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年下の上司 最終章A〜過去への扉

過去への扉 -藤堂side-(23)



「つまり、大河内主査の代わりを私にってことなんでしょうか」
 眉を寄せる耀子に、藤堂は「そうです」と穏やかに返した。
 藤堂の隣では、その大河内が緊張した面持ちで座っている。耀子の隣には笹岡が、こちらも引きつった顔で座っている。
 月曜日の午後一時、未だ次長席のポストが空いたままの都市制作局では、その次長席が会議室代わりになっている。この時期になってもなお次長がつかないというのも前代未聞だったが、それが些細なことに思えるくらい、今灰谷市は異常な状況に置かれている。
 その次長室に、係員全員を呼び出したのは藤堂だった。
「先ほど説明したように、総務局総務課から動員がかかって、大河内主査は一週間、子育て給付金業務の手伝いに行くことになりました」
 その手伝いは、本来なら計画係の水原が行くことで決まっていた。それを今朝、藤堂から窪塚に頼んで、大河内に変更してもらったのである。藤堂は続けた。
「折悪しく、その週はうちも全国政令指定都市会議を控えています。しかし大河内主査が不在なので、担当は入江さん1人ということになる。お願いできますか」
「もちろん構いませんけど、むしろ藤堂係長が担当をされた方がいいんじゃないですか」
 周囲に人がいる時の常で、神妙かつ控え目な口調で、耀子は言った。
「今だって殆ど係長がやっておられるし、何も来たばかりの私に慌ただしく任せなくても……。係長が主担当についた方が合理的ですし、来賓の方にとってもやりやすいと思います」
「僕もそのつもりだったんですが、生憎その週は、春日次長と一緒に東京に行く用事ができたんですよ。戻るのは会議前日の夜になります」
 それは本来窪塚の仕事だったが、それも藤堂に回してもらった。
 陳情と会議を兼ねた二泊三日の東京行き。正直、この状況で総務課を離れるのは恐怖でしかないが、やるしかない。
「じゃあ、笹岡さんは?」
「会議以外の全部を笹岡さんに頼んでいるんです。……逆にしますか」
 初めて言葉に詰まり、耀子が不服そうに黙り込む。笹岡の仕事は、いってみれば庶務用務ばかりで、耀子にしてみれば雑用同然。尤もやりたくないはずだ。
 もちろんこの話は、事前に大河内と笹岡の内諾を得ている。大河内は不安そうだったし、笹岡は驚愕していたが、不承不承承知してくれたのだ。
「とはいえ、入江さんはまだ新人なので僕も不安がありました。そこで春日局長と課長にも相談してみたのですが、むしろ心配する方が失礼にあたるのではないかと」
「……というと?」
 その話まではしていなかったので、大河内が不審そうに口を挟む。
「入江さんは僕らとは違う。国家公務員のキャリア官僚です。もう少し任せる仕事を選ぶように、そのようなお叱りさえ受けました」
「なるほど」
 一瞬の間の後、大河内がぎこちなく相づちを打った。笹岡が激しく同意とばかりにぶんぶんと頷く。耀子は無言で机の一点を見つめている。
 間違いなく不満だろう。仕事の内容というより、周囲が自分の思うように動かないという意味で。むろん、藤堂の思惑も見抜かれているはずだ。
 その上で、どこまで彼女がやってくれるのか。藤堂が見極めたいのはそこだった。
「今後の業務分担は、また全員で話しあって決めましょうか。入江主査、ひとまず、改めて大河内主査から仕事を引き継いでもらっていいですか。主査は明日からいなくなるので、申し訳ないのですが今日中に」
「係長、私、セクハラされてるって言いましたよね」
 立ち上がりかけた藤堂は動きを止め、その場の全員が凍り付いた。
「誤解しないでください。何も私、仕事がしたくなくてこんな話をしているわけじゃないんです。でもセクハラをした人と2人で仕事の引き継ぎをしろだなんて、あんまりなんじゃないですか、上司として」
 真剣な顔で藤堂を見上げる耀子だが、その目には笑いが滲んでいる。
 正直、このタイミングで言うか――と思ったが、その驚きはおくびにも出さず、藤堂は椅子に掛け直した。
「そうですね。その問題がありましたね」
「軽く取られていられたのなら、心外です」
「軽くとってはいませんよ。――大河内さん、笹岡さん、もういいので、仕事に戻ってもらえますか」
 2人はぎくしゃくと会釈して、逃げるように次長室から出て行った。去り際、大河内が不安そうな目を向けてきたが、それは藤堂を心配してのものだろう。
 大丈夫ですよ。――そう目で答えてから、藤堂は耀子に向き直った。
「実は、後で申し上げるつもりだったんですが、引き継ぎは住宅政策の百瀬さんと一緒にしていただこうと思っていたんですよ」
 百瀬乃々子は、今は南原乃々子だが、役所では旧姓使用で通している。
