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年下の上司 story18〜After FebruaryA

君の何もかもを(最終話)

 
 
 どれくらいの時間が過ぎたのだろう。
 隣で寄り添う人の指の温もりだけを感じたまま、藤堂はぼんやりと天井を見上げていた。
 ――脩哉。
 もし、君が生きていたら、僕の世界は、今とは少し違うものになっていただろうか。
 その答えは、永遠に――謎だ。
「……そろそろ、帰りましょうか」
 果歩の指を握ったまま、藤堂は溜息でもつくような口調で言った。
 ようやく激情も収まり、今はただ、幸福だった時間への未練だけが残っている。
「こんなに遅くなって、またご両親に」
 そこまで言いかけた時だった。 
 すぅ……という、規則正しい寝息が、藤堂の頬のあたりをくすぐった。
 ――まさか。
 半身を起こし、何か信じられないものを見るような目で、藤堂は眠ってしまった果歩を見下ろした。
 ――寝た? 
 本当に? まさかと思うけど、この状況で?
「……信じられない」
 まじまじと見下ろされても、果歩は目を覚ます気配さえない。相当深く、寝入っているようである。
「まいったなぁ……」
 呟いた藤堂は、次に苦笑し、果歩の額の髪をかきわけて、そっと唇を当てた。
 願わくば。
 君の何もかもが、あますことなく、僕のものになりますように。
「……今だけは、その願いが叶ったと思っていいですか」
 4月に、君が誰の手を選ぶのか。
 それはもう、決まっているのかもしれないけど――


 *************************

「……なるほど」
 二宮喜彦は小さく呟き、テーブルの向かい側に座る男に目をやった。
「確かにそれは、面白い提案に違いないな」
 夜に雨の匂いが混じっている。
 その雨を連れてきた男は何も答えず、ただ、喜彦を見つめて控え目に微笑する。
 まるでそうすることの効果を、心得てでもいるかのような眼差しで。――そしておもむろに口を開いた。
「二宮には後継者が必要です。まだ、あなたに力がある内に」
 喜彦は黙って、卓上のコーヒーカップを取り上げる。
「香夜さんとの婚約がなくなったことで、松平一族は別の力との結びつきを強めている。それほど悠長に構えている時間はないと思いますよ」
「…………」
(きれいごとかもしれませんが、彼に家を棄てるような真似はしてほしくないです)
(きっとその時、色々なことを斟酌して、彼と話しあって決めるんだと思います)
 あの返事を聞いたとき、即座に喜彦は無理だなと思った。
 この娘に、二宮の妻は務まらない。
 でもそんな娘相手に、あの夜は随分余計なことまで喋ってしまったものだ。
(ひとつだけ――私は、脩哉さんのことを、人の話でしか知りません)
(藤堂さんは、その人を兄だと言っていましたけど、脩哉さんは、女性の方ですよね?)
 物事の真贋を見抜く目だけはある。――それは、この家の妻に相応しい。
「いいだろう」
 カップを置いて、喜彦は顔をあげた。
「目論みとしては面白い。私好みだし、これでしばらくの間は退屈しなくても済みそうだ。――本当は何が目的だ?」
 切り込んだところで、宝石にも似た鳶色の瞳は何も語らない。逆に、その目を見つめすぎる危険を喜彦は感じた。 
「……いや、もうそれは聞くまい。片倉」
 背後に立つ忠実な執事を呼ぶと、「はい」と静かな声音がそれに応じ、長身の男が喜彦の前に歩み寄ってくる。
 訓練された双眸は水のように静かで、決して感情を見せはしない。しかし、一体何を命じられるのかと――勘のいい片倉が、珍しく不審を覚えているのが、喜彦には分かった。
 その片倉から目を離し、喜彦は再び目の前に男に向き直った。
「お前の提案を認めよう。好きに動いてみるといい」
 聞こえるはずのない雨音が響いている。
 私が愛する者は、今も昔も、1人だけだ。――
「雄一郎。今日からお前は、二宮家の正式な後継者候補の1人だ」
 





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