「瑛士さん、帰りが遅くなるみたいです」 携帯を手に出て行った怜が戻ってきたので、果歩はぎこちなく微笑んで、「そうですか」と答えた。 夜の静寂が、山全体を包み込んでいる。 涼しい初夏の風がそよぐテラス。テーブルにはワインと、旬の野菜や果物をつかったフレンチ料理が並んでいる。 「市役所でたまったお仕事を片付けてから戻ってくるんですって。雄一郎さんはまだ地検に?」 「……ええ、多分そうだと思いますけど」 「残念です。せっかく4人で食事がしたかったのに、雄一郎さんも瑛士さんも遅いなんて」 この状況で4人で食事というのは、一体どういう神経の人だろう。それに、藤堂を待っていると言っていた割には、テーブルには最初から2人分の食器しか並んでいなかったような気がする。 そう思ったが、果歩は失礼にならない程度の相づちを打って、白ワインを口に運んだ。多分すごく高級なものなのだろうが、今の果歩には水とさほど変わらない。 「お口にあいませんでした?」 「え?」 気付ば正面に座った怜が、心配そうに果歩の顔をのぞきこんでいる。 「きっと緊張されていると思って、うちの料理長に頼んで口当たりのいいさっぱりとしたメニューにしてもらったんです。ああそうだ、何かお嫌いなものがあれば、今のうちに教えていただけません? その逆でお好きなものも」 トランスブルーのシンプルなワンピースに身を包んだ怜は、実際ファッション誌から出てきたと思うほど美しい人だった。 洗練されたヘアスタイルと控えめだけど完璧なメイク。鳶色の目元は優しく、けれど太めな眉と大きな唇からは男性的な包容力すら感じられる。 都内郊外、山の天辺にある治外法権区――二宮家。 そこを単純に「家」といっていいか、果歩はますます分からなくなった。 広大な庭園、森と人工河川と堀に囲まれた異国風の建物。去年来た時も圧倒されたが、その時果歩が見たものは、全体のごく一部に過ぎなかったのだ。 まず、二宮家の住居に当たるのが、本殿と呼ばれるコの字型二階建ての建物である。 建物の中庭には、幾何学模様をなすように配置された色とりどりの植物が、まるで巨大な絵画のように美しく広がっている。それは、あたかも西洋貴族の城のようだ。 しかし建物自体は橙色の壁に朱色の柱で織りなされた東洋的なもので、中国の宮殿を彷彿とさせる。 建物の周囲には人工水路が敷かれ、庭の中央にはアーチ型の橋がかかった広大な池と、古代ギリシャを思わせるような造りの、東屋に似た建物が点在している。 去年果歩が訪れたのはここまでで、そこから先にあるものまでは知らなかった。 いや、正確には香夜に連れられて、敷地内のどこかにあるはずの搭状の建物――藤堂の言うところの二宮家の霊廟までは足を踏み入れたはずなのだが、あの時は夜で、香夜と話しながら歩いていたから、自分がどこに誘われていたのか、はっきり分からなかったのだ。 本殿の庭に、あの時見た建物はないようだし、この山の敷地内にはもっと多くの建物が、あたかも点在する小さな集落のように広がっている。 それは、ヘリで敷地内のヘリポートに降りてくるときに、上空から見下ろしてはっきりと分かった。大げさでなく、ひとつの町を見ているような壮大な光景だった。 そもそも敷地の中にヘリポートがあること自体おかしいのだ。 今、怜と2人で囲んでいるテーブルは、本殿二階の怜の自室のテラスに用意されている。そこから見渡せる庭と夕暮れの景色の美しさは、まるでおとぎ話の世界に紛れ込んでしまったかのようだ。 しかしこの世界で、果歩はあくまで脇役なのである。 「……私、特に好き嫌いは」 「じゃあ雄一郎さんはどうですか?」 咄嗟に返事ができないでいると、怜は気さくな笑顔を浮かべて片手をあげた。即座にやってきた黒服の女性に、「ラ・グランダムを」とオーダーする。 すぐに運ばれてきたシャンパンボトルから、薄いブルーの切子グラスにゴールドの液体が注ぎこまれた。 「実は、今夜、果歩さんと飲もうと思ってとりよせたシャンパンなんです。