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年下の上司 story8〜 November@

dead or life それでも僕はやってない?(最終話)


「こんばんは」
 13階でエレベーターを降りた果歩は、暗いホールに佇む人を見て驚いて脚を引いた。
 ―― 誰?
 藤堂を置いて屋上を飛び出した。彼が降りてくる前に、早く役所を出てしまいたかった。
「こんな時間にデートですか。服務規定……何条違反になるのかな」
 ……誰?
 闇の中に半身を隠したまま、囁くような声で語る男は、姿を見せようとしない。
「人事部の皇といいます。初めてお目にかかりますね」
「…………」
 果歩は眉を寄せたまま、闇を抱く男を見つめた。
 スメラギ……? そんなもったいぶった名前の人が人事にいたっけ。まぁ、もともとあそこはオープンな職場じゃないし、課の全員を把握しているわけじゃないんだけど。
「最も僕は、ブラックリストで、再々あなたの名前は見ていますがね」
「…………」
 相当嫌味な人らしい。
 果歩はエレベーターのランプを横目で確認してから、男を見つめた。藤堂はまだ降りてくる気配がない。
「私に何か用ですか」
「庁舎内の不正使用は戒告程度の処分には値しますが……まぁ、黙っておいてあげましょう」
 ようやく、薄い非常灯の下、男の顔が現れた。
 まぁまぁハンサム……でも、好きな顔じゃない。まるで爬虫類を思わせる冷たさだ。
 平安貴族の優雅さを漂わせた男は、果歩を見つめ、薄い唇にあるかなきかの微笑を浮かべた。ダークグレーの細身のスーツ。青白いほどの色白で、唇だけが朱を引いたように紅い。
「君の上司ですが、どうやら、大河内主査の過去を調べているようですね」
「…………」
 藤堂さんのことだろうか。
 大河内主査の過去? それはどういう意味だろう。 
「一言忠告しておきますが、役所のパソコンであまり滅多な検索をかけないほうがいい。全て筒抜けですからね」
「あの――」
「被害女性は、元市職員の娘さんなんですよ」
 ――え?
「大河内主査は冤罪です。彼は罠にはめられたんですよ。が、当の本人は容疑を認め、頑なにそれを曲げようとしない」
 ――罠……?
「あの、どういうことでしょう」
 思わず声を荒げている。が、果歩が近づいたそれだけ、影の男はすっと後退した。
「示談が成立した場合にまで免職にするのは厳しすぎるとの声もある。が、すでに人事課には、破廉恥職員を罷免すべきだとの投書や電話が、百件以上寄せられていましてね」
「…………」
「むろん、市長は一貫して免職を主張しておられます。あの人の気性なら、あなたの方が私以上にご存じでしょうが」
「私のせいです」
 果歩は、咄嗟に言っていた。
「私が、主査の奥さんに示談を勧めてしまったんです。主査はそれで謝った判断をされてしまったんです」
 闇の男は黙っている。言うべきではないと思ったが、一度堰を切った感情は停まらなかった。
「私、どこへでも出て説明します。そうしたら、……少しは状況は変わるでしょうか?」
「なにも?」
 くすり、と、息を吐くような笑いを、皇は浮かべた。
「変わらないどころか、あなたの上司……、課長や次長まで、あなたの処分に巻き込んでしまうことになりますよ」
「…………」
「私にはどうでもいいことですが、軽率な言動は控えるべきでしょうね。市が示談を教唆したなどと噂が広まったら大問題だ。―― あなたが、本当に意図的に教唆したなら別ですが」
「…………」
 果歩は黙るしかなかった。晃司にも言われた。この男の言うとおりだ。
「いずれにしても、今の状況は、あなた個人にとっては大問題でしょうがね」
 言葉を切った皇は、再度、息をはくような嫌な笑い方をした。
「さて――僕があなたに、何を伝えに来たか判りますか」
「…………」
「罪の意識にがんじがらめになっているあなたを、少しばかり楽にしてあげたくてきたんですよ」
「え……?」
 果歩が口を開く前に、別の足音が闇に響いた。「的場さん――!」
 藤堂だった。エレベーターでなく階段を使って降りて来たのだと、果歩は悟った。が、今さらどうしようもない。
 彼が自分を追い掛けてきたわけではないことは、タイムラグの大きさからも明らかだ。静かすぎる深夜の庁内、果歩と人事部の男との会話は、階段を下りてきた彼の耳にも届いていたに違いない。
「いったい、なんの用ですか」
 案の定藤堂は、立ちはだかるように、男と果歩の間に割り込んだ。
「やぁ、あなたもおられましたか。それは少々誤算だったな」
 そう言いながらも、皇は何故か楽しそうだった。
「何も心配されるようなことは言っていませんよ。僕はね、彼女に助言しに来たんです。余計なことを、あちこちで触れ回らないようにね」
 藤堂は黙っている。
 藤堂さんと、この男は知り合いなのだろうか。果歩は不思議な動悸を感じたまま、やはり何も言えずに彼の背中を見守っている。
「丁度良かった、実はあなたにお聞きしたいと思っていたんですよ、藤堂さん。―― 今回の事件、実は、全く解明できない謎がひとつだけありましてね」
 果歩は本能的に、これ以上会話を続けるべきではないと思った。
 人事部の男が、この際、藤堂の敵か味方かは判らないけれど。
「――何故、大手新聞社や全国区のテレビが、事件から5日もたって動いたと思いますか」
 が、果歩が制止するより、男の言葉のほうが早かった。
「真鍋市長の4選を阻む一派のリークだという見方が濃厚でしょうが、僕の見方は違います。巨大メディアを意図のままに動かす。――そんな力を持つ人間が、果たして灰谷市程度の政界にいるでしょうか」
 ―― ……え?
 どういう意味?
 ただ困惑する果歩をちらりと見て、男は満足そうな微笑を浮かべた。
「どれだけの力があれば、マスコミを動かせると思いますか? わざわざそんな真似までする理由は、いったい何にあると思いますか?」
「…………」
 藤堂の背中は動かない。
 先ほどから彼は身じろぎひとつせず、人事の男の言葉を聞いている。
「何も税金で給料をもらわなくてもね。あなたは、生みだす側の人間なのに」
 その刹那、藤堂の背が、明らかに動揺を浮かべたのが、はっきりと果歩には判った。
「大河内さんを救う方法はひとつだけありますよ。それはあなたが、役所をやめて本来の力でもって強権を発動することです。おや、意外そうな顔をなさいましたね。前もそこにいる女性を救うために、あなたはご自身の身分を明かされたでしょう」
「…………」
「失礼、あれは感情のなせる技でしたか。どうやら、背後の女性にあなたは、特別な感情を持っておられるようですからね」
 くっく、と楽しそうに皇は笑った。
「いたって簡単で……ささやかなことだと思いますがね。あなたのような人間にしてみれば、道端の物乞いに小遣いをやるようなものでしょう」
 笑うようにそれだけ言うと、気配は静かに闇の向こうに消えていった。