 おそらくだが、耀子にとっては歯牙にかける必要さえない存在。馬鹿にしているのがみえみえで、さすがに妊娠中の女性をいじめるのは体裁が悪いと思っているのか、5月以降は完全に存在をスルーしているようだ。
 案の定耀子は、露骨に不快そうな顔になった。 
「どうして彼女と一緒なんですか?」
「やはり、入江さん1人では心許ないので」
「は?」
「百瀬さんには、昨年も随分助けていただいたんです。こちらが気がつかないことも細かくチェックしてくださいますし、しっかりとした気遣いもできる方です。どうですか、もしよかったら2人で」
「結構です。私一人で大丈夫ですから」
 きつい口調で遮られる。内心ほっとしながらも、藤堂は残念そうな顔をしてみせた。
 実は、乃々子のくだりは全てアドリブで、耀子が拒否すると分かっていたから出した話である。
「では、住宅政策の方には断りをいれておきますよ。すみません、入江主査なら、昨年の南原さんと違い、そういったフォローは不要でしたね」
「話をすりかえるのがお上手なんですね」
 ようやく、上手く誘導されたことに気がついたのか、耀子が冷めた目で藤堂を見上げた。「私のことを、あなたの周りに居る馬鹿と一緒にしないでもらえます? 私は大河内主査と2人で引き継ぎをしたくないと言っているんです。こんなことをセクハラの被害者に強要するなんて、大問題になりますよ」
「……匂いを、指摘されたと言われていましたね」
「ええ。ご承知でしょうけど、それも立派なセクハラです」
「お菓子の匂いですか」
「それがなんであっても関係ないですよね」
 攻撃的になるのは、自分の弱さの裏返しだ。
 ここで、一歩踏み込んで警告すべきか。これはセクハラではなく、あなた自身が他人に触れられたくないことを指摘されただけだったのではないかと。
 大河内を守るためにはそうした方がいいことはわかっているし、藤堂の切り札もそれしかない。
 しかし迷ったのは数秒で、すぐに気持ちを切り替えた藤堂は微笑した。
「もちろん関係ありませんし、軽く考えているわけでもありません。仕事とは別に、このことは局を通して人事課服務管理係に報告するつもりでいます」
 耀子が意外そうに眉を上げる。
「報告するんですか」
「ええ。もちろん」
「……大変なことになると思いますけど、大河内主査が」
「本人も、それは覚悟しているようですから」
「へぇ……。じゃ、私の提案を無視なさるつもりなんですね」
 耀子は馬鹿にしたように冷笑した。
「的場さんへの忠誠を示すために、大河内主査を切り捨てたってことですか。そういうことならいいですよ。私も徹底的に争いますから」
「お見合いを、なんとかして欲しいという話でしたね」
 藤堂は静かに言って、立ち上がった耀子を見た。
「いいですよ。僕にお役に立てることがあるなら、力になります。それは上司としてではなく、友人としてになりますが」
「……は?」
「ただそれは、全国会議が終わってからでいいですか。もちろん、友人として助力するのですから、セクハラの件とは無関係の話です」
 眉をひそめた耀子が黙り込む。藤堂は卓上の資料を片付けてから立ち上がった。
「引き継ぎには笹岡さんにも同席してもらいますよ。僕と大河内主査が不在の間、係長はあなたで部下は笹岡さんしかいないんです。大変でしょうが、よろしくお願いします」
「……大変なんてものじゃないですよ。笹岡さんなんて、全く使い物にならないじゃないですか」
 耀子は憮然と呟いたが、引き継ぎについてはこれ以上不服を言うことなく、踵をかえして部屋を出た。 
 

 *************************
 
 
「――では、よろしくお願いします」
 東京――衆議院議員会館。
 灰谷市出身議員に、来年度の事業計画について説明を終えた藤堂と春日は、一礼してから部屋を出た。
「付け焼き刃にしては、大したものだな」
 春日が珍しく遠回しな嫌味を言ったのは、今回の東京行きを、藤堂が半ば強引に決めてしまったからである。
 窪塚を巻き込み、課内で完璧に根回しをしてから、文句のつけようのない状態で春日に「今度の出張、僕が随行することになりました」と事後報告のように申し出た。
「全国会議はどうする気だ!」と春日が怒っても、もうどうしようもない状態を作り出してから、話をもっていったのである。
「はぁ、まぁ、申し訳ございません」
「君の形ばかりの謝罪は、もう聞き飽きたよ」
 呆れたように言いながらも、春日の表情がさほど不機嫌そうでないのは、昨日今日と、予定されていたスケジュールがなんの問題もなく進んでいるからだ。
「で、どうするね。君を是非とも秘書にという話は、受けるつもりなのかね」
「まさか」
 藤堂はびっくりして、即座に否定した。
