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年下の上司 最終章A〜過去への扉

過去への扉(14)

 
「ひとまず、我々も解放されるようだよ」
 午後7時。秘書課内の会議室。
 一通りの聴取と似顔絵作成の協力を終えた果歩の元に、尾ノ上がやってきた。
 尾ノ上は尾ノ上で、別室で聴取を受けていたらしい。椅子に座ろうとした尾ノ上が、腰に手を当てて顔をしかめる。果歩は急いで立ち上がった。
「ああ、すまないね。座るとひどく痛むんだ。立ったままで話させてもらうよ」
「明日は、お休みになってはいかがですか」
「そうしたいが、そうもいくまい。むしろ、休むのなら君ではないか」
「私は、全くの無傷ですから」
 そう答えながら、心の片隅では休んだ方がいいのかもしれないな、とも思っていた。今日の出来事が恐ろしかったのはもちろんだが、真鍋の取り乱した姿を見て、素直にそうしようかと思ったのだ。
「どうせ明日も、仕事にはならないんだ。……君もショックが大きいだろう。ずっと気丈に振る舞っていたが、君の、目の前だったからな」
 尾ノ上はおぞけを震うように肩をすくめた。
「私だったら、恐怖で気を失っていたかもしれない。――君は今、家族とも離れて1人で暮らしている。いっそう不安も強いだろう」
「……護衛付きで帰宅していますから」
 真鍋は言わないが、どうせホテルにも見張りがついているに違いない。
 ただ、さすがに今夜は眠れないだろうなという気がした。尾ノ上が来るまでの間、果歩は1人で待機していたが、その間も気づけば手指が細かく震えていた。
 後になればなるほど、その時の恐怖が蘇って恐ろしさが募ってくる。
 もし銃口がわずかでも上に向けられていたら――その時私は、この世の人ではなかったかもしれないのだ。
「的場さん、これは市長ではなく、課長命令だと思ってもらえないか。君は当面の間、自宅で待機していてくれ」
 果歩は言葉をなくして眉を寄せた。それでも、それを命じたのは、真鍋だろうという気がした。
「市長が、そう仰ったんですね」
「違うといっても信じないなら、そう思っていればいい。しかし、これは私自身の意思でもある」
 尾ノ上は、疲れたようなため息をついた。
「期限は議会が閉会するまで。――6月の中旬頃までだ。議会は一般市民も自由に傍聴できる。市民もマスコミも、誰でも議事堂の中に入ってこられるんだ。それがどれだけ危険かということくらい、的場さんにも分かるだろう」
「分かりますが、それと私が休むこととの、関連が分かりません」
「分からないのかね、私にはよく分かったよ」
 うつむいて、何かの感情を吐き出すように尾ノ上は言った。
「今日、あの場にいた誰だってそれは分かっただろう。市長は君が大切なんだ。……君にもそれは、よく分かっているんじゃないのか」
「…………」
 果歩は、打ちのめされたような気持ちで立ちすくんだ。
 彼に抱き寄せられてから、自分の中で懸命に否定し続けてきたことを、よりにもよって尾ノ上の口から言われるとは思ってもみなかった、
「君らの間に実際何があったのか知るよしもないし、知ろうとも思わない。しかし、万が一マスコミの前で、市長にあんな態度を取られたらどうなると思う。市政にとっては大打撃だ。真鍋市長の政治生命にしても、絶たれたも同然だよ」
 苦しげな口調で、尾ノ上は続けた。
「……わかってくれないか。この件で、君にはなんの咎もないことも知っている。仮に市長の一方的な感情だとしたら気の毒としかいいようがない。……しかし」
「わかりました」
 うつむいたまま、果歩はうつろな気持ちで頷いた。尾ノ上の言っていることが正論すぎて、他に言葉が出てこなかった。
 お守りのように頑なに持ち続けていた真鍋への反発も、今はもうもろく崩れかけている。
「今、自宅待機と仰られましたが、自宅には戻っていいということですか」
「……君のご両親からいい加減にしてくれと再三電話がかかってきている。今夜はさすがにご両親も限界だろう。――通勤の必要がないなら、今夜にも自宅に戻りたまえ」
 それには、さすがに表情が緩んでいた。
 家に帰れる。もうホテルで、一人きりで過ごさなくてもいいんだ。
 お父さんには思いっきり叱られるだろうけど、今やそれすら懐かしい。
