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年下の上司 Final Story〜赤い糸の行方

赤い糸の行方(16)〜瑛士side

 
 
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 甘粕が去って1人になった後も、藤堂はしばらく固まった思考を動かせないでいた。
(亡くなられた二宮和彦様――御前様のお父様だと聞いております)
(はっきり言えば、それは瑛士様が二宮和彦様の息子だからなのです)
 今日一日の短い間に、キーマンとして出てきたいずれの名前も父だったことが、自分の胸に、見えないくさびのように突き刺さっている。
 一体自分の父親が、どういう人物だったのか――27歳で亡くなる日まで、何をしていた人だったのか、藤堂は何も知らない。
 いや、正確には、決して見ないように目を閉じて生きてきた。
 10歳から8年間二宮家で過ごしたが、父の存在を意識したのはたった一度だ。
 脩哉に、無理矢理霊廟に連れて行かれた夜。その夜初めて、藤堂は父の顔を見たのだ。
 それは同時に、父という人がこの世に実在していたことを、初めて受け入れた瞬間でもある。
 しかし、藤堂が知らなかっただけで、最初から父は屋敷の至る所に存在していたのだ。
 子供の頃から当たり前のように使っていたトークンや警備システムは父が作り上げたものだった。
 藤堂が知る限りでは、二宮家の警備システムは、世界のどんなシステムにもひけをとらない。それを若くして開発した父とは、一体何者だったのか。
 藤堂は首を振り、机の上に置いたきりの封筒を取り上げた。今は、ひとまず廃家の手続きを急ぐのが先決だ。
 二宮家の財産については、今甘粕に調べさせ、今日中に一切を提出させるようにしている。藤堂がなすべきことは、二宮家が保持しているという『秘密文書』を確認することだ。
 封書は軽く、中には一枚の紙片が入っているだけのようだった。念入りにチェックしたが、封筒が開かれた形跡はない。
 封を切り、中から紙片を取りだした藤堂は目を見張った。
 そこには喜彦の見事な筆跡で、ただ一言こう記されていた。
『この部屋の主が人生でもっとも幸福だった日』


