん、片付けは……」 「いいよ。私がやって帰るから。乃々子、あまり遅くなっちゃまずいんでしょ」 果歩が立ちあがって、外したエプロンをつけようとした時だった。 「おい」 立ちあがった南原が、乃々子を手招きして、2人はテーブルの前に並んで立った。 「藤堂さん」 「はい」 自然、藤堂と果歩も、並んで立って、乃々子と南原に向きなおっている。 「……俺たち、来月の終わりに、結婚することになりました」 ひどく静かな声だった。 乃々子はうつむいて、その言葉を聞いている。 「まぁ、今さらって気もするだろうけど、正式に決まったのは月曜の夜で、それ、藤堂さんに初めに言おうと思ったから。――今まで、色々……すみません。それと、ありがとうございました」 南原は深く頭を下げ、乃々子もそれに合わせて頭を下げた。 その刹那、乃々子の瞳が潤んでいたのに気づいた果歩は、自分ももらい泣きしそうになっている。 「お幸せに」 藤堂が答えたのはそれだけだったが、彼もまた胸がいっぱいになっていることが、隣にいる果歩には判った。 「藤堂さんも」 双眸を潤ませた乃々子が、笑顔で藤堂に言葉を返した。 「約束ですよ。的場さんを、絶対に幸せしてあげてくださいね」 藤堂は答えなかったが、困ったように果歩を見る目がひどく優しかったので、果歩もまた、幸福で胸が一杯になっていた。 うん、私も絶対に幸せなるから。 3月の花嫁。その時はきっと、誰よりも幸せになってね、乃々子……。 |
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