ラ・グランダム。この名前の由来を?」 「……え、いえ」 「これは、このシャンパンをつくった会社を大きくさせたマダム・クリコを称えてつくられたもので、『偉大なる女性』という意味なんですよ。――私と、果歩さんに」 微笑んでグラスを持ち上げる怜にあわせて、果歩もグラスを持ち上げた。食前酒と白ワインのボトルに続いて3度目の乾杯だ。正直お酒はもういいと思ったが、怜が相手では断れない。 いくら彼女が友達のように気さくに振る舞ってくれても、自分とこの人との間には、歴然たる上下関係が存在しているのだ。 「お酒、お好きなんですか」 「うん、大好き」 目元をほんのりと赤く染めた怜は楽しそうな目になった。 「酔うとおしゃべりになっちゃうんです。今は一応控えてますけど、本当いうとしゃべりたくてうずうずしてます」 「……私と、何をしゃべりたいんです?」 「いろいろ。だって同い年ですもの。私、年の近い同性の友達がいないから、これでもけっこうウキウキしているんですよ」 ――同い年……。 自分の胸の奥の深い場所が、音もなく傷つくのを感じ、果歩はシャンパンを黙って飲んだ。そうか、藤堂さんの結婚相手は私と同じ年だったか。 だからどうだってわけじゃないけど、――ああ、もうそのことは考えないって決めたのに。 「それに、もしかすると、いずれは親戚になるかもしれないし」 「親戚?」 空になった果歩のグラスに、怜は自らシャンパンを注いでくれた。 「だって真鍋さんと瑛士さんは従兄同士ですから。私たち、その配偶者という立場になるでしょう」 「あ……」 どう答えていいか分からず、果歩は曖昧に笑ってシャンパンを口に運んだ。もう、いっそのことベロンベロンに酔っ払ってしまいたいと思いながら。 「あ、こんな話、まだ早かったですね。――ごめんなさい」 しかしその果歩の感情を読み取ったのか、怜は即座に申し訳なさそうな顔になった。 「私、そういうところをビジネスライクに割り切る癖があって……、だってもう決まったことだし、くよくよしたって仕方がないじゃないですか」 怜は自分もグラスの中身を飲み干して、自分でつぎ足した。 「もしかして果歩さん、私のこと、悪者だと思ってません?」 「え、そんなこと」 「いいんです。果歩さんにしてみればまさにその通りだから。私も私で、今朝はきつい言い方をしましたし」 無邪気に笑うと、怜は子供っぽい仕草で頬杖をついた。 「分かってもらえると思ってましたけど、ああでも言わないと、真鍋さんが絶対に首を縦にふらないじゃないですか。実行力がある人だから何をするか分からないし――やけを起こして勝手な行動を取られたら、私の父にも害が及ぶかもしれないんです」 「それは、分かります」 自分が足枷になって真鍋の自由が制限されていると思うと辛かったが、そうでもしないと真鍋を止められないという判断は正しかったと思う。 だから果歩も、甘んじて彼の足枷でいようと決めたのだ。 「あと、逆の立場になって考えてみてもらえません? 結婚しないといけないことになった男には相思相愛の恋人がいたんです。私だって、結構可哀想な立場じゃないですか」 「…………」 確かに。 「しかもその女性と同じ家で暮らすことになるなんて、普通に考えれば修羅場でしょ。今朝言ったことはもちろん本音です。――ただ、だからといって私が個人的に果歩さんに遺恨を持っているわけじゃないですから」 言葉を切った怜は、ガラス皿のイチゴを取り上げて口に含んだ。 「瑛士さんさえ、きっちりけじめをつけてくれれば、私的にはもうそれで十分です。果歩さんにも、今は雄一郎さんがいるわけですしね」 「……、そうですね」 果歩はグラスを置いて、目を伏せた。 確かにこの人の立場に立ってみれば、私ほど顔を合わせたくない相手もいないに違いない。 なのに、こうして守ってくれているばかりか、こんな席まで設けてくれたのだ。 