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「初めまして、御前様。ご挨拶が遅くなったことをお詫び申し上げます」
 差し出された名刺には、『内閣官房副長官 宮司』と記されている。
 藤堂は名刺から顔を上げた。役職の割には年が若い――40代半ばくらいだ。すっきりとした痩身に色白、一言で言えば優男だ。柔和そうに見える細い目は、逆に感情をうまく隠しているようにも見える。
 1階の客間。甘粕の言葉を信じればこの部屋に監視カメラはない。
「内閣府、二宮家担当の宮です。本日は新当主就任の報を聞き、ご挨拶に伺わせていただきました」
「わざわざありがとうございます」
 藤堂は丁寧に礼を言ったが、心の中は、伯父の残した奇妙な一文のことで埋め尽くされていた。
 ――あれは、伯父の残したパスワードのヒントか。しかし一体、何故そんな回りくどいことを?
 紙面を手に、藤堂はすぐに金庫が置かれている書斎に入った。室内の半分が開閉扉の付いた書棚で占領されている部屋の奥に、伯父のデスクがあり、カバーのかかった古いタイプのデスクトップパソコンが置かれていた。
 机の背後の観葉植物。幾何学模様の絨毯とカーテン。
 それらの何もかもが子供時代に見た光景そのままだ。しかし大きなチェアの後ろに置かれた巨大金庫まで、当時は意識がいっていなかった。
 壁に金具で固定された金庫は電子ロックがかかっており、8桁のパスワードで開く形式になっていた。ボタンのマークを見る限り、暗証番号は閉めるタイミングで入力できるようだ。
 つまり、ワンタイムパスワードにすることが可能だということだ。次に扉を開ける者は、閉めた者が入力したパスワードを打ち込まなければならない。
 コードは8桁。幸福だった日というからには西暦と月日が正解だろう。この家全体のセキュリティからいえば拍子抜けするほどに簡単だ。
 試しに藤堂は、伯父が前妻の静香と結婚した日を入力してみた。その瞬間入力画面は暗転し、次に60の数字が現れた。それが点滅し、1分ごとにカウントダウンしていく。
 つまり間違ったパスワードを入力した場合、1時間は開かなくなるということだ。
 思ったより厄介だなと思った時、卓上の電話が鳴った。同時に元いた部屋の電話も鳴ったから、ふたつの部屋の回線はひとつになっているのだろう。
 電話に出ると甘粕で、内閣府の担当が挨拶に来たと告げられた。そして――今に至っている。
「喜彦様がまだ国内におられたことに、さぞ驚かれたことでしょう」
 当主の客間に通された宮は、穏やかな口調で続けた。
「私もこのようなことになって、大変驚いております。――真鍋雄一郎氏を後継にと定めた折り、実は喜彦様は大きな手術を控えておられたのです。対外的には内規通り一ヶ月以内に国外に移住されたこととしておりましたが、実際は、手術を終えた後に新当主との継承を済ませ、後はお体の様子を見ての判断ということにしておりました」
「……伯父に、もう海外での暮らしは難しいと思います」
 藤堂が神妙に答えると、宮はいかにも同情するように大きく頷いた。
「ご本人もそのように思われていたようで、奥様は内々に別れを済ませておられたようです。とても仲がよいご夫婦でしたから、奥様におかれてもお寂しい思いをされているでしょう」
「……、片倉元参与は、では今は伯母と一緒に?」
「残念ですが、それは規定上申し上げられません」
 柔らかな笑顔だったが、その実きっぱりと拒否されたことが分かった。
 伯父が余命宣告されていることは、当然内閣府も知っていたはずだ、なのに内規通り長年連れ添った妻と片倉を引き離したのだから、その冷酷さがうかがい知れる。
 ――片倉を戻すのは、無理だな。
 胸の内でそう思いながら、藤堂は苦渋を表情に出さないようにした。今となっては、片倉が二宮家を辞していたことだけが悔やまれる。藤堂にしてみれば手と目を同時に失ったようなものだ。
 不意にその表情に心配そうな色を浮かべ、宮は身を乗り出した。
「そんなことより、喜彦様が前夜急変されたと伺いました。どのような状況なのでしょうか」
「薬で、容態は落ち着いていると聞いています」
 藤堂はさらりと嘘を言った。
 久世老人の警告もあったが、肌感覚でこの男が信用ならないことだけは分かった。しかし、むろん目の前の男が本気になれば、伯父の本当の容態を知ることなどわけはないだろう。
「安心しました。では継承の方はもうお済ませに?」
「ええ。細かな部分はまだ残っていますが」
「細かな部分」
 藤堂の目を探るようにじっと見つめながら、宮は繰り返した。
「内容を知ってさぞかし驚かれたのでは? なにしろ国体を揺るがす大変な文書だと聞いています」
「内容に関するコメントは控えさせていただきますよ」
 藤堂は微笑したが、その実胃がひりひりと痛んでいた。
 なんだか性質の悪いコントをやらされている気分だ。国体を揺るがす国家機密? そんなものが本当に存在するのか?
 しかし二宮家にある種の国家機密が保存されており、それゆえに国や政経界において、同家が特別な存在であることは藤堂が子供時代からの常識だった。