 午前中に訪問した市出身の大物議員で、来年には衆議院議長の座を狙える増田議員から、「君、なかなか気のきく話し方ができるね。――どうだ、役所なんか辞めて私の秘書になってみるつもりはないか」と冗談まじりに言われたことである。
「増田先生も冗談で言われたのでしょう。議員の秘書なんて僕には無理ですよ」
「どうだろうな。先生は冗談など言わない人だ。ただ、君に議員秘書のような汚れ仕事をさせるのはもったいないよ。――市役所の仕事も、似たようなものだが」
 そう言った春日がひどく疲れているように見えたので、藤堂は腕時計を見た。午後4時。今日の予定はこれで終わりだ。
「いったんホテルに戻って休みますか。夕食は、僕がどこか美味しい店を探しますよ」
「実のところ、君はかなり秘書向きだと思うがね」
 春日は苦笑し、首を横に振った。
「そうしたいところだが、今夜はプライベートで会わねばならない人がいる。君は君で好きにしたまえ。もともと東京にいたというから、会いたい友人もいるだろう」
「分かりました」
 会いたい人か――強いて言えば母くらいだろうか。
 しかし今、母に的場さんとのことをどう説明していいか分からない。勘のいい人だし、二宮の伯父とも再々連絡を取っているようだから、大筋のことは理解しているのだろうが。
 先日電話した時も、母は彼女のことに一言も触れなかった。それ以前は、「果歩さんはどうしているの」だの「料理はちゃんと作ってもらっているの」など、煩いほどだったのに。――
 議員会館の前で春日と別れた藤堂は、鞄から携帯を取りだし、30分前にかかってきた電話に折り返した。
「あっ、係長、すみません、お忙しい時に」
 すぐに笹岡が出る。「ちょっと――分からないことがあって――」喋りながら、不自然な間があるから、きっと場所を移動しているのだろう。
「会場の設営なんですけど、確か昨年、前日の準備に問題があったって話でしたよね」
「ああ、それはですね」
 簡単に説明を終えると、「ああ、分かりました。えーと、次は……」と、次の質問に移る。それが終わるとまた次の質問――そうして10分も喋ると、ようやく笹岡はほっとしたように息をついた。
「すみません。矢継ぎ早にあれこれ聞いてしまって」
「いえ、いいですよ。すぐに折り返しはできないかもしれませんが、分からないことがあれば、いつでも電話してください」
「いや……実は、あまり係長に電話をすると、入江主査の機嫌が悪くなるので」
 声をひそめて笹岡は続けた。
「こういってはあれですけど、入江主査の係長への対抗心、半端ないです。係長が作成した書類を全部廃棄して、いちから作り直してるんですよ。ものすごく効率か悪いです」
「進行が遅れているということですか」
「いえ……、とにかく主査の仕事のスピードが速いので」
「そうですか。だったら問題ないですね」
 自分の考えに誤りがなかったことに安堵して、藤堂は通話を切った。
 こと仕事に関していえば、入江耀子のスキルは低くはない。確かに本省では落ちこぼれだったのかもしれないが、市職員の中では優秀な部類に入るはずだ。
 少なくとも、幹部にちやほやされながら、仕事を任せられないポジションに自分をおく程度には賢く立ち回っている。
 おそらくだが、中央省庁で居場所を失ったことで、本人がやる気をすっかりなくしているのだ。今までの自分のやり方が通用しない世界で挫折して、市役所でその憂さ晴らしをしているのかもしれないし、彼女から見れば、市職員など全員馬鹿に見えるのだろう。
 ただ、それにしても、この5月に都市政策局に異動してきてからの耀子は、どこか常軌を逸しているように思えた。
 もはや自分を取り繕うことすら放棄している。あるいは本気で、市役所を辞めるつもりでいるのかもしれない――
「瑛士君」
 歩き出そうとした藤堂は、背後から聞こえてきた声に足を止めた。
「やっぱり瑛士君だ。びっくりした、こんなところで会えるなんて」
 振り返ると、歩道沿いに停まった黒塗りのセダンの前に、長身の女が立っている。
 黒のパンツスーツに白いシャツ。亜麻色の長い髪を片耳にかけ、目も口もくっきりとして大きい。確か父方の曾祖母がフランス人だと言っていた。電話を受けたのは先週だが、会うのは7年ぶりになる。
「佐倉補佐」
 咄嗟に職名で呼んだのは、今が仕事の延長時間だからだが、心のどこかで目の前の女性に警戒心を抱いていたせいもある。
 案の定、佐倉怜は、聡明そうな目に苦い笑いを浮かべた。
「ねぇ、7年ぶりに会って、なんで役職呼びなの?」
「すみません。条件反射です」
「つきあいでいえば、友人だった時の方が長いでしょう。記憶力の使い方、間違ってるわよ」
 おかしそうにそう言うと、怜は背後を振り返った。そこには遅れて車から降りてきた60代くらいの小柄な男性が立っている。