 *************************
               
「一千万??」
 電話の向こうで聞こえる素っ頓狂な声を、真央は薄笑いを浮かべて聞いていた。
「あ、あなた――何言ってるの、これはたかだか、痴漢の示談金なのよ?」
「売ればいいじゃん」
 くちゃくちゃとガムを噛んで、真央はそれをぷうっと膨らませた。ぱちんと音をたてて、風船が割れる。「―― 家」
 電話の向こうでは、女がただ絶句している。
「親が何言おうと、あたしは示談なんて納得なんてしないしね。ま、表向きは20万でいいや。今から言う口座に、一週間以内に一千万振り込んで」
「ちょ、ちょっと待って、あなた、それ、恐喝よ?」
「うん」真央は笑った。「だったら警察でそう言えば?」
「……この会話、録音しているのよ。私」
 女が暗い声を出す。真央は声をたててけらけらと笑った。
「抜け目ないね。だから? 恐喝と痴漢は別じゃん? 示談しないもするも、そっちの勝手だけどさ」
「…………」
「公務員の生涯年収って一億じゃなかったっけ? それふいにするよりマシなんじゃない? ちょっとくらい貧乏生活我慢すればいいんだから」
「冗談じゃないわ!!」
 女は金きり声をあげる。
「あ、あなた一体何の権利があって、そんなこと言ってるの?? あ、あなたにね、私たちの生活を壊す権利なんてないじゃないの。私はね、徹底的に戦うわよ。びた一文だって、あんたなんかに渡すもんですか」
「はーい、んじゃ、交渉決裂」
「ちょっ――ちょっと」
 たちまち女の声が急変する。
「ま、待ちなさいよ。……あのね、もしお金に困っているなら、少しなら工面すると言っているのよ。何も私はね」
 真央はガムを吐き捨てた。駅裏、ごみ溜めのような公衆電話ボックス。てか、まだ公衆電話なんてあったんだ。
「だから、一千万いるって言ってるじゃん」
「む、無茶苦茶だわ」
「録音してんなら、メモいらないよね」
 口座名を早口で言うと、真央はがちゃんと、受話器を置いた。
 ボックスの外では、由純が所在なげに煙草を吸っている。
「どうだった?」
「さぁ?」
 真央は肩をすくめて歩き出した。
「にしても、やっぱへたれだね。あのハゲ親父。マジで自分がやったって言ってるらしいじゃん」
「…………」
「警察も怖いよねー。痴漢冤罪ってドラマの話だと思ってたけど、本当にあったんだ。計画聞いた時はやばいと思ったけど、こんなに上手くいくなんて思わなかったよ」
 真央は答えずに、夜の街を歩きだした。
 あの女、録音してるって言ってたけど本当かな。
「真央……何笑ってんの?」
「別に?」
 ただクビになっても面白くない。
 あの親父には、もっとみっともなくあがいてもらわなきゃ―― 。