 ――が、その正体となると、おそらく当主以外誰も知らないのだ。今、目の前で何もかも見透かしたような目で藤堂の反応を伺っているこの男も、実際内容までは知らないのだろう。
 藤堂が黙っていると、宮は目元に柔和な笑みを浮かべて目をそらした。
「出過ぎた質問をしてしまったことをお詫びします。しかしそのようなものを、今の世に私人が保有していること自体、異常なことだと思いますよ」
「ちなみに、内閣府では、それはどのようなものだと認識されているんですか」
 藤堂は逆に切り込んでみた。今度はこちらが男の目の色を探る番だ。
「――、そうですね、なんといいますか、内閣府の中でもすでに都市伝説のような話になっています」
「都市伝説」
「宗教絡みの話だというのが、我々の認識です。内閣府ではそれを〇号文書と呼んでいるんですよ」
 〇号文書。
 そして内容は宗教か。
 藤堂は表情を変えないように微笑した。すると文章はひとつなのか? もっと多くの、様々な分野に係るものが保管されているイメージだったが……。 
「何しろ、神代の時代の話ですからね。そうなるともう宮内庁の管轄になる。――あそこも色々、表に出せない神事を隠していますから」
「なるほど」
 肯定も否定もせずに頷く。向こうがこちらの反応を伺っているのは分かっているが、今はノーガードで打たれ続ける以外方法はない。
 分からない。久世さんは、何故内閣府を警戒するようなことを言ったんだろう。仮に目の前の男が二宮家にとっての敵なら、その理由は一体なんだ?
 昨夜、あれだけ手間のかかる書類作成を散々やらされたのに、何故伯父は、肝心なことをひとつも話してくれなかったのだろう。五里霧中に1人放り込まれて、必死に体裁を取り繕わされている気分だ。
「――それにしても就任早々大変ですね。侠生会と真鍋氏とのトラブルの件は、伺っていますよ」
 宮は話題と表情を改め、侍従が持ってきたコーヒーを一口飲んだ。
「佐倉家のご令嬢とご結婚されたということは、二宮家として八神総監と真鍋氏を擁護する立場を取られたということでしょう。それは総理も重く受け止め、現状、静観を貫く方向になっています」
 黙って頷いたが、それもまたこの結婚の効能だったのかと内心目を見張っていた。
 分かっていたことだが、伯父のすることは一見無駄だらけのようでいて、全てが計算し尽くされている。では――あのいたずらのような暗号にも何か意味があるのだろうか。
 この部屋の主が人生でもっとも幸福だった日――とは?
「実は、ここからが今日の本題なのですが、その件で、聞き捨てならない噂を耳にしましてね」
「と、言いますと?」
「侠生会から廃家が条件に出されたというのは本当の話ですか?」
 藤堂は、驚きをのみこんで自身もコーヒーカップを取り上げた。よほど否定しようと思ったが、ここで即座に演技できなかった以上、認めるしかない。
「失礼ですが、どこでその話を?」
「それは、申し上げられません」
 あの御前会議がそもそもザルだったのか、怜の内通者がいることも含め、構成員の口の軽さは想像以上のようだ。改めて藤堂は、久世が車内での密談を望んだ意味を思い知った。
「こと二宮家に係る話であれば、我々はどのようなルートからであっても情報を収集します。二宮家と侠生会のような厄介な組織との間に問題が起きているならなおさらですよ」
 藤堂を安心させるように、宮は優しい笑顔になった。
 甘く見られているなと思ったが、それは好きにさせておいても問題はないだろう。自分のそういうところが怜を苛立たせているのかもしれないが。
「御前様は、以前は地方公務員をされていたと聞いております。いきなりそのような物騒な話を聞いて、さぞかし驚かれたでしょう。しかしご安心ください。どのような事態になろうと、我々が全力で二宮家をお守りしますから」
「……それは、心強い限りです」
「廃家については、先代の当主も何年か前に模索しておられたと聞いています。内閣府にも当時の記録が残っていますから、私でよければお力になりますよ」
 ――……伯父さんが?
「二宮家の存在ありきで既得権を得ている方々からは当然反対されるでしょうが、私自身は廃家も選択肢に入れてよいと思っています。今回のような事態が起きたとき、一私人にできることは、やはり限られていますから」
「……伯父は何故、廃家を断行しなかったのでしょうか」
 耐えきれず、藤堂は手の内のひとつを暴露した。
「理由までは分かりません。実のところ内閣府としてもそのご判断を非常に残念に思っていました。私が思うに、今回のトラブルを解決するもっとも近い道は廃家です。――政府の方針を押しつけるようで恐縮ですが、今一度ご再考いただけませんか」
 咄嗟に言葉が出てこない藤堂に、宮は神妙な顔で角2サイズの封書を差し出した。
「廃家にいたるプロセスを私の方でまとめてきました。どうぞ目をお通しください。何かあれば、いつでも私の携帯に連絡いただければ幸いです」




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