まるで囚われ人のような気持ちで悄然と席についている自分と、合理的に感情を整理して話を進めている怜。同い年だけに、なんだか余計に情けない気持ちになる。 「だからもう、過去のことはお互い気にしないようにしません? 果歩さんがそんな顔をしていると、瑛士さんも雄一郎さんも、余計にギスギスするんじゃないかしら」 胸の痛い場所がずきりとうずいた。それもまた、その通りだ。 「今は瑛士さんも気持ちの整理がつかないようですけど、直に冷静になると思います。雄一郎さんと瑛士さんがいがみあっていても、何もいいことはないじゃないですか。――そこは、果歩さんが大人にならないと」 無理に微笑んだ果歩は、胸にこみ上げた重苦しい感情をシャンパンと一緒に飲み込んだ。 「わかりました。じゃあ私も、気にしないことにします」 「そうしましょ。というより私たちが仲良くしていれば、男たちも安心すると思いますよ」 「そういうものですか」 「うん。男って案外単純ですから」 怜が晴れやかに笑ったので、果歩も初めて、ほのかではあるが自然に微笑んでいた。 ――思っていたより、いい人なのかもしれないな。 登場の仕方があまりに強烈だったからなかなか警戒心が解けなかったけど、根はさばさばして、優しい人なのかもしれない。 「なぁんて、わかったようなことを言ってますけど、実は私、まともに恋愛したことがないんです」 「え?」 「この年まで片思いしか経験したことがないんですよ。初恋が大学一年生の時で、以来その人しか目に入らなくなっちゃって」 「その人に、ずっと片思いをしていたんですか」 怜さんみたいな人が――というのは心の中で飲み込んだ。 綺麗すぎる人ほどなぜだか幸福が遠ざかるのは、親友のりょうの例でよく知っている。 果歩の知る限りではあるが、最初は既婚の元家庭教師で、次が謎めいたイケメンバーテンダー。で、その次が晃司。――もちろんそれぞれ魅力的だったのだろうが、りょうの女性としてのポテンシャルを考えると、その3人にこぞって去られたことは謎でしかない。 「ええ。実は告白したのが去年で、きれいさっぱりふられちゃいました。今はその人……そうですね、彼女さんと結婚するつもりで、色々準備してるんじゃないかな」 さみしげに言って、怜はシャンパンを一気にあおった。 「でも、いいタイミングだったのかなと今は思います。もしそうでなきゃ、さすがに政略結婚は受け入れられなかったですから」 「…………」 「瑛士さんのことは昔からよく知っていて、二宮のおじさまから打診された時は、正直、絶対ないと思ってました。でも、なんだろう。先月何年かぶりに再会して、なしがありに変わったのかな」 「そうなんですか?」 「彼のこと、もう少し深く知りたいと思ったんです。もちろんまだ恋愛感情とは違いますけど」 「…………」 果歩は微笑んで、怜が注いでくれたグラスを持ち上げた。 ――笑えてるかな、ちゃんと。 笑っているつもりだけど、胃がひきつれるように痛いのは何故だろう。 というより私も、どこかで気持ちを切り替えないといけないんだろうな。 もう切り替えたつもりだったけど、もっと深いところまで。 藤堂さんの幸福を、心から願えるところまで。 今はまだ、そんな状況にはほど遠くて、――とてつもない苦しさだけが募るけど。 「――あ、ちょっと待っていただけます?」 不意にそう言った怜が、手元の携帯を持って席を立った。 果歩は所在なく、グラスを持ち上げて唇をつける。 結構、酔ってしまったかもしれない。でも、おかげで今夜はぐっすりと眠れそう。 真鍋さんは今どこだろう。一緒に食事をしようと言ったけど、さすがに他人のテリトリーでそのわがままを通すのは難しそうだ。 せめて少しでも、会うことができたらいいんだけど……。 「果歩さん。雄一郎さん、今戻ってきたみたいです」 その時、笑顔で戻ってきた怜が言った。 「ヘリポートから車で移動するそうですから、私たちも行きましょうか。