「芹沢先生、ここでお暇してもよろしいですか。昔の友人に偶然再会したんです」
 藤堂は思わず顔を上げた。芹沢陽一。真鍋の義父で、元上司芹沢花織の父親だ。
 面識はある。まだ芹沢が与党の幹事長だった頃、時の総理大臣と共に二宮の屋敷に挨拶にきたのだ。ただ、それは藤堂が12歳の時だから、当然芹沢は藤堂がその時の子だとは認識できないだろう。
「構わんよ。では、お父さんによろしくな」
 案の定芹沢は、藤堂には目もくれず、鷹揚な態度で議員会館の中に消えていった。
 身長は160と少しくらいだろうが、目がぎょろりとして異様な迫力がある。いわゆる政治家らしい悪相だ。黒いものを飲み込むだけ飲み込み、嘘をつくことに慣れきった顔。「丁度、長沼先生にご挨拶に窺うところだったの。そこを、たまたまお会いした芹沢先生の車に同乗させていただくことになって」
「そうですか」
 怜は両目を細めて笑うと、咎めるような目つきで細い腰に手を当てた。
「久しぶりね。瑛士君、先日は私からの誘いをあっさり断ってくれて、どうも」
「すみません。とても時間が取れそうもなかったので」
「まぁ。いいわ。今日会えたんだもの。――今夜の予定は?」
 少し考えてから、「特に」とだけ答えた。いきなり今夜の予定はと聞いてきた。どうしてここにいるの? ではなく。
 つまり、藤堂が今日、出張で東京に来ていることを佐倉怜は知っているのだ。
「ね、少しの間待っていてくれない。20分……15分でいいから近くのカフェで待っていて。せっかくこんな風に会えて、これっきりだなんて寂しいじゃない」
「そうしたいところですが、明日も仕事なんですよ。しかも上司の随行で来ているので」
「春日局長?」
「ええ」
「局長が今夜、誰と会うつもりなのかは聞いた?」
「……、いえ」
 藤堂の警戒を読み取ったのか、怜は大きな唇を広げて笑った。経歴を聞けば誰もが敬遠するほどの才媛なのに、彼女の周囲に不思議と人が集まるのは、外見を裏切る気さくさと、姉御肌の性格ゆえだ。彼女の気取らない笑い方は、潔い性格の表れでもある。
「先日会いたいといったでしょう。話があったのよ。――言っておくけど、瑛士君が警戒するような話ではないわよ」
「そんなことは――」
「思ってたくせに。家のことが絡むと、あなたはすぐにシャッターを下ろすからね。でももう関係ない。瑛士君は二宮の家族でもなければ後継者候補でもないんでしょ」
 う、とつまり、藤堂は自分が考えすぎていたことを理解した。
「おっしゃるとおりです」
「後継者は真鍋雄一郎――芹沢先生の義息ね。もっとも籍は抜いたらしいから、今はもう他人でしょうけど」
 その通りだ。ずっと通称で通していたが、真鍋は一時期芹沢姓になっている。
 芹沢陽一に、2人の娘以外に子はいない。姉の気質を知り抜いている藤堂には分かるが、花織は決して父親の言いなりになる女性ではない。そして妹は短命の定めだった。
 真鍋を養子にした芹沢の思惑は推測するしかないが、おそらくは自分の後継者にするつもりだったのではないか。――しかし、今真鍋は、旧姓に戻している。
「真鍋雄一郎は、なんのために二宮の後継者になったのかしらね。財産も社会的地位も、彼は存分に持っているし、これからいくらだって作れる人よ。――しかも、馬鹿げた美談まで売りにして、地方都市の市長にまでなったのに」
 それは、藤堂が根源的に抱いている疑問でもある。
 市長になったことまでは分かる。真鍋の家庭は二宮家以上に複雑で、彼はずっとそこに囚われて生きているからだ。憎悪する父親に一矢報いたいと思ったのか、全てを奪われたことへの報復なのか。――それ以上は想像するしかないが、そこまでの流れは真鍋の描く筋書きとして理解できる。
 しかし、あえて二宮家の跡取りに名乗りを上げたのは何故なのか。その座に納まれば、莫大な資産と、決して表に出ない国内外のあらゆる情報――その情報を司るゆえの権力を手に入れることができるが、その実体は籠の鳥だ。
 情報や権力を利用しようと目論めば、たちまち二宮家を守っていたヴェールははがされ、二宮家は徹底的に解体される。それは、二宮家を暗に守っている国家そのものを敵に回すことになるからだ。
 そうなれば大げさではなく、伯父やその妻の命の保証もない。闇の勢力にとって都合の悪い情報も、二宮家には蓄積されているのである。
 だから伯父は、世間の出来事に一切干渉しない。家の存続に関わること以外は、それがたとえ身内のトラブルであっても冷淡なほど傍観しているのだ。
「そういう話をしたかったのよ、瑛士君と」
 しばらく黙った後、藤堂は気持ちを切り替えた。少なくとも、佐倉怜の警告は素直に聞いておくべきだ。その意図はまだ分からないまでも。
「そうですね。じゃ、どこかで食事でもしますか」
「ええ。お薦めのお店があるの。――じゃ、後で」