「ありがとうございます。それで……その後、待機が明けたら、私はどうなるんですか」
「市長がいつまで市長でいられるかだが、それとは関係なく、自宅待機が明ければ、君は秘書課を異動になるだろう。それは市長も了承している。――だが」
 尾ノ上はそこで、言葉を濁すように少しの間無言になった。
「これは上司でなく、親ほど年の離れた先輩として、老婆心で言っていることだ。もうどこに異動したとしても、君が好奇の目で見られることは避けられない。その時市長がどのような立場なのかは知るよしもないが、現職であっても辞任した後であっても、どんな上司にとっても、君は非常に扱いにくい部下になるだろう」
「…………」
「……もし君に市長の気持ちを受け入れる余地があるなら、……これはおせっかい以外の何ものでもないが、結婚して退職するのが、一番君のためのように思うよ」


 *************************

    
「――果歩、ちょっといい?」
 ベッドの上でぼんやりと仰向けになっていると、そんな声がして、母が部屋に入ってきた。
「はいこれ、必要かと思って」
 雑誌のようなものを手渡され、起きて見れば求人情報誌だった。
「ちょっとやめてよ、お母さんまで」
 むっとして押し返すと「冗談よ、お母さんのパート用だから」と、あっけらかんと笑われる。そしてベッドの端に腰を下ろした。
「やっぱり辞めろって言われてるの」
「…………」
 果歩は答えず、膝を抱いた。言われた方がまだましだ。本気の親切で警告されるほど、胸に響くこともない。
 8年前の、あの醜聞を乗り切った自分だ。これくらいなんでもないという意地はある。しかし、尾ノ上に言われたことはまさにその通りで、現市長の恋人として世間を騒がせた果歩が、その市長の下で働くどの部署にとってもお荷物なのは明らかだった。  
「お父さん、あんまり怒ってなかったね」
 果歩は、話題を変えることにした。久々に両親と一緒にとった夕食の席で、父が終始無口だったのが気にかかる。  
「ここまできたら、怒るより心配でしょ。今日も大変だったわよ。昼前に血相を変えて戻ってきて、あんたがなかなか電話してくれなかったから――警察にかけたり、病院にかけたり」
「それは、本当にごめんなさい」
「ま、でも、案外早い時間に藤堂さんから連絡があったから」
「…………」
 果歩は表情を止めていた。――え……?
「藤堂さんから……?」
「なんか、たまに連絡取り合ってたみたいよ、お父さんと藤堂さん。役所の中じゃ負傷したのは職員じゃないって、結構早くに分かってたのね。――無事なので、安心してもらって大丈夫ですって」
 正確に言えば、腰を打った尾ノ上も負傷者の1人なのだが――そんなことはどうでもよくて。       
「……いつの間に、そんなに仲良くなってたの?」
「仲がいいかどうかは知らないけど、――というより、今、上手くいってないんでしょ、藤堂さんと」
 そこを突っ込まれたら、もうどう答えていいか分からない。
「お父さんも、あんな記事を読んだらさすがに藤堂さんに連絡なんか取れないでしょ。さすがに申し訳なさすぎて」
 さすがにを二回重ねて責め立ててくる辺りが母らしい。果歩は黙って目を逸らす。
「でも、あんたは家に帰ってこなくなるし、真鍋市長からも釈明の電話がかかってくるしで、お父さんもどうしていいか分からなくなったんじゃないの。それで、結局、藤堂さんに何かと電話しては、情報収集していたみたいよ」
 今、母がなんでもないように言った言葉の中に、いくつもの衝撃が含まれている。
 果歩は、しばらく愕然とした後、母の腕を掴んでいた。
「ちょっと待って、市長からうちに電話があったの?」
「そりゃあるでしょ。あんたをホテルに軟禁した張本人なんだから」
 いや、あるでしょって言われても……。
「市長よ?」
「まぁ、でも、市長として、あんたとデートしたわけじゃないんでしょ」
 いや、だからあれはデートなんかじゃなくて……。
 果歩は頭を抱えたくなった。
「なんて、言ってたの?」
「こちらで責任を持って守るとかなんとか、お父さん電話で滅茶苦茶怒ってたから、まともに話なんて聞いてないと思うけど」
 ――嘘でしょ? 真鍋さんが、うちに電話した? 