 *************************
  
「あー、なんなんだよ、こんな時間に……」
 有宮尚紀は、重たい瞼をこすりながら半身を起こした。
 マンションの寝室。枕元の携帯が鳴っている。
「なぁに、どうしたの」
「なんでもない、寝てろよ」
 お持ち帰りした女を捨て置いて、有宮は携帯を手にベッドから飛び降りた。にしても質の悪い合コンだった。CAだと? 詐欺でなけりゃ何かのギャグだろ。
 携帯はまだしつこく鳴っている。
 有宮はローブを脱ぎ棄て、ボクサーパンツ一枚でリビングのソファに腰を下ろした。
 面倒だが仕方がない。この電話が仕事関係でないと言いきれない以上、出なければ多分、一生頭の上がらない母親に叱られるのは、自分なのだ。
「はい、有宮です」生あくびをかみ殺しながら、よそ行きの声で出る。
「ああ、有宮さん? 昨日オフィスに電話した梶原です。ご記憶ですかね」
 ――んん?
 半分寝ぼけた思考の中、聞き慣れない男のだみ声に眉をしかめる。「なんでしたっけ?」髪をくしゃっとかき乱して――思いだした。
「ああ、週刊新報さん……でしたっけ」
「ご記憶いただけて光栄ですよ」
 断られてナンボなのか、失礼な言い草にも男は嬉しそうだった。
「実はね、ちょっとしたリーク情報なんですがね。あなた、先月の半ば頃ですか、 灰谷市役所の女性職員と、一緒に飲みに行ったんじゃないですか」
「……はい?」
 思いっきり不愉快な声を出していた。
 冗談だろ! 二度と思い出したくもない。後日談も含めて悪夢だあれは。
「何かの間違いじゃないんですかね」
「いや、そんなはずはないでしょう。えっと、日時も場所も確認してますからね、申し上げましょうか」
「切りますよ、僕は忙しいんです」
「ちょっ、ちょっと待ってくださいよ」男は慌てたように言葉を繋いだ。
「リーク元を言いますよ。そうすりゃ、おたくさんも話そうって気になるでしょう」
「は―― ?」
 数分後、有宮は自身の瞳が生気を取り戻すのを感じていた。なるほどな――そんな面白いことになっていたのか。
 それにしても、腹が立つのは、あの男だ。
 名前が変わっていたので迂闊にも気付かなかったが―― 藤堂瑛士。
 肝が抜けるほど脅かしやがって、もうあの家とは関係のない人間だと? しょせん、ハッタリだったのか。
「いいですよ。なんでも話しますから、どうぞ記事にしてください」
 満面の笑みを有宮は浮かべた。
「灰谷市の女子職員にはね、とんでもない乱暴者がいるんですよ。酒に酔って一般市民に暴行をふるうと言う……とんでもない暴漢がね」
 電話の向こうでは、相手がわざとらしく驚きながら相槌を打っている。
「それを役所の連中は、身内可愛さにもみ消しを図ったんです。あいつらの理屈では、悪いのは被害者の僕ですからね。まさにモンスター、モンスター公務員ですよ!」
 力には力だ。
 今度はそいつを、お前が思い知ればいい―――



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