 *************************


「瑛士君、なんだか雰囲気が変わったわね」
 銀座の和食レストラン。指定された時間に藤堂が行くと、通されたのは広々とした間取りの個室だった。和テイストを取り入れた瀟洒な洋室で、いかにも政治家が好みそうな上質な作りだ。
 怜がそう言って藤堂を見上げたのは、一通りコースが終わった後、オーダーしたコーヒーが運ばれてきた時だった。
 少し酔った時の彼女の癖で、褐色の目がきらきらと輝いている。
「変わったとは?」
「眼鏡のせいかな。以前よりずっと大人っぽくなった。7年前は、てんで子供だったのにね」
「実際、子供でしたから」
 藤堂がそう答えると、怜は苦笑して、カップに唇を当てた。
「そういうところは変わらないなぁ。もしかしてわざとなの?」
「……? わざととは?」
「こっちが膨らませようとした会話を、一方的に終わらせるところ。私があなたの変化に触れたのなら、今度はあなたが私について触れてくれないと」
「……、ああ」
「言わなかった? 相手の気持ちを汲まなきゃ会話なんてなりたたない。何を話したところでただの事務連絡よ」
 ――言われたな、確かに。
 7年前、この人は世界中のエリートが集まるマッカーザック・カンパニーのアメリカ本社で、経営コンサルタントとして働いていた。24歳。その年でマネージャーとしてチームを率いていたのだから、優秀さは折り紙つきだ。
 当時20歳だった藤堂は、大学に通いながら同社データ部でアルバイトをしていた。
 世界中の取引先から資料を収集してデータ化する仕事で、大学の教授の紹介で始めたものだ。しかしその時作った幾つかの資料が評判になって、大学が長期休みに入った時、怜のチームのアシスタントに抜擢された。
 とはいえ、その報せを聞いた藤堂が率直に抱いた気持ちは「警戒」だった。実は、佐倉怜と藤堂は、日本で一度顔を合わせているのだ。
 彼女の父親は、日本の老舗電気メーカー創業一族の御曹司で、母親は、明治維新の立役者で、何人もの政治家を輩出した政治家一族の出身である。現総理大臣赤城太郎は、血筋でいえば怜の伯父だ。
 さらには、父方の叔父が当時の警視庁公安部長で、叔母が警察庁長官官房審議官。怜本人は東京大学政経学部に在籍中で――、つまり佐倉怜とは、財・知・権力の全てをもったまさにスーパーエリートなのである。
 その怜に、藤堂は17歳の時、自宅で開かれたパーティの席で引き合わされた。当時彼女は21歳。いずれ進学するはずの大学に通っていたことから、大学の様子などを聞くように伯父に言われたが、4歳年上の彼女が花嫁候補の一人だというのは薄々察しがついていた。
 会話したのはほんの数分。大学の話を少しだけして、すぐに別れた。ただ、怜の印象は殆ど記憶に残っていなかったから、それほど双方にとってどうでもいい会話だったのだと思う。
 怜にしても、当時すでにマッカーザック・カンパニーの内定を得ており、4歳年下の面倒な家の息子との結婚など、考えてもいなかったろう。――それは、20歳と24歳になった2人が再会しても同じことだったが、当時の藤堂が彼女との接触を危険だと感じたのは、彼女の周辺に二宮の影を感じたからである。
 藤堂を自身のチームに引き抜いた怜が、名前が変わったとはいえ藤堂の素性を調べていないはずはない。今回の抜擢にも、間違いなく伯父の意向が絡んでいる。
 そう判断した藤堂は、即座にアルバイトをやめようとしたが、その手続き中に怜に呼び出され、ことの経緯を打ち明けられた。
(――お察しの通り、図ったのは二宮のおじさまよ。おじさまが父に相談を持ちかけて、私と瑛士君を接触させるよう目論んだの。この会社であなたが仕事ができるよう取り計らったのも二宮のおじさま――。でも、あなたの仕事が社内で評価されていることまではおじさまの力じゃない。私があなたを引き抜いたこともね)
(――辞めたいのなら止めはしないわ。ただ、日本で一人仕送りを続けるあなたのお母様の立場も、少しは考えた方がいいんじゃないの。うちの会社は徹底的な実力主義、実力がある者には惜しみなく報酬を払うところよ。もちろんその逆ならすぐに首を切られるけど)
 確かに怜の指摘どおりで、その頃の藤堂は大学の費用を含め、生計の大半の母親に頼っていた。――今にして思えばその頃から母は相当稼いでいたのだが、当時の藤堂はそれを全く知らなかったし、母も知らせるような人ではない。
 二宮から籍を抜くことに関しても、母が伯父に頭を下げたからできたことだし、真鍋のマンションで無為に時を過ごしていた藤堂に、海外の大学に行くことを強く勧めてくれたのも母である。
 ――結局のところ、僕はいつまでも、あの人の足枷なんだな。
 母のために一日も早く自立したいと思っていた藤堂に、怜の言葉は鋭く突き刺さった。