 馬鹿じゃないの? それこそ課長にでも頼めばよかったのに。何も自分でわざわざ――非難されるのなんて、分かりきっていたはずなのに。 
 そしてお父さんもお父さんだ。今の、木星と地球くらい離れた距離にある藤堂さんに、よりにもよって情報収集? 
 今の私の情報なんて、どう考えても真鍋さんとセットだろうに。 
 本当にもう勘弁して――
「休みっていつまで?」
「……2週間くらいかな。明日からご飯は私が作るから」
 抱えた膝に頭を埋めたまま、力なく果歩は答えた。この2週間、穴があったらそこに入っていたいと思いながら。
「外出は、してもいいんでしょ」
「年休扱いだから、自由にしていいと思う」
 どうせ、どこに行くにも誰かがこっそりついてくるんだろうけど。
「果歩――」
「悪いけどもう寝るから1人にして。今日は疲れて、何も考えたくないの」
 なのに母は腰をあげず、まだベッドに座り続けている。
「電話、しなくていいの?」
「……誰によ」
「さぁ? それが分からないから、苛々してんじゃないの」
「…………」
「あんたにこれ、話したっけ。――ああ、言っとくけど、私はどっちかと言えば藤堂さんの方があんたにあってると思うけど、ま、それはそれとして」
 果歩はうつむいていた顔をあげた。――なんの話?
「真鍋市長――若い方の、一度、うちに来てるのよ」
 意味が分からず、果歩は眉を寄せて母の顔を見つめた。
 ――え……?
「いつだったかな。あんたが毎朝毎晩めそめそ泣いてた頃よ。家中が腫れ物触るみたいに気をつかって、美玲の口から、ものすごいイケメンに遊ばれて捨てられたらしいっていうのは聞いてたけど、その時はまだ、それが市長さんの息子だとは知らなくて」
「…………」
「ただお父さんは知ってたみたい。市役所の知り合いに、あんたのことを聞いたんでしょうね。地下で書類整理をさせられてることとか――私にも内緒で、弁護士に相談していたみたいよ」
 初めて耳にすることの連続に、どう反応していいかすら分からない。
「そんな時に、真鍋さん本人から直接お父さんに電話があって、あんたが仕事に行ってる間に家に来たの。直前に私も事情を聞いて、呆れるやら怒るやら。真鍋さん、もう婚約してるっていうし、一体何をしにうちに来るんだって話でしょ。もしかして手切れ金でも持ってくるんじゃないかと思って、お父さんも私も、塩を玄関に置いて待ってたわけよ」
「……それで」
「手ぶらよ。100万くらい包んでくれば許そうと思ってたけど」
 果歩は立ち上がりかけていた。冗談よ、とからっと明るく母は笑った。
「……まぁ、顔は人形みたいに綺麗だったけど、取り澄ました嫌な男でね。随分とひどいことを言ってたわよ。あんたと噂になった件で迷惑しているのは自分だとか、これ以上余計なことをするようなら、出るところに出るつもりだとか――一言でいえば、お父さんに余計なことをするなって釘を刺しにきたみたい」
 果歩は黙って目元を険しくさせた。
「私も悔しくて、かーっと頭にきちゃってね。それもあるけど、隣のお父さんが、ほら、今にも殴りかからんばかりの勢いだったから、それはまずいと思って、お茶を咄嗟に」
「咄嗟に」
「真鍋さんの顔にぶちまけちゃったの。お父さんに殴られるよりはましだと思って」
 ――な……
 果歩は唖然として口を開けた。
 なんてことを、してくれてたの?