それほど距離があるわけではないですから、私が案内しますよ」 「……はい」 つまり、真鍋の住まいはここではなく別の場所ということだ。 真鍋だけでなく、果歩自身もどこで寝泊まりするのかまでは説明されていない。 本殿の客間で着替えとメイクだけはすませたが、気づけば荷物は全部外に運び出されていた。果歩もまた、今夜は本殿以外の場所に宿を用意されているはずなのだ。 一体、これからどこに連れて行かれるんだろう――不安に思いながらも、果歩は急いでナプキンを膝から取って立ち上がった。 ************************* 「ごめんなさい、ちょっと飲ませすぎちゃいました?」 並んで歩きながら、怜が心配そうな目で果歩を見下ろした。 「あ、大丈夫です。そんなに弱い方じゃないですから」 果歩は急いで言って、火照る首を手であおいだ。 「アルコールが久しぶりだったから、少し酔いが回ってしまっただけで。少ししたら冷めますから」 本殿の裏門から外に出た2人の背後には、数名の屈強なボディガードが続いている。 それは灰谷市から怜や果歩の傍にいた男たちで、怜の説明では元自衛隊員や警察官――左近が特別に手配した、いわば戦闘のプロたちのようだった。 その人たちに一挙手一投足全てを監視されている居心地の悪さもさることながら、二宮家に従来からいる使用人たちの表情の固さも気になった。 彼らは表向き怜に服従しているが、明らかにその態度には怯えが見え隠れしている。 果歩同様、この屋敷に古くからいる人たちも、今の事態に戸惑っているのだ。 「だったらいいですけど。また、今夜みたいにお酒につきあってくださいね」 怜は優しく笑って、歩調を少しだけ緩めてくれた。 「でも今夜はぐっすり眠ってください。少し不謹慎ですけど、ちょっとした旅行にでも来たつもりで」 「旅行ですか?」 「ええ。ホテルみたいな素敵な部屋ですよ。景色もいいし、露天風呂もありますから」 「そんなものまで?」 「ええ。今夜は配線工事が間に合わなかったそうですけど、明日には使えるようにさせます。ただ温泉じゃないので、お湯に効能はないですけどね」 怜が笑ったので、果歩も少しくだけた気持ちで笑っていた。 せめてこの人だけでも本当に好きになれれば、この気持ちも少しは楽になるだろうか、と思いながら。 「少し歩けばテニスコートもあるし、本殿にはプールもサウナもありますから。もちろん雄一郎さんと自由に使ってください。一週間か二週間かな。そんなのあっという間ですよ」 「だったらいいですけど」 「敷地が広すぎて移動に時間がかかるのが難点ですけど……、そうだ。果歩さん、免許は?」 「私、ペーパーなんです。大学の時に取ったけど、親が一度も運転させてくれなくて」 「あっは、それは過保護すぎ」 怜は笑いながら手を叩いた。きっと果歩同様に酔っているのだろうが、随分と楽しそうだ。 「そうだ。もしよかったらここにいる間に運転の練習をされたらどうですか? 敷地も広いし車もあるし、――雄一郎さんに教えてもらえばいいじゃないですか」 「え、……それはちょっと」 怜には絶対に言う気はないが、果歩の運動神経の鈍さは折り紙付きだ。当たり前のように反射神経も鈍く、教習所を卒業するのに人の三倍もかかっている。 しかも真鍋は――案外、厳しいところがある。絶対に教えてもらいたくない。 けれど怜の目は思いのほか真面目だった。 「果歩さんを教えるのは、雄一郎さんにもいい気晴らしになると思いますよ。というより、雄一郎さんのためにも、そうした方がいいんじゃないかしら」 「……、彼のため、ですか?」 「いまさら聞くまでもないですけど、雄一郎さんのことがお好きなんですよね?」 「それは、もちろんです」 反射的に胸を手を当てて果歩は言った。そうでなければ、家族も仕事も何もかも棄てて、ある意味世界で最も残酷な場所に来たりはしない。 「だったら、言い方はあれですけど、果歩さんには雄一郎さんの希望であって欲しいんです。――読みかけの本が面白いと、人って最後までそれを読みたいと思うじゃないですか」 「……本?」 