 結局マッカーザック・カンパニーでのアルバイトはそれから半年続き、卒業を待たずにデータ管理部主任として正式採用となった。2年間の学費もアメリカの滞在費用もそれで賄えたのだから、その意味では怜には感謝している。
 その怜は、藤堂が正式採用となった直後に、マッカーザック・カンパニーを辞めて、帰国した。在職中の彼女はあまりに多忙で、2人で私的な会話をすることは殆どなかったが、彼女が帰国する前夜、一度だけ誘われて食事をした。
 お酒の入った怜は、想像以上に陽気でおしゃべりな女だった。が、それは決して不愉快なものではなく、藤堂は初めて彼女に人間として好意を覚えた。
 おそらくだが、互いにもう二度と会うことはないだろうという油断と、同郷の人と別れる若干の寂しさもあったのかもしれない。当時の藤堂は、アメリカで永住権を取るつもりでいたし、彼女は帰国後、別の仕事に着くことが決まっていた。
 だから、互いのプライベートな話までしてしまったのだろう。
 最初に口火をきったのは怜だった。
(私ね、好きな人がいるの。大学生の時、キャンパスで迷っていた時に声をかけられたのがきっかけで一目惚れ。ずっと好きだったけど、家庭に色々問題のある人でね。……親に反対されるのが分かっていたから、告白もしなかった)
 警察官僚を伯父伯母に持つ怜だが、実は、その伯父伯母こそが、怜の実親だというのは、知る人ぞ知る有名な話である。兄夫婦に養子に出された事情は知るよしもないが、両親が多忙で、なおかつ夫婦揃って危険な仕事に関わっていたことから察しはつく。
 家庭に色々問題があるというのは、身内に反社会勢力か犯罪者がいるのだろう。
(彼はサークルにも入っていなかったし、友人も殆どいなかったから、学生時代は偶然を装ってよく会いにいったな。……行きつけの店で待ち伏せしたり、彼と同じ講義を取ったりしてね。結局、何もできないでいる内に、卒業してすぐに結婚しちゃった。すっごくショックだったし、後悔もした。どうして私、告白さえしなかったんだろうって)
(以来ずっと諦めようとしてきたんだけど、無理だったみたい。――先日、彼と同じ職場にいる友人から、奥様と別居中だと聞かされてね。それ以来、彼のことが頭から離れなくなっちゃったの)
 つまるところ、怜はその人に会うためだけに仕事を辞めて帰国するのだ。しかも話をきけば、ただただ怜の一方的な片思いで、相手は怜の存在さえ知らない可能性があるという。
 そのことに藤堂は呆れ、しかし同時に、強い興味を覚えた。
 なぜならその時の藤堂も、たった二度しか会っていない女性に不思議な感情を抱いており、その感覚にずっと囚われ続けていたからだ。
「――で、私の印象は?」
 目の前の怜に問われ、藤堂は我に返った。
「ああ……、お変わりないと思います」
「つまらない男」
 おかしそうに笑うと、怜はコーヒーカップをソーサの置いた。
「瑛士君が何も変わっていないことが分かったところで、そろそろ本題に入ろうかな。春日局長が会っているのは藤家さん。元灰谷市役所総務局長だった人よ」
 さすがに眉を上げていた。
 元総務局長の藤家広兼。真鍋元市長を裏切る形で、真鍋雄一郎の応援に回った男であり、しかしその当選直後に市役所を自主退職した。 
 そこに何があったか知りようがないが、普通に考えれば、真鍋新市長と決裂したとみるのが妥当だ。
 今の真鍋の無軌道ぶりと、職員との関係の悪さを思えば、藤家がいなくなったことが、いかに大きな損失だったかが窺える。その藤家元局長と、――春日局長が。
「まぁ、2人は同期入庁だから、単に旧交を温め合っているのかもしれないけどね」
「佐倉さん」
 藤堂は口を挟んでいた。
「あなたが国土交通省におられたことも、今回、このような形で再会したことも驚きでしたが、どうしてなんの関係もない灰谷市や雄一郎さんのことに、こうも興味をお持ちなんですか」
「全く関係がないわけでもないのよ」
 怜は微かに笑ってから、綺麗な目を細めた。
「だって私、まだ二宮の後継者の花嫁候補なんですもの。雄一郎さんには婚約者がいるという話だけど、二宮のおじさまは、その方と雄一郎さんが本当に結婚するとは思っていないみたい」
「……そうなんですか?」
「ええ。だから私に、接触をとるよう話があったの。まぁ、今の二宮の難しい立場を思えば、その方――市職員だったかしら。その方よりも、私の方が適役でしょうね」
 藤堂は黙って眉を寄せた。今自分の胸に去来した感情を、どう処理していいか分からない。つまり伯父は、後継者候補を決める駒として的場さんを利用しながら、その実佐倉怜と雄一郎さんを結婚させようと目論んでいたのだ。
 それは……もしそうなら、雄一郎さんも伯父さんも、許せない。 
「政府の中に、二宮を解体させようという動きと、傍系の松平家にその座を譲ろうとする動きがあるのは知っている?」