「それが結構熱くて、やっちゃった後にしまったと思ったわよ。でもよほど面の皮が厚かったのかしらね。なんにも言わずにハンカチで顔を拭って、失礼しますって」
 ――いやもう……。
 そんな話、今さら教えて欲しくはなかった。真鍋さんのことは考えたくもないし、過去の彼の態度が今さら分かったところで、何が変わるということもない。
 それでも確かに、今果歩は傷ついていて、それを母親に悟られたくないと思っていた。
 それはいつのことだろう。まだ彼が婚約中の話だとしたら、多分、連絡が取れなくなった直後くらいだ。
 その時には、彼はもう東京に行ってしまったんだと思っていたけど、灰谷市に――しかもうちに来ていたなんて。
 残酷すぎるニアミスに、一度は塞がったはずの傷がえぐられそうになっている。
「お母さん、心配しなくても、私が真鍋市長とどうにかなるとか、100パーセントありえないから」
「それでね、さすがにあの綺麗な顔に火傷でも残したらまずいじゃない」
 果歩の声が耳に入らないかのように、母は続けた。
「お母さん、怖くなって、お父さんに内緒で塩をまくふりして後を追いかけたのよ。お父さんの暴力から守るためにやりましたって言い訳したくて。――そしたら真鍋さん、マンションの前にまだ立っていて」
 母はそこで言葉を切り、何かを思い出すような目になった。
「うちの方に向けて、深々とお辞儀してたの。それはもう長いこと。泣いてるんじゃないかと思うくらい」
「…………」
「察するに、お父さんが会社でまずい立場になったら困ると思って来てくれたんじゃないかしら。それは私の推測だけど」
 ぼんやりと空を見つめる果歩の肩をぽんっと叩くと、母はようやく立ち上がった。
「お父さんには言ってない。あんたにも一生言うつもりはなかったけどね」
「…………」


 *************************

   
(分からないのかね、私にはよく分かったよ)
(今日、あの場にいた誰だってそれは分かっただろう。市長は君が大切なんだ。……君にもそれは、よく分かっているんじゃないのか)
(まぁ、よほど悔しかったんじゃないかな」
(結果的に自分のせいで君が酷い目に合っているのに、多分、何もできなかったから)
(もう一度、雄一郎さんと向き合ってみてください)
(あなたにどう非難されようと、僕も、それだけは譲れない。それは去年の秋からずっと決めていたことです)
 多分、私の心の中にも、藤堂さんと同じ秘密の部屋があったんだ。
 泣くだけ泣いて顔を上げた時には、もう空が群青色に白み始めていた。
 眼鏡をあげて目をこすり、鼻をすすりあげながら、果歩は自室の窓を開けた。
 明け方のひんやりとした空気が、泣きすぎて火照った瞼を心地よく冷やしていく。
 秘密の部屋のことは、以前藤堂の母親から聞かされた。
 それは、藤堂の心に存在する部屋の話だ。
(瑛士さんの心には、昔っから、母親の私にも判らない頑なに閉ざされた部屋があってね。そこに、あの子は誰もいれないの。もちろん、母親である私もね)
 その部屋に、藤堂は忘れたい記憶を収め、決して思い出さないようにしてきたのだ。
(あの子はね、自分が生きて行くために、もしかすると、故意に記憶の一部を消去しているのかもしれないの)
(普通の人は、成長とともに胸に閉じ込めていた思い出のありようも変化するわ。過去に辛かったことも、大人になるにつれ、捉え方が変わってくることってあるでしょう? でも、瑛士さんのそれは、隠し場所があまりに深くて――多分、記憶をしまいこんだ部屋が何重にもなっているのね。一番奥になると、もう自分でも何を収めてしまったのか思い出せないのよ。だから、その扉を自分で開けることもできないの)
 果歩にはそんな器用な真似はできやしない。
 だから、どこか人事のような気持ちで、藤堂の母の言葉を聞いていた。
(……いずれにしても、瑛士さんは、ある一点をつくとあっという間に崩れるくらい弱い人よ。外から扉をこじあけてしまえば、あの子はたちまち過去に引き戻されてしまうでしょう)
 でも、実際は果歩もそうだった。
 真鍋との思い出を心の底に閉じ込め、なにひとつ昇華させていなかった。
 だから扉が開かれたとき、果歩は思い出に飲み込まれ、身動きできなくなったのだ。
 多分、自分でもそれが分かっていたから、決して扉を開こうとしなかったし、少しずつ開いて溢れていたものから、頑なに目を逸らし続けていたに違いない。
(もう、過去にはいかないでくださいね)
 いつだったか、藤堂にそんな風に言ったことがある。
 彼が脩哉との思い出を香夜に利用され、あっという間に過去に引き戻されてしまった時。
 思い出に縛られて身動きがとれなくなり、果歩より香夜を選ぼうとしていたあの時に。
 でも藤堂は、数多の葛藤を乗り越えて、香夜と2人で向き合うことに決めた。
 その過程で、秘密の部屋が開かれることも覚悟して、――それがどれだけ自分を傷つけるか分かっていたのに、香夜と対決してくれたのだ。
(行ってきます。必ず、今夜中には帰ってきます。明日になったら、一緒に灰谷市に戻りましょう)
 そして、過去と決別して果歩のところに戻ってきてくれた。
「…………」
 果歩は、新しくこぼれた涙を手のひらで拭った。
 それは……何もかも、私のためだった。
 彼がそうやって乗り越えてくれたことから、私はずっと――卑怯な言い訳ばかりして逃げ続けていた。
 藤堂との関係が曖昧なまま進展しないことに、心のどこかで安心して、扉から溢れて、少しずつ胸に蓄積されていった真鍋との思い出を、見て見ぬ振りでやりすごしていた。
 怖かったから。
 また真鍋さんと向き合って、また心を奪われてしまうのが怖かったから。
 孤独と寂しさとやるせなさと――そんな思いを抱いて、泣きながら眠った日には、もう二度と戻りたくなかったから。
 今も、8年前の真鍋を思い出すと、胸が張り裂けそうになる。彼が恋しくて、苦しくて、好きで好きでたまらなくなる。
 そんな果歩にとって、真鍋との過去は、彼を「悪人」として位置づけることで完結している。その前提が崩れてしまったらどうなってしまうのか、想像するだけで恐ろしい。
 真鍋の真実を知ってしまえば、もう二度と、過去から抜け出せなくなるのではないかとさえ思えてしまう。
 その一方で果歩は、藤堂が愛おしくてたまらない。彼の声が聞きたいし、どんなに他人行儀でもいいから笑顔が見たい。また以前のように穏やかな声で「的場さん」と呼んでほしい。
 もうそれだけで何もいらないと思えるほど、彼の何もかもが恋しくてたまらない。
 誰に電話をしたいのかと母は言ったが、その答えならもうとっくに出ている。
 本当は今すぐ電話したいし、家を飛び出して会いに行きたい。
 あの温かくて大きな腕で、不安に揺れる心ごと抱き締めてほしい。
(一番大きいのを買ったので)
(……4月に、サイズを直しに行きましょう)
 でも――できない。
 心の半分を真鍋に占められたまま、あの指輪ははめられない。こんな気持ちのまま、藤堂に会うなんて絶対にできない。――
 一晩泣いて、今、やっと分かった気がする。
 だから藤堂さんは、私に真鍋さんと向き合うように言ってくれたんだ。
 私が藤堂さんにそれを求めたように、藤堂さんも、私の秘密の部屋を開けて欲しいと思っているんだ。
 私が2月に、藤堂さんは絶対に私のところに戻ってくると信じていたように、彼も今、私を信じて待ってくれているのかもしれない。
 ――今度は私が、……過去に、決着をつけないと、いけないんだ。
 私のためにじゃない、藤堂さんのために。
 果歩は涙を拭い、白んでいく暁の空を見上げた。ようやく真鍋ともう一度向き合おうと決心していた。




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