意味が分からずに瞬きすると「たとえですよ」と怜は笑い、すぐにその笑顔を消した。 「お二人をうちでお預かりする理由は、もうお聞きになったと思います」 小さく頷き、果歩は眉をひそめてうつむいた。 市と光彩建設――そして湊川会の癒着を告発した真鍋は、その報復を抑えるために、侠生会の内紛を利用しようとしたのだ。 トップを逮捕させて、別の人物をその後釜に据えようとした。その引き換えに、その人物から湊川会に報復させないことを約束させていたのである。 が、その人物が失脚し、別の人間がトップになったことで、真鍋の計画は頓挫した。 今はその計画を共に進めていた怜の父親――警視総監の八神と共に、身を隠すしかない状況であるらしい。 「今、瑛士さんが、様々なルートを使って交渉をしていますから、早晩問題は片付くと思います。でも雄一郎さんは……どうなのかしら。そもそも解決を望んでいないような気がするんです」 「どういう意味ですか?」 「雄一郎さんが、近々逮捕されることはご承知ですか」 どこかで覚悟していたことだが、心臓がぎゅうっと締め付けられるような感覚になった。 「彼が光彩建設の役員時代、不正に関わった証拠が色々出てきているそうなんです。ただそれは、偽造されている可能性があるみたいで」 「え?」 「吉永冬馬という人物がいますよね。今は行方をくらましていますけど、その人物が、雄一郎さんに罪を被せようと、色々画策していたようなんです」 果歩は眉を険しくさせた。あの男が――そんなことを。 「……私、雄一郎さんほどの人が、その程度のことを見抜けなかったとは思えなくて。多分ですけど、分かっていてそのままにしていたんじゃないかしら」 「……、どうして」 「収賄で逮捕されようと、報復されて殺されようと、どうでもよかったからじゃないんですか」 一瞬胸を突かれたような気持ちになった果歩は、黙って唇を噛みしめた。花織も似たようなことを言っていた。多分、その推測は当たっている。 「今、その吉永と真鍋元市長は行方不明です。実は、その二人を国外に逃がしたのも、雄一郎さんだといわれているんです」 驚きで声も出ない果歩を気の毒そうに見下ろし、怜は続けた。 「そのことだけでも、逮捕はもう確実です。これで分かってくれますか? 彼にとって、ここから先の人生は最初から存在していなかったんですよ」 「…………」 「アクセルを思いっきり踏み込んで崖っぷちに飛び込んだ。でも幸か不幸か、そこにぎりぎり車を支えられるだけのネットがあったんです。ただ、そのネットの強度もそこまで強くはないですけど」 「……雄一郎さんは、最初から死ぬつもりだったと、そう言いたいんですね」 「ええ。だからその気持ちをまず翻意させないと、一時的に危険から逃れたところで何の意味もありません。瑛士さんの努力も水の泡じゃないですか」 正面から認めるには辛すぎる現実だが、それもむろん心のどこかで理解している。 ただ、そのために自分に何ができるのか――むしろ逆効果ではないのか――そう思うと不安で胸が押しつぶされそうだが、その役目が果歩にしかできないことも確かなのだ。 「あの」 果歩は思わず口を開いていた。 本当はもう1人、果歩と同じように真鍋の考えを変えることができる人がいる。 「藤堂さんは……、本当に真鍋さんに、怒っているんですか」 数秒、前を見つめた怜は無言だった。 「それは許してあげてもらえません? 瑛士さんは一夜にして何もかもなくしたんです。自分が思い描いていた未来も、あなたも」 「…………」 「瑛士さんの目的は二宮家を守ることですけど、正直私は違います。真鍋さんの挑戦がこんな悲劇的な結末で終わることが、警察官の娘として許せない。――正義の執行者は報われなければならないんです。それが私の信念です」 |
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