「……噂程度には」
 用心深く藤堂は答えた。
 怜の実親は2人とも警察の幹部で、父親は今年警視総監――実質、警察官僚のトップの座についた。もし彼女が実親から情報を得ているなら、藤堂よりも政府の内情に詳しいはずだ。
「二宮家は、政府が抱える尤も扱いの難しい戦前からの遺物であり、絶対に表に出したくない歴史の闇を知る怪物よ。――彼らが管理する莫大な機密情報が一体どこに保管されているのか。それを知るのもアクセスできるのも歴代の当主だけ。そうでしょう?」
「そう聞いています」
「その徹底的な情報管理と、彼らがそれを悪用してこなかったこと。そして歴代内閣と友好な関係を築いてきたことが、今の時代まで二宮を存続させてきたともいえるわ。そうでなければとっくに闇に葬られていたでしょう。――今でも、そうしようという動きはあるし、水面下では何度も危機があったのよ。でもそれを、上手く二宮のおじさまが収めてきた」
 言葉を切り、怜はコーヒーのお代わりをオーダーした。藤堂のコーヒーは、まだ手つかずのまま置かれている。
「私が何を言いたいか、まだ理解できないようね。はっきり言えば、今まで二宮を守っていた暗黙の不文律が壊れようとしているのよ。真鍋雄一郎が後継者になったことで」
 さすがに藤堂は、唾をのんだ。
「と、いうと」
「あの人は、灰谷市で何をしようとしているのかしら。今、私が言えることはそれだけよ」
 雄一郎さんが、――灰谷市で何をしようとしているのか?
「ヒントはあげたわ。頭がいいんだから後は自分で考えなさい。いずれにしても、すでに二宮家を守っていた均衡は崩れたの。後は、それを上手く収めることができる人物が絶対に必要なのよ」
「…………」
 藤堂は苦い思いで目を伏せた。
 それが、この人か。
 確かに怜なら適役だ。経営には強くても、政治力や人脈が弱い真鍋を補える、考え得る限り最適な女性といってもいい。
 だから伯父は、この人と雄一郎さんを結婚させようとしているのか。――
 
 
 *************************
 
 
「7年前、好きな人がいたという話でしたね」
 店を出て、タクシーを拾うために歩きながら、藤堂は怜に聞いた。
 あれきり、あっさり話題を変えてしまった怜から、少しでも情報を聞き出したいという下心もあったが、彼女が本気で雄一郎と結婚するつもりなのかどうか、確かめたいという気持ちもあっての、意地の悪さを自覚した質問だった。 
「その人とは、結局どうなったんですか」
 怜は特に表情を変えることなく、肩をすくめた。
「再会したわ。というより私、そのために国土交通省に入ったんですもの」
「つまり、その相手は国土交通省にお勤めなんですね」
「ええ。でも去年の12月に退職したわ。――もう言っちゃおうかしら。その人、その直前まで灰谷市にいたのよ」
「……え?」
「国土交通省から灰谷市に派遣されていたの。そこまで言えばもう誰だか分かるでしょう」
 ――氷室課長か。
 内心の驚きを押し隠して、藤堂は小さく頷いた。
 道路管理課の氷室課長。国土交通省から派遣されてきたのは、その人と入江耀子の2人しかいない。
 氷室が役所を辞めたのは昨年の12月。あまりに突然の退職だったため、様々な憶測が乱れ飛んだが、その中で一番有力だったのが、同月にその氷室の元上司が収賄容疑で逮捕されたということだった。
 氷室もまた、同罪で逮捕される見込みのため、それを先読みした氷室が退職して逃亡をはかったという説である。
「もっと言えば、私が灰谷市に興味を持つようになったのは、彼が退職したことと無関係ではないわ。――もちろん私に、彼が何を考えているのかまでは分からないけどね」
「……氷室課長の奥様は、確か昨年の夏にお亡くなりになっていますね」
「そうね。でも奥様とは、ずっと別居されていたそうよ」
「告白されたんですか」
「聞くわね、今夜は」
 唇を大きく広げ、おかしそうに怜は笑った。
「それを聞く以上、自分が聞かれる覚悟はあるんでしょう? 7年前、瑛士君も好きな人がいると言っていたわね。その人には無事、告白できたの?」
「…………」
 全く余計なことを言ったものだ。
 この先、二度と関わることはないと油断していたのと、怜の心境に共感してしまったせいだが、全く馬鹿な真似をした。 
「しましたよ」
「それで?」
「僕の気持ちが分からないと言われました。それだけです」
 手を叩き、噴き出すようにして怜は笑い出した。
「あははっ、多分それ、本気で言われたのよ。あなたってわかりにくすぎるもの。そう言うしかなかった彼女に同情しちゃうな」
 さすがにむっとして藤堂は眉を寄せる。
「僕は――そのことに関しては、かなり分かりやすかったと思いますが」
