どれくらいの時間が過ぎたのだろう。 隣で寄り添う人の指の温もりだけを感じたまま、藤堂はぼんやりと天井を見上げていた。 ――脩哉。 もし、君が生きていたら、僕の世界は、今とは少し違うものになっていただろうか。 その答えは、永遠に――謎だ。 「……そろそろ、帰りましょうか」 果歩の指を握ったまま、藤堂は溜息でもつくような口調で言った。 ようやく激情も収まり、今はただ、幸福だった時間への未練だけが残っている。 「こんなに遅くなって、またご両親に」 そこまで言いかけた時だった。 すぅ……という、規則正しい寝息が、藤堂の頬のあたりをくすぐった。 ――まさか。 半身を起こし、何か信じられないものを見るような目で、藤堂は眠ってしまった果歩を見下ろした。 ――寝た? 本当に? まさかと思うけど、この状況で? 「……信じられない」 まじまじと見下ろされても、果歩は目を覚ます気配さえない。相当深く、寝入っているようである。 「まいったなぁ……」 呟いた藤堂は、次に苦笑し、果歩の額の髪をかきわけて、そっと唇を当てた。 願わくば。 君の何もかもが、あますことなく、僕のものになりますように。 「……今だけは、その願いが叶ったと思っていいですか」 4月に、君が誰の手を選ぶのか。 それはもう、決まっているのかもしれないけど―― ************************* 「……なるほど」 二宮喜彦は小さく呟き、テーブルの向かい側に座る男に目をやった。 「確かにそれは、面白い提案に違いないな」 夜に雨の匂いが混じっている。 その雨を連れてきた男は何も答えず、ただ、喜彦を見つめて控え目に微笑する。 まるでそうすることの効果を、心得てでもいるかのような眼差しで。――そしておもむろに口を開いた。 「二宮には後継者が必要です。まだ、あなたに力がある内に」 喜彦は黙って、卓上のコーヒーカップを取り上げる。 「香夜さんとの婚約がなくなったことで、松平一族は別の力との結びつきを強めている。それほど悠長に構えている時間はないと思いますよ」 「…………」 (きれいごとかもしれませんが、彼に家を棄てるような真似はしてほしくないです) (きっとその時、色々なことを斟酌して、彼と話しあって決めるんだと思います) あの返事を聞いたとき、即座に喜彦は無理だなと思った。 この娘に、二宮の妻は務まらない。 でもそんな娘相手に、あの夜は随分余計なことまで喋ってしまったものだ。 (ひとつだけ――私は、脩哉さんのことを、人の話でしか知りません) (藤堂さんは、その人を兄だと言っていましたけど、脩哉さんは、女性の方ですよね?) 物事の真贋を見抜く目だけはある。――それは、この家の妻に相応しい。 「いいだろう」 カップを置いて、喜彦は顔をあげた。 「目論みとしては面白い。私好みだし、これでしばらくの間は退屈しなくても済みそうだ。――本当は何が目的だ?」 切り込んだところで、宝石にも似た鳶色の瞳は何も語らない。逆に、その目を見つめすぎる危険を喜彦は感じた。 「……いや、もうそれは聞くまい。片倉」 背後に立つ忠実な執事を呼ぶと、「はい」と静かな声音がそれに応じ、長身の男が喜彦の前に歩み寄ってくる。 訓練された双眸は水のように静かで、決して感情を見せはしない。しかし、一体何を命じられるのかと――勘のいい片倉が、珍しく不審を覚えているのが、喜彦には分かった。 その片倉から目を離し、喜彦は再び目の前に男に向き直った。 「お前の提案を認めよう。好きに動いてみるといい」 聞こえるはずのない雨音が響いている。 私が愛する者は、今も昔も、1人だけだ。―― 「雄一郎。今日からお前は、二宮家の正式な後継者候補の1人だ」 君の何もかもを(終) |
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