「どうかな。あなたは頭が良すぎるからね。相手の気持ちを先読みしすぎて、まだ向こうが出していない結論を勝手に出しちゃうところがあるじゃない。そういうの、普通の人には全く理解できないから」
 それには、思わず言葉に詰まる。確かにその指摘は当たっている。ただ――。
「ただ、その読みが殆ど外れないのが瑛士君の凄いところよ。でもね、これは忠告だけど、こと恋愛が絡んだ女心って複雑よ。あと恋愛ってしょせん勢いとタイミングだから」
 ――勢いと、タイミング。
 黙る藤堂を見上げ、怜はからかうような目になった。
「あなたが泣きたくても泣くことができなかった時に、人生で一番辛かった時に、偶然出会ったその人の涙が、とても綺麗で尊いものに思えたように」
「…………」
「大好きだったパパとママが養親だと知って途方に暮れていた私が、たまたま迷ったキャンパスで、その人に助けられた時のように」
 言葉を切った怜は、苦笑して視線を下げた。
「そんな風に、人には誰かの助けを苦しいほど待っているタイミングがあって、そこにそよ風みたいに入り込んでくれた人に、恋をするの」
 ――そよ風……。
 ふとその刹那、果歩の笑顔が脳裏をよぎった。
 ――そよ風、か。
「瑛士君は、たったそれくらいのことで彼女を忘れられなくなった自分が、異常なんじゃないかみたいな言い方をしたけれど、私に言わせればそんなこと全然ない。心のひだにその人の何かが刻み込まれてしまえば、それは恋よ。――よく知っている相手だろうが、初めて会った人だろうが関係ない。ようはそれが、瑛士君のタイミングだったんだから」
 歩き出した二人の頭上では、東京の空に浮かぶ半月がおぼろに輝いている。
「でもその恋を、いつまで引きずるかはその人次第だと思うけどね」
 
「恋を、あなたは棘だと言っていましたね」
 タクシーを拾う機会は何度もあったのに、なんとなくそれをやり過ごして2人は歩き続けていた。
 先に沈黙を破ったのは藤堂だった。
「恋は心の深い場所に刺さった棘で、呪いにかけられたようなものだと。でもそれを抜く方法までは教えてくれなかった」
 怜は苦く笑って、「よく覚えているなぁ」と独り言のように言ってから口を開く。
「だって私も知らなかったもの」
「今は分かるんですか」
「どうかな。私、誰かを好きになったのってその人だけなの。他には知らない。――今は多分、待ってるのね。もう一度誰かがそよ風みたいに、私の前に現れるのを」
 怜はどこか寂しげな横顔で、自分の胸のあたりを軽く叩いた。
「その時、初めて棘は抜けるんじゃないかしら。でも、彼にはっきり断られた時、もう殆ど抜けているのよ。今は未練みたいに端っこにひっかかってるだけ」
「……断られたんですか」
「ええ。昨年の秋にね。とても丁寧にあなたのような家の人とおつきあいはできないと説明された挙げ句、市役所につきあっている人がいるって言われたわ」
 ――市役所に。
 藤堂は目を見開いた。それは噂になっていた行政管理課の柏原補佐だろうか。彼女も今年の4月に市を離れて国に戻ったと聞いているが。
 いずれにしても、それは知る必要のない余計な情報だ。 
「ただ、今、彼は行方不明で、ちょっと複雑なことになっているのよ。市役所の彼女がそれを知ってどうするつもりなのか、……そうね、まだほんの少し気になっているかな」
「なのに、雄一郎さんと結婚するんですか」
「随分回りくどかったけど、最初からそれが聞きたかったんでしょ」
 足を止めた怜が、彼女らしい鋭い双眸を藤堂に向けた。
 普段は気さくで、親しみやすい印象しかない怜だが、世界の頭脳が結集するマッカーザックでチームを率いていただけあって、一度切り込むと決めれば容赦ない。苛烈な言葉で相手の心をへし折ってしまうこともある。
 その一面をよく知っているだけに、藤堂は思わず緊張する。
「私はね、瑛士君。何年も実の親を、ただの親戚だと思って生きてきたの。それどころか本当のことが分かってからは憎みもした。この人たちは、しょせん仕事のために私を捨てたんだろうって」
 しかし怜は、その鋭さをすぐに消すと、一転して穏やかな口調で続けた。
「でも、私以上に2人が辛い思いをしていたと分かった時、ほんの少しでもいいから、この人たちのために何かしたいと思ったのよ」
「それが、僕の質問の答えですか」
 つまり実親が望む結婚を受け入れるということか。ただ、佐倉さんはそれでよくても、雄一郎さんは違うはずだ。
「雄一郎さんには、好きな人がいます」
「知ってるわ」
 怜は苦笑すると、数歩先を行ってから、足を止めて振り返った。   
「何度も言うけど、もうヒントはあげているのよ。――じゃ、明後日、